2016年の民進党代表選挙では、蓮舫・前原・玉木の3氏が立候補。蓮舫氏が代表に選出されたが、玉木・榛葉両氏はYouTubeチャンネルで黒歴史と茶化した(2016年9月撮影:小川裕夫)
そうした議員を差し置いて首相になる絶好のチャンスが訪れたものの、立憲からのラブコールに煮え切らない態度を続けたために玉木氏を首班指名するという話は立ち消えていく。
それでも玉木氏は、「首相になる覚悟はある」と未練がましくSNSで発信。一連のちぐはぐな言動は、永田町界隈から「経験の浅い玉木氏が、首相という強大な権力と重責を目の前にしてビビった」から、と見られている。
実際に玉木氏が強大な権力と重責に怖気づいたのかどうかは本人にしかわからないが、筆者は約20年間にわたって永田町・霞が関界隈を取材してきた。一年生議員だった頃から玉木氏に取材で何度も話を聞いている。それらの取材を通じて、玉木氏のちぐはぐな行動に驚くことはなかった。むしろ、”らしい”とすら思った。大胆な行動をとりつつ腰が引けた言動をとる、というのは、今回が初めてのことではないからだ。
話は9年前、民主党が維新の党の一部の議員が合流する形で民進党へと改組した2016年にさかのぼる。新たに発足した民進党は旧民主党の岡田克也代表が引き続き代表を務めたが、同年に代表選を実施。代表選には民主党政権時代に閣僚を務めた蓮舫氏・前原誠司氏が立候補し、2人と並んで玉木氏も代表選に出馬した。
このときの代表選は蓮舫氏の圧勝で、玉木氏は前原誠司氏にもダブルスコアをつけられるほどの完敗だった。国会議員のキャリアを考えれば玉木氏の惨敗は仕方がなく、むしろ若き挑戦者として前向きな評価が多かった。
その民進党代表選からまもなく10年が経過し、玉木氏も政治家として多くの修羅場を経験したはずだが、先の参議院選挙でも山尾志桜里氏や須藤元気氏などの候補者擁立のドタバタ劇を晒すなど決断力に欠ける様子が随所で見られた。だが、玉木氏は過去の失敗を教訓として活かしているように見受けられない。むしろ、黒歴史などと笑い話にして責任転嫁し、他責思考だと非難された。
リーダーとして信用しづらい言動が出てきたからだろう。一時期は玉木首相で協議を進めていた維新は一転して自民党と閣外協力することに合意。これによって高市首相の誕生が確実となり、この時点で玉木首相は幻になった。
あれだけ盛りあがっていたのに、なぜ結実しなかったのかという疑問に対し代表の玉木氏や幹事長の榛葉氏は、「安全保障・エネルギー政策・憲法」といった項目を挙げて、3党の政策に大きな隔たりがあるという理由から立・維・国の連立政権が現実的ではないとした。もっともらしい説明だが、これまで国民が主張してきた流儀と合っていないのではないか。
