俳優・古尾谷雅人さんの長男、雅さんにインタビュー
23歳にして、映画『ヒポクラテスたち』(1980年)で第5回報知映画賞主演男優賞を受賞し、多くの人にその存在を強く印象づけた俳優・古尾谷雅人さん(享年45)。その後も映画『丑三つの村』『宇宙の法則』、ドラマ『若草学園物語』『金田一少年の事件簿』(ともに日本テレビ系)、『六番目の小夜子』(NHK教育)などで活躍を続けた。
その古尾谷さんの長男・雅さん(42)は、父が亡くなる前年の2002年に俳優デビュー。『ごくせん』(フジテレビ系)第2シリーズなどに出演した。父・雅人さんはそんな雅さんをどうみていたのか。雅さん自身の俳優業への思い、そして、両親への気持ちを雅さんに聞いた。【前後編の後編。前編から読む】
「父によく似ていると言われます」
僕は父の作品を全部ではないですが、ほぼみています。亡くなった後、もう1度見直し、録画していたバラエティ番組も見ました。ほとんどバラエティには出なかった父ですが、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)とかには出たことがあったので。映画のPRで出演したのかな。
黒木瞳さんから声をかけていただいて、桃井かおりさんに繋いでいました。バラエティに出ていたときの父が、一番、素の父らしい。それで、何度も見たくなります。作品だと、『3年B組金八先生』(TBS系)の第2シリーズや、映画『宇宙の法則』で演じる姿が自然体だなあ、と感じますね。最後のほうの作品は、ギラギラしていて「ヤバい時期だったのかな」と思ったり……。
僕は顔や声は、父によく似ていると言われます。電話で父と間違えられることがよくあり、父も僕と間違えられていました。性格は僕も父と同じように繊細なんだろうな、と思うし、生真面目なところも似ている。でも、母と似ているところもあるから、半々。母は悩みや迷いがあっても、スパッと割り切るタイプで、僕もそう。大事なシーンの本番前、緊張はするけれど、深く考えすぎず何とかなるだろうと思える方ですね。
僕が俳優の道に進んだのは、やはり俳優である両親の影響が大きかったです。母は僕が生まれると芸能事務所を起ち上げ、女優をやりつつ、父や僕、妹もマネジメントしてくれていました。だから、自然と俳優の道に進み、19歳のとき、“高藤疾土(たかとう・はやと。正確には高ははしごだか)”という芸名で正式デビューしました。
じつは、その前の幼い頃から、モデルや舞台のオーディションに参加し、三井のリハウスのポスターで一色紗英さんと共演したり、NTTドコモの動画CMに出演したりしていたんですよ。そういうこともあって、小学校の卒業文集に「将来の夢は俳優」と書いていたみたい。自分では覚えていないんですけどね。
