魚が釣れやすい人気の釣り場は、熊にとっても大事な餌場であるため、熊害が起こりやすい
大正時代の15年間で12人が犠牲になった熊害の多発地帯
【美瑛釣り人襲撃事件】
発生年月日:1925年6月18日、9月21日
発生場所:北海道美瑛村
犠牲者数:死者3名
熊種:ヒグマ
美しい風景が広がる北海道の美瑛町(びえいちょう)。今では人気の観光地だが、かつてはヒグマによる人身被害が多発する危険地域であった。
なかでも大正時代の15年間には、美瑛を中心とした半径20キロの内で、死亡者が12人も出ている。
1925年6月には、美瑛村の市街地に住む男性2人が川釣りに出かけたまま行方不明となった。釣り場付近の捜索をしていると、上流の山中から母子連れの熊がこちらを凝視していた。危険を察していったん村に戻り、100名ほどの捜索隊を結成して鳴り物を打ち鳴らしながら捜索を再開した。
翌日になって、村からかなり奥まった山中の川岸に、糸を川面に垂れたままの釣り竿が発見された。そうしてそこからさらに200メートルほど離れた崖の下で一人の遺体が発見される。胴体から上はなく、頭は崖の上にさらし首のようにして置かれていた。遺体の手足はむしり取られ、内臓は喰い尽くされていた。
さらに土に埋められているところを発見されたもう一人の遺体も、両足はなく、顔面は傷だらけで、やはり内臓を喰われていた。
現場の状況からすると熊は不意に後方から2人を襲ったようで、少し離れたところに魚籠が転がり、そのそばにはむしり取られたシャツもあった。被害者2人は必死の抵抗をしたらしく、地面には揉み合いをしたような形跡もみとめられた。
美瑛付近では毎年のように熊が出没し、市街地まで出て来るようになっていたこともあり大々的な熊狩りを計画。機関銃を装備した歩兵隊の派遣まで軍に依頼したというが、これは断られている。
2人を喰い殺した熊は見つからないまま夏が過ぎ、9月21日には美瑛市の男性が山中の川へ釣りに出かけたまま戻らず、翌日、熊撃ち名人と呼ばれた農夫らが捜索にあたった。川辺に焚き火の跡を見つけ、周囲を見渡すと笹が生い茂っている。やぶに向かって捜索隊の一人が石を投げると、そこから仔牛ほどもある巨大な熊が躍り出て、猛然と飛びかかってきた。すかさず発砲して仕留めたが、周囲を探索すると、手足や顔面、内臓を喰い散らかされた男の遺体が大木の根元に埋められていた。
人喰いグマの遺骸を馬車で運搬する途中、一人が熊の背中に馬乗りになったところ、熊の口の中からは前日に食べたであろう人肉が、大量に吐き出されたという。
取材・文/早川満
