しかし、あくまで自分の前近代的権力を保持することしか考えない高宗は、「ハーグ密使事件」を起こして時計の針を逆に回そうとした。ここに至って李完用も、韓国との「合流」は韓国人の大幅な自治権を認めるような形の穏健路線で進めようとしていた元老伊藤博文も、堪忍袋の緒が切れた。そこで高宗を退位に追い込んで韓国を併合し、近代化を進める路線を採用した。
つまり、高宗という人物は韓国の改革派にとって反動の象徴であり、民族の将来のためには一刻も早く封じ込めるべき存在であった。しかし、退位させたことによりその目的は達した。逆に言えば、これ以上無理して殺す必要は無いのである。なんの力も無い元皇帝であるからだ。
それなのに、「日本の手による毒殺である」という噂が流れたばかりか、それを不満とした「朝鮮人」が「反乱」を起こしたという。日本人そして朝鮮系日本人の改革派は、このニュースをどのように受け取ったか?
たとえてみれば、フランス革命の後に王妃マリー・アントワネットが処刑されたと聞いて反乱が起こった、というようなものだ。もしそういうことがあれば、当時のフランス人の大半の見解は「なにを馬鹿なことを。また王制に戻すつもりか!」だったろう。同じことである。
繰り返すが、まだ韓国併合から十年も経っていない。経済改革も社会改革もまだ端緒についたばかりだ。もちろん、日本の傘下に入ったことによって初めて解放された奴婢階級は、いまなにが起こっているのかまったくわからなかっただろう。教育の機会が与えられておらず、文字すら読めないからだ。しかし、もし独立運動なるものの内情を知ったら、絶対に反対する側に回ったはずである。なぜなら、何度も述べたようにこの独立運動いや暴動は、朱子学に毒された人々の視点から見た日本への不満の表明に過ぎなかったからだ。
この時点の独立とは、日本の改革を一切否定し、士農工商や奴婢の存在を認め、男女平等など一切認めない国家に回帰する可能性が非常に高い。だからこそ、自分たちを徹底的に苦しめた元皇帝の死に不信を抱き抗議するという形になった。この時点で、元韓国人(大韓帝国臣民)のなかで文字が読める人はほんのわずかで、しかもその大部分が朱子学の権化であったことを忘れてはいけない。
それゆえ、李完用は前回述べたように「当分の間辛抱せよ」と国民を諭したのであり、アメリカも民族自決主義は当然だが朝鮮半島には時期尚早であると考え、介入しなかったのだ。ハーグ密使事件を欧米列強が笑殺し無視したのと同じことなのである。