ライフ

垣根涼介氏『蜻蛉の夏』インタビュー「登場人物の自己が揺らいでこそ書ける心象風景を燃料にして物語は加速する」

垣根涼介氏が新作について語る(撮影/国府田利光)

垣根涼介氏が新作について語る(撮影/国府田利光)

 地域によっては極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)、または神蜻蛉(かみかげろう)や蚊蜻蛉(かかげろう)などとも呼ばれる、〈薄翅蜉蝣(うすばかげろう)〉。幼虫時は地中に長く潜伏するため蟻地獄の異名を持ち、〈蜉蝣であって蜉蝣ではない。蜉蝣の群れの中にあって擬態をする〉というその虫を見て、若き日の〈円四郎〉は、〈まるで、おれたち止観を繰る者のようではないか〉と思った。彼こそが垣根涼介氏の最新刊『蜻蛉の夏』の主人公である。

 物語は信長が天下統一に手を伸ばしつつあった元亀元年(1570)、京は東市界隈で3人の男女の運命が交錯する場面から始まる。一人は下京に道場を開き、兵法者を仮の姿とする円四郎、一人はその彼を乞胸に扮して突如襲った〈平助〉。いま一人はこの平助が10年来片思いする巫女の〈桂月〉で、3人はそれぞれ〈水観〉と〈炎観〉と〈月観〉の術を過酷な修行を経て会得し、潜伏生活を送る最中だった。

 この時、3人はまだ20代そこそこ。有り体に言えば、後に信長から〈里芋平助〉と綽名される平助が初恋をこじらせ、美形の円四郎と桂月の仲を勝手に妄想して嫉妬したという、ありがちといえばありがちな青春が、人ならない生を強いられた彼らにもあったのである。

「円四郎も平助も桂月も、さらに言えば炎観も月観も〈風観〉も、もちろん僕の創作、フィクションです。ただし平助の師匠の果心居士は史料に名前が残っていて、三好長慶や松永弾正に仕えた妖術の使い手で、信長や秀吉に水観を披露してみせたのも確からしい」

 止観は幻術、言うなれば幻だ。本書の巻頭には深い催眠状態に陥った治験者に〈焼けた針金〉だと言って平温の針金を押し当てると本当に火ぶくれが出来たという、著者がかつて学んだ心理学の実例が引かれている。例えば水観の道士がそこにないはずの滝を現出させ、清流を荒れ狂う激流に見せてしまうように、止観とは水や火や月を見る側の心を操る幻術ともいえる。

「筑波大には当時では唯一の心理学部があって、教授クラスだと本当にそこまでの催眠術がかけられたらしい。この実例はさすがに昭和の話ですけど、人間の体って不思議だなと。

 その上で20、30年前かな、元々は天台宗が発祥だという止観の話を史料で読んで、あ、これは小説でしかできないエンタメが書けるって思ったんです。想念の力でそこにないものすら見せる彼らの心象風景を描くなら、映像より文字の方が優位性があるし、針金の話の感覚を使えば絵空事っぽい止観の話もかなりリアルに描けるんじゃないかって。

『光秀の定理』で初めて歴史物を書く前から、そういう言語でしか表わせない娯楽小説を、僕はずっと書きたいと思ってきたんです」

関連記事

トピックス

全国でクマによる被害が相次いでいる(AFLO/時事通信フォト)
「“穴持たず”を見つけたら、ためらわずに撃て」猟師の間で言われている「冬眠しない熊」との対峙方法《戦前の日本で発生した恐怖のヒグマ事件》
NEWSポストセブン
韓国のガールズグループ「AFTERSCHOOL」の元メンバーで女優のNANA(Instagramより)
《ほっそりボディに浮き出た「腹筋」に再注目》韓国アイドル・NANA、自宅に侵入した強盗犯の男を“返り討ち”に…男が病院に搬送  
NEWSポストセブン
ラオスに到着された天皇皇后両陛下の長女・愛子さま(2025年11月17日、撮影/横田紋子)
《初の外国公式訪問》愛子さま、母・雅子さまの“定番”デザインでラオスに到着 ペールブルーのセットアップに白の縁取りでメリハリのある上品な装い
NEWSポストセブン
ドジャース入団時、真美子さんのために“結んだ特別な契約”
《スイートルームで愛娘と…》なぜ真美子さんは夫人会メンバーと一緒に観戦しないの? 大谷翔平がドジャース入団時に結んでいた“特別な契約”
NEWSポストセブン
山上徹也被告の公判に妹が出廷
「お兄ちゃんが守ってやる」山上徹也被告が“信頼する妹”に送っていたメールの内容…兄妹間で共有していた“家庭への怒り”【妹は今日出廷】
NEWSポストセブン
靖国神社の春と秋の例大祭、8月15日の終戦の日にはほぼ欠かさず参拝してきた高市早苗・首相(時事通信フォト)
高市早苗・首相「靖国神社電撃参拝プラン」が浮上、“Xデー”は安倍元首相が12年前の在任中に参拝した12月26日か 外交的にも政治日程上も制約が少なくなるタイミング
週刊ポスト
相撲協会の公式カレンダー
《大相撲「番付崩壊時代のカレンダー」はつらいよ》2025年は1月に引退の照ノ富士が4月まで連続登場の“困った事態”に 来年は大の里・豊昇龍の2横綱体制で安泰か 表紙や売り場の置き位置にも変化が
NEWSポストセブン
三重県を訪問された天皇皇后両陛下(2025年11月8日、撮影/JMPA)
《季節感あふれるアレンジ術》雅子さまの“秋の装い”、トレンドと歴史が組み合わさったブラウンコーデがすごい理由「スカーフ1枚で見違えるスタイル」【専門家が解説】
NEWSポストセブン
俳優の仲代達矢さん
【追悼】仲代達矢さんが明かしていた“最大のライバル”の存在 「人の10倍努力」して演劇に人生を捧げた名優の肉声
週刊ポスト
10月16日午前、40代の女性歌手が何者かに襲われた。”黒づくめ”の格好をした犯人は現在も逃走を続けている
《ポスターに謎の“バツ印”》「『キャー』と悲鳴が…」「現場にドバッと血のあと」ライブハウス開店待ちの女性シンガーを “黒づくめの男”が襲撃 状況証拠が示唆する犯行の計画性
NEWSポストセブン
全国でクマによる被害が相次いでいる(右の写真はサンプルです)
「熊に喰い尽くされ、骨がむき出しに」「大声をあげても襲ってくる」ベテラン猟師をも襲うクマの“驚くべき高知能”《昭和・平成“人食い熊”事件から学ぶクマ対策》
NEWSポストセブン
オールスターゲーム前のレッドカーペットに大谷翔平とともに登場。夫・翔平の横で際立つ特注ドレス(2025年7月15日)。写真=AP/アフロ
大谷真美子さん、米国生活2年目で洗練されたファッションセンス 眉毛サロン通いも? 高級ブランドの特注ドレスからファストファッションのジャケットまで着こなし【スタイリストが分析】
週刊ポスト