凶行に及んだ橋本被告
「連れ去り勝ち」に巻き込まれた
Aさんが家を出たあと、代理人弁護士であるKから、Aさんにいやがらせを続けたとして慰謝料として300万円、そのほかにも婚姻費用、養育費などを請求されたという。長男のために離婚はしたくなかったが諦めた。
これらの流れについて、橋本被告は「『連れ去り勝ち』に巻き込まれた」などとも表現した。
この「連れ去り勝ち」という言葉は、親権をめぐる紛争において、近年使われることが増えた。他方の親の同意を得ずに子を連れていき、子のその時点での生活状況に問題がなければ、調停などで子どもの利益としてその状況の継続が優先されやすいという考え方だ。橋本被告は、親権制度について知識はなかったものの、ネットで調べて自身と同様の悩みを抱えている人がいることを知る。
橋本被告については、共同親権運動に積極的に参加していたという情報も報道された。ただ、裁判においては上記の供述以降、共同親権に関連する話題は出なかった。
令和3年4月に日本将棋連盟に引退届を提出する。離婚をめぐる長く続くやりとりで、心療内科に通うほど精神的に深く悩むこととなり、プロとしての活動ができないと判断した。
引退後の約1年後、離婚調停が成立。その前後で被告はSNS上でAさんに対する誹謗中傷を繰り返し、離婚の約半年後に橋本被告の前科となるAさんに対する名誉棄損の疑いで、逮捕・勾留された。その逮捕が報道されたことで、「自分の人生終わった、生きていく術がない」と絶望した気持ちになったという。
名誉毀損罪については執行猶予付きの判決が下されたが、棋士としての収入はない。警察官に多数押しかけられたときのショックから、自分の家で過ごすことも辛く感じ、公園で過ごすことなどもあった。ホストクラブなどで働き、性風俗店の受付業務の面接なども受け、「なんでこんなことになってんだ」と思うも、生きる気力もなかったという。
心身ともに疲弊した状態で橋本被告は「悪い奴らをやっつけて(自分も)死ぬしかない」などと思うようになったのだという。橋本被告自ら「子どものような考え方」と表現するが、近くにはその行動を制止する人物はいなかった。