もっとも、インターネット上では両曲ともフルバージョンで聞くことができるが、注意すべきは音源を勝手に編集しているケースがあることだ。それにしても、地上波のテレビは情けない。だから「オールドメディア」などとバカにされるのだ。
話をストマイに戻そう。前回、「ストマイに対する切望」を実際に書き残した日記や手紙がまったく残されていなかったら、それを根拠に歴史学者は「日本人がストマイを切望したという事実は無い」と断定する、と私は言った。そして、それはあまりにも極端なたとえだと思った人は、日本歴史学界に蔓延する「史料絶対主義」の悪弊がまったくわかっていない、とも言った。
これも『逆説の日本史』シリーズの古くからの読者にはおなじみのことだが、来年のNHK大河ドラマは『豊臣兄弟!』であるし、歴史を正しく理解するための大切なポイントなので説明しておこう。
最近は少し私の考えを理解してくれる歴史学者も出てきたのだが、初めて豊臣秀吉のいわゆる「朝鮮出兵」について書いた二十年近く前、私は当時の武士たちが秀吉の「唐入り」(当時はこう呼んだ)におおいに乗り気だった、と書いた。すると、たちまち史料絶対主義の歴史学者(これは左翼に限らない)からバカ扱いされた。
昔は、「秀吉はせっかく天下を統一し日本に平和をもたらしたのに、調子に乗って愚かにも海外侵略に乗り出した。国内では大名も武士も大反対だったのに、秀吉は強引に押し切って侵略に踏み切った」というのが歴史学界の定説だったからだ。これまでの大河ドラマも、この視点で描かれている。なぜ歴史学者はそう考えたのか? それは、現在残っている秀吉時代の史料のなかでこの対外戦争を肯定したものは一つも無く、むしろ太閤様はどうしてこんな無謀なことをされるのか、理解に苦しむ、とか、ついていけない、などという心情を書いたものしか残っていないからだ。
史料絶対主義というのは「その件について史料(当時の記録、手記など)があれば、そういう歴史的事実があったと認めるが、史料が無ければ実際にあったとは認めない」というものだ。たしかに現在残されている秀吉時代の史料には、この戦争を肯定的にとらえたものは一つも無い。それは事実だ。
だから、史料絶対主義の「信徒」である歴史学者から、「井沢元彦という素人が当時の武士たちは秀吉の対外戦争に大賛成だったなどと言っているが、そんな史料は無い。素人は古文書も読めないくせに勝手にデタラメを言い出す。困ったものだ」などとバカにされた。
しかし、わかっていないのは私のほうでは無く、彼ら歴史学者のほうである。秀吉とはいったいどんな人間か? 戦乱の世で類まれな才覚を発揮し、最下級の身分から関白にのし上がった男ではないか。そして彼の下に集ってきたのは、武田信玄のように古い大名が領内の百姓を無理やり徴兵したのとは違って、まかり間違えば殺される武士の世界に望んでやってきた者たちである。
とくに野心的な若者ほど、「オレも太閤秀吉のように出世したい」と思う。では、そのための絶対条件はなにかと言えば、戦乱が続くことなのである。戦乱が続いてこそ、足軽は侍大将になれるし、侍大将は大名になれる。そもそも秀吉がその道の大先輩でありお手本ではないか。だから、逆に秀吉のような立場にいた人間は戦争を止められないのである、やめたら部下が不満を持って反乱を起こすからだ。
それを防ぐためには国内統一などに満足せず、海外侵略に打って出るしかない。古くはアレクサンドロス大王も、チンギス・ハーンもその道をいった。これは世界史を少しでもやっていれば簡単に気がつくことで、いわば人類の法則なのである。だが、きわめて狭い専門にこだわる日本の歴史学者は、往往にしてそれを知らない。