現場スタッフの一人は、こう本音を漏らした。
「今となっては事故が起きなかったことがよかったのか悪かったのか、わからなくなりますね。本当にギリギリだったのに、対応できたということになってしまった。でも数年後、これ以上の大量出没があったら、絶対に持ちこたえられません」
今、知床の町は葛西のような「頭数コントロール派」と「保護派」で真っ二つに割れているという。人慣れしているなど、行動に問題のあるクマに関しては両派とも駆除で一致している。しかし、前者は積極的に頭数を減らすべきだと主張し、後者は「問題のないクマ」は極力生かすべきという考えだ。
知床財団のホームページで公開されているヒグマに関する会議資料を読むと、最前線で駆除を行うスタッフと研究者の間の温度差がはっきりと見て取れる。研究者は圧倒的に保護派が目立つ。
このギャップの根本は「クマの本気を知っているかどうか」だと語るのは獣医師であり、ハンターでもある石名坂豪だ。
「ゴム弾などで追い払うときのクマは、そんなに怖くない。こちらをなめてますから。ただ、命を取りにいったときのクマは本気度が違う。だからクマの人身事故はハンターがいちばん多いんですよ。最前線で駆除にあたった人たちが頭数コントロールの必要性を訴えるのは、そこだと思うんです。今のうちに減らしておかないと取り返しのつかないことになる」
石名坂も葛西同様、2008年から2022年の途中まで知床財団のスタッフだった。そこでクマを殺さずに共存する道を探ったが、いずれも徒労に終わった。
「何年もかけて百回ぐらい山の中に追い払ったクマもいる。でも、行動を変えることができず、人前に出てきてあっけなく殺されてしまった。そのたび、何をやってきたんだろうと思うわけです。私の結論として、昔のように人に会ったら殺されるということをクマに学習させないとこの状況は変わらないと思います」