「舌出し失神KO勝ち」から42年後の真実(撮影=木村盛綱/AFLO)
プロレスラー“超人”ハルク・ホーガンが7月24日、心臓発作で亡くなった(享年71)。「イチバァーン」の掛け声で日本でも人気を博したホーガンはもともとミュージシャン志望だったのが、バンド解散をきっかけに、米国でプロレス修行中だった長州力にレスリングの手ほどきをうけ、ヒロ・マツダの元で学びプロレスデビュー、1980年に初来日したのち、アントニオ猪木とは「師弟関係」のような結びつきを得ていった。
アントニオ猪木が長期欠場した1982年、藤波辰巳をはじめとする日本人選手とタッグを組むようになったホーガンは、地方巡業でも人気が爆発する。1983年のアントニオ猪木との死闘から42年、『力道山未亡人』の著者でプロレス・格闘界に精通するノンフィクション作家の細田昌志氏が「知られざる真実」をレポートする。【前後編の後編・前編を読む】
猪木の“思惑”
猪木は1982年の同じシリーズに来日していた覆面レスラーのブラック・タイガー(本名・マーク・ロコ)に「ホーガンにレスリングを教えてやってくれ」と要請。本物の実力者として定評の高いマーク・ロコは、ベーシックなレスリング技術を、ホーガンに徹底して叩き込んだ。
さらに、現場に復帰した猪木が、直接指導することもあった。関節技、絞め技、トレーニング法と指導内容は多岐にわたり、ホーガン自身も猪木と身近に接することで、試合運び、技の魅せ方、観客の惹きつけ方、スターとしての振舞いなど、帝王学を貪欲に吸収する。そして、この年の「MSGタッグリーグ戦」には、猪木との“師弟タッグ”を結成、見事優勝を成し遂げた。
一連の過程において、ホーガンは、パワー一辺倒のファイターから、テクニック、インサイドワーク、パフォーマンスと何でもこなせる、コンプリートレスラーへの階段を上り始めたのである。では、なぜ、猪木はホーガンにだけすべてを伝授したのか。その疑問は、猪木がこれまで戦ってきた好敵手を列挙することで解明される。
ジョニー・バレンタイン、ジン・キニスキーのような荒くれ型。ドン・レオ・ジョナサン、ストロング小林のようなパワーファイター。ドリー・ファンク・ジュニア、ジャック・ブリスコのような正統派アメリカンレスラー。ルー・テーズ、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンのような本格的実力者。タイガー・ジェット・シン、上田馬之助のような凶悪レスラー。アンドレ・ザ・ジャイアントのような正真正銘の怪物。スタン・ハンセンのような突進型……。
つまり、猪木はホーガンに、パワーとテクニックとカリスマ性までもが備わった、今までにいなかったタイプのライバルになることを期待していたのだ。
そうなることで「今までになかった試合を観客に提供出来る」というプロモーターとしての計算と、「自身の新たな魅力も引き出せる」という思惑もあったに違いない。
“猪木プロレス”を全身で吸収したホーガンが、理想的なプロレスラーに変身するのに、さほど時間はかからなかった。持ち前のパワー、洗練されたテクニック、無類のスタミナ、「イチバァーン」と叫ぶ出色のパフォーマンス。さらには、セクシーな魅力まで振りまくようになると、“猪木超え”の機会は思いのほか早く到来する。