人類はなぜ史料を残すのか?
では、なぜ当時の武士たちが侵略戦争を切望していたという史料が無いのか?
「人生に必要なことは、すべて幼稚園の砂場で学んだ」などという言い方があるが、幼稚園では無理でも小学校の高学年ぐらいになれば身につく常識がある。人生の知恵ともいう。たとえば遠足でもいい、募金活動でもいい、クラスで一致してそれをやろうということになったとしよう。しかし、なんらかの障害があって大失敗した。こういうことは人生にはたまにあることだ。
ここで思い出していただきたいのは、こういうときスタートの時点では大賛成だったのに、失敗だとわかった時点で「オレは最初からうまくいくとは思っていなかったんだよ」と言い出す人間がいるということだ。戦国時代にもそういう人間が必ずいたはずで、仮に見たことは無いにしても人間社会にはそういう種類の人間がいるという「常識」はわかるだろう。それを知ることを「知恵」という。
そういう知恵を働かせればわかるはずだが、秀吉の戦争は結局惨めな失敗に終わった。その事実が確定したとき、それが始まった時点では「オレも北京で百万石もらえるかもしれない」などと日記に書いた大名がいたとしたら、その大名は日記をそのまま残しておくだろうか? 処分するか書き換えるだろう。後世の人間にバカだったと思われたくないからである。書き換えるとしたらなんと書き換えるか? 「私はこの無謀な戦争は最初からうまくいくとは思っていなかった」だろう。だからそういう史料しか残っていないのである。
大東亜戦争が始まったとき──緒戦で日本がアメリカをやっつけていたころの話だが──名前は忘れたが、文化人のなかに「元寇のとき蒙古は北から来て、これを北条氏が撃退した。今度の戦争ではアメリカは東から攻めて来るので、東條(英機)氏がこれを撃退するだろう」と公言した人間がいた。この話は、なぜいまも残っているのか? 当時テレビは無かったがラジオがあったし、新聞も雑誌もあった。自分の発言を「無かったこと」にするのは不可能だったからだ。
だが、秀吉の時代にはそんなものはまったく無い。公文書すら手書きで、個人の日記や手紙はいくらでも処分できる。だからこういう「戦争礼賛」文書は消されてしまったのである。だから一つも残っていないのだ。そういう「小学生の知恵」でもわかる話が理解できず、逆に知恵で歴史を分析する私のような歴史家をバカ扱いする。それが史料絶対主義者である。
さらに、史料絶対主義者が歴史の真実を見逃しがちになってしまう大きな欠点を挙げておこう。
それは、現在常識になっていることも昔はそうでは無かった、という「知恵」に基づく分析ができないことだ。人間はなぜ史料を残すのだろうか? それは、その当時に起こっていたことを、なんらかの理由で記録しておかねばならないと考えるからだろう。しかし、人間は神では無い。起こっていたことを記録する場合、それはその当時の常識や判断に基づく。つまり、「その当時」の人類が知らなかった知識に基づく判断は、当然史料には記載されない、ということだ。
これも古くからの読者にはおなじみのことだが、日本人は脚気という国民病に悩まされていた。とくに江戸時代以降は患者が増え、結核と同じく「死に至る病」として怖れられた。このあたりは『逆説の日本史 第二十六巻 明治激闘編』で詳しく述べたが、脚気が怖れられた最大の理由は、治療法がまったくわからなかったことだ。
もちろん、結核も完治させることはできなかったが、安静にして栄養をとり養生すれば進行を遅らすこともできるし、「伝染病」という言葉は無かったが患者に近づくことはよくないという常識もあった。しかし、脚気ばかりはどうして病気になるのかもわからないし、庶民にくらべて栄養状態がはるかによいはずの将軍や天皇周辺の人々が多く発病した。だから当時の人々にとっては、まさに恐怖であった。
現在の日本人は、この脚気という病気がビタミンB1欠乏症であることを知っている。江戸時代になって国全体が豊かになり、とくに上流階級はビタミンB1を豊富に含む玄米を食べなくなったことが「流行」の原因であったこともわかっている。だが、当時の人間はそんなことは知らない。
最後の将軍徳川慶喜は、豚肉が大好きでいつも食べていたので「豚一」(豚好きの一橋)と呼ばれていたことは有名だが、肝心なのはだから慶喜は脚気とは無縁だったとほぼ確実に言えることである。なぜなら、豚肉はビタミンB1を豊富に含んでいるからだ。
白米を好んで食べるのは日本人だけでは無い。中国人も朝鮮人も上流階級はあたり前のように食べたが、それでも彼の地で脚気が国民病にならなかったのは、彼らが豚肉を常食としていたからだろう。日本は上流階級であればあるほどそんなものは食べないので、明治天皇や和宮も脚気に悩まされていた。
いわゆる討幕派がもっともライバルと考えたのは徳川慶喜なのだが、なぜ彼はそんなに活躍できたのか? おわかりだろう、彼以外の人間はその多くが脚気に悩まされていたからだ。脚気に罹った人間はスタミナに乏しく徹夜などできないが、慶喜ならできる。このあたり、岩倉具視や坂本龍馬や勝海舟も同じだったのではないかと私は考えている。
つまり、脚気の兆候があったか無かったかで活躍度が違う、ということだ。しかし、当時の人はそんなことは知らないのだから、史料に載ることは無い。ただし、いまからでも維新に活躍していた人間の常食がなんだったかを調べることはできるだろう。ただただ当時の史料だけを絶対視している人間には、こういう視点を思いつくことすら不可能だろうが。これも史料絶対主義の悪弊なのである。
(第1474回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年12月12日号