ソロ活動を始めて30年を迎える相田翔子
1988年にアイドルデュオ『Wink』としてデビューし、同年にリリースされた『愛が止まらない~Turn It Into Love~』でブレイクを果たした歌手・俳優の相田翔子(55)。一時代を築いた後にソロへ転身、来年にはソロデビュー30周年を迎える彼女が、これまでの人生を振り返る。【前後編の前編】
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物腰がやわらかく、おっとりとした雰囲気を醸し出す相田は、その印象とは対照的に“やんちゃな男の子”のような幼少期を送ったという。
「日が暮れるまで草野球をしたり、神社の境内で“ドロケイ”をしたり。生まれ育った東村山はのどかな場所で河原や空き地がたくさんあって、木から垂れ下がった蔓につかまってターザンごっこもよくしていました。顔中泥だらけになって、家に帰ると母にいつも『もうクマみたい!』とゴシゴシ拭かれて痛かったりして(笑)。
かわいい小物よりも、ガイコツなどかっこいいものが好みで、ひとめぼれしたのはモデルガン。お祭りで見つけた小さなキーホルダーに釘付けになって、中学生くらいからおもちゃのモデルガン、20代から専門店で本格的なモデルガンを集めて今では20丁くらいあります。あのフォルムに恋して以来、いちばんのお気に入りとしてひとり暮らしの部屋に飾り、眺めてはにやにやしていました。これだけはどんなに断捨離しても、手放せません」
妻となり母となった現在は飾らずケースに収納しているが、それでも1丁だけは“護身用で枕元に”携えているのだとか。活発だった相田少女が次に魅了されたのが、女子プロレスだった。当時はクラスメイトとプロレス技の掛け合いをしたり、教室のロッカーから飛んだりしていたという。
「中学生の頃に全女(全日本女子プロレス)が大ブームで、クラッシュ・ギャルズさんの試合を観た女の子たちが“ギャー!”と泣きながら熱狂するような時代だったんです。私もそのひとりで、『極悪同盟は飛鳥さん(ライオネス飛鳥)と千種さん(長与千種)を痛めつけて憎いー』なんてのめり込んで、紙テープを手に追っかけをしていました」
夢中になるほどに、内なる闘志に火がついた。
「自分が進む道はあのリングの上だと、信じていたんです。目の中に闘志を燃やしてリングの角からジャンプして技をかける勇ましさに痺れたし、タッグで助けあう姿に胸が熱くなって。やられてもやられても不屈の精神で立ち上がり、這うようにして味方にタッチすると、相方が交代でバッとリングへあがって、仲間を痛めつけた相手をやっつける――。私もそんな友情の世界で生きたいと、心がたぎりました。やんちゃだけど人見知りで人前に立つことが苦手だったので、リングで自分を鍛えたい気持ちもあって。迷わず全女に応募はがきを書いたんです」