未解決として扱われてきた名古屋主婦殺害事件
途方もない時間が経過しても、遺族の執念の火が消えることはなかった。そこに加わった刑事の情熱が、長らく「未解決」として扱われてきた事件に大きな転機をもたらした──。
1999年11月13日に愛知県名古屋市西区のアパートで発生した主婦殺害事件の事態が急転したのは、今年10月31日だった。高羽奈美子さん(享年32)を殺害した疑いで、安福久美子容疑者(69才)が逮捕された。
奈美子さんが襲われたのは、自宅アパートの玄関付近。しかし発見されたとき、奈美子さんは玄関から続く廊下を進んだリビングの近くで倒れていたという。わずか数m先の居間の椅子には、2才になる長男が座っていた。最後の力を振り絞って、長男の元へと這っていったのだろうか。奈美子さんの夫・高羽悟さんが話す。
「できるなら、生きて育児をちゃんとさせてあげたかった。息子には本当に愛情を注いでいましたから……」
長男の誕生から、奈美子さんがつけていた育児日記がある。
《なんてあいきょうのある子なんでしょ。超プリティ》
《乳離れ…昼間はほとんど飲まず ちと悲しい》
《夜はぐーっすりよく寝てくれて助かる。(中略)よく遊ぶしよく声をだして笑ったり、そしてよく飲んでたくさん寝る…手のかからない良い子》
母親としての喜びと不安、子供の成長への驚きが、奈美子さんの愛情とともに綴られている。しかし、その日々はわずか2年で終わってしまった。
安福容疑者の凶行は悟さんの心にも長男の心にも、大きな爪痕を残した。事件の約1年後に撮影された長男の映像がある。そこで彼はこう語っていた。
「知らないおばちゃんとケンカして死んだの。ケンカして、ママが死んだ。ママが死んじゃった」
悟さんが続ける。
「犯人は室内に入ってきていませんし、家の間取りからして、息子は犯人を見ていません。それでも母親がすぐ近くで殺害されたことのショックは大きかったのでしょう。息子本人も大きくなってから“フラッシュバックが出るんじゃないかと心配になる”と話したこともありました」(悟さん)
悟さんは、犯人逮捕に向けた地道な活動を続けた。事件現場となった部屋を借り続け、総費用は2200万円ほどになるという。
転機は昨年4月。捜査班に、新しく刑事が配属されたのだ。
「丸刈り頭で、あまり背は高くありませんががっしりとした感じの、少しこわもての刑事さんです。
着任の挨拶に来たとき、“私が来たからには解決しますから”と宣言してくれました。“リストの中に犯人は必ずいます。ぼくは一件一件潰していきます”という言葉は心強かった」(悟さん)
捜査一課・特命捜査係の警部で、40代後半だと思しき男性は、まさに“叩き上げ”という印象で、彼はこれまで“見落とされていた部分”に焦点を当てた。
「灯台下暗し。土地勘のある近隣住民の絞り込みが徹底できていなかったのです。そこで浮上してきたのが、現場から遠くない悟さんの出身高校の関係者でした」(全国紙社会部記者)
この間、件の刑事は、小まめに悟さんと連絡を取り、針の穴を通すような緻密な捜査が進められた。やがて悟さんの目の前に突きつけられたのが安福容疑者の名前が載った「母校のソフトテニス部の名簿」だった。
そして今年8月、捜査線上に安福容疑者が浮上した。
「事情聴取をし、DNAの提出を頼みましたが、安福容疑者は複数回“DNAは出しません”と拒否しました。しかし、担当刑事らの捜査は確実に容疑者の精神を追い詰めていました。自分への疑いの目から逃げられないことを感じて観念したのか、最終的に提出に応じ、出頭にいたった」(前出・全国紙社会部記者)
