「酒と人生」第1回ははなぎら健壱さんにうかがった
国税庁「酒のしおり」(令和7年7月)によると、令和5年度における成人1人当たりの年間酒類消費数量が、全国平均で75.6リットルと2年連続の上昇となっている。コロナ禍を経て「外飲み」が減った時期もあったが、どっこい、酒はまだまだ我々の傍らにいる。人のいるところに酒があり、酒のあるところにはドラマがある。なぎら健壱氏が酒を覚えたての頃の話から旅先での酒について、酒場ライターの大竹聡氏が訊く。【前後編の後編。前編から読む】
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なぎらさんは20歳のときにはシンガーソングライターとしてアルバムデビューしているが、若い頃は肉体労働もしていたという。
「建設作業員もやったね。深川の高橋(たかばし)にも行ったな。その頃、ホッピーを覚えた。氷は入れず、酎ハイグラスに焼酎を入れ、ホッピーで割るんだけど、2杯でホッピー1本の計算だった。そうすると、1杯のうちの半分以上が焼酎。酎ハイグラスは400ミリリットル以上入るから、その半分以上となると、これは濃いよ。かと思うと、気の抜けたビールもあったな。現場の先輩が昼飯代わりにビールを飲もうと誘ってくれて、ある店へ入って、ビールとサンマを頼んだ。はいよって、カウンターの下でビールの栓を抜くような仕草をするんだけど、シュポン! って音がしない。飲んでみたら、炭酸が抜けている。どうやら、客が残したビールを足しているらしい。気持ち悪いんだけど、おもしろかったね。壁の札を見ると、その店のビールの値段が、酒屋の店頭価格と変わらないんだからね」
残ったビールを売るなら原価でも儲かるという寸法か。
なぎらさんは笑いながら、かれこれ50年前の話を聞かせてくれる。その口ぶりには、得体のしれない有象無象が集まる酒場という不思議空間に足を踏み入れた若き日の、なんともいえない楽しさが滲むようだ。
「今は、下町のどこそこは酒場の聖地だとか、そんな情報を頭に入れて出かける人が多いと聞くけど、聖地なんて言われるようになったら、もうその街はおもしろくなくなるんだよ。情報を見て、人が集まってるだけだ。アタシの若い頃は、そんな、人の意見に左右されることはなかった。バカを言ってるお父さんの話を聞きながら飲むのが楽しいから、飲み屋へ行った。それだけだったよ」
なぎらさんや私が酒を飲み始めた頃、スマホはおろか、携帯電話もなかった。初めての酒場は、どんな設えなのか、何がうまいのか、扉を開けてみるまでわからない。雑誌やガイドブックを駆使して調べることもできたが、多くの人は、仕事の帰りに、気軽に扉を開けて、酒場の新規開拓をしたのである。
今はどうか。その店の特徴、メニュー、値段、場所、電話番号まですぐに調べられる。地図もついているから迷わない。まことに便利。調べたら興ざめということもないし、大いに結構なのだが、街をぶらつきながら、外観から店の中を想像し、どの一軒に入ったものか迷う楽しみも失われた。そういう時代になったから、若い世代の飲み方もずいぶん変わったのだと思う。なぎらさんは、このあたりをどう思うのか、訊いてみた。
「若い人たちは、楽しみを記録しておけばいい、忘れてしまっても後で思い出せばいいと思っている。だから飲み屋へ入っても、料理なり酒なりをスマホで撮影するだけ。記憶にとどめようとしない。酒場というのは、まずはロケーションを含めて全体を眺めわたし、飲兵衛たちの喋りに耳を傾けながら飲むのが楽しい。それなのに、記録することばかりに気を取られている。それじゃ、店にいる人たちの会話が聞こえないよ。スポーツ新聞を読みながら、あるいはテレビ番組を肴に飲んでいる人たちが、ふともらすひと言とか、それに答える周囲の声とか、そういうものが、つまみなんだよ。昔、こんなお父さんがいたよ。飲み屋のテレビで祇園祭の山車の組み立てをしている場面が流れてね。現地でも数少ない腕のある職人たちが縄を締めていくところなんだけど、その姿を見て、コイツ、ヘタだなあ、と言ったもんだ。お父さん、鳶か何かなのかな。そっちからじゃなくて、こっちを回してからこう締めるんだよお、なんて言ってる。おかしかったね。だいたい飲み屋で一席ぶってるオヤジさんの話は、大袈裟なのが多いけどね、そこがおもしろい」
飲み屋に馴染んでくれば、店の人と言葉を交わすのも楽しみのひとつ。
「あれ、この刺身、いいねえ、河岸に行ってんの」
「行ってねえよ、そこのスーパーで買ってくんの」
この会話もなぎらさんの経験譚だが、こんな洒落た会話ができるようになったら、そろそろ黒帯も間近だろうか。
「もともと高級で、新鮮なものなら、うまいに決まっているんだよ。そうではなくて、とても安いものをね、ちょっとした工夫でうまくしてしまう。これはオヤジの腕なんだ」
ちょっとした言葉のやりとりの中で、酒場のオヤジと客の心が通う。ここ、いい店だな、と気づくそのきっかけが、会話にあるのだ。