心を揺さぶる馬だったオグリキャップ(時事通信フォト)
今から35年前の有馬記念でオグリキャップがウイニングランを始めたとき、中山競馬場に駆け付けた約18万人の「オ・グ・リ!」の大合唱が始まった──。まるでコンサート会場のように、馬の名前がコールされるような感動を人々に与えたオグリキャップとはいかなる存在だったのか。小説家の須藤靖貴氏が綴る。
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1990年有馬記念のラストランから35年。重心を落とした力感あふれる走りっぷりは今もファンの心に焼きついている。
なぜ愛され続けるのか。GI4勝を含む重賞12勝、史上3頭目の有馬記念2勝、当時の歴代最多獲得賞金9億円超えといった輝かしい戦績だけが理由ではない。スポ根ドラマの主人公のような足跡、波乱万丈のストーリーに心を揺さぶられるのだ。
競馬ファンの注目度や賞金の低い地方競馬出身。すぐさま才覚を発揮し、芝の一戦を圧勝したことで中央の馬主から熱烈なオファーを受け、12戦10勝の実力を引っさげて移籍する。ところがクラシック未登録のために三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)への出走が叶わない。「なんとかダービーに」との世論の盛り上がりがその後の登録ルールを変えたとも言われている。
ライバルとの激闘。1988年秋の天皇賞、タマモクロスとの「芦毛の頂上決戦」は今見ても胸が震える。鞍上は河内洋。最後の直線、先頭に立つタマモに外から迫る。ゴールまで50メートルで1馬身差まで詰めるものの2着。いつのまにか内側にいた。限界を超えた追い込みでヨレてしまったのだ。
力を出し惜しみしない。環境変わりのストレス下でもよく食べる。1989年秋には3か月半で6レースを走破。そんな過酷なローテーションにもめげない。同年のマイルチャンピオンシップでは、いったんかわされたバンブーメモリーに内から迫り、ゴール直前で差し返してハナ差勝ち。1989年天皇賞(秋)でスーパークリークに負けたのは自責としていた鞍上の南井克巳騎手の男泣きは語り草になっている。
男を泣かせる馬。力いっぱいの雄姿に自分と重ね合わせて応援したくなる。
マイルチャンピオンシップから連闘で臨んだジャパンカップでは持ち前の勝負根性を見せて2着。1着と同じ2分22秒2という驚異的な世界レコードで走り抜いた。
1990年。天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ11着に敗れ、限界説も囁かれた。そして迎えた有馬記念。レース直前、武豊騎手は「安田の時とは違う」と気づき、首筋を叩いて「自分が誰だか分かっているのか? お前はオグリキャップやぞ」と声をかける。彼は呼びかけに応えるように、全盛期に見せていた武者震いをしてみせた。
ゆったりした流れで折り合いをつけ、直線で爆発。後続の末脚を封じ込めた。稀代のアイドルホースによる復活劇にオグリコールが巻き起こったのだ。
【プロフィール】
須藤靖貴(すどう・やすたか)/1999年、小説新潮長編新人賞を受賞してデビュー。調教助手を主人公にした『リボンステークス』(小学館)など競馬を題材とした作品も手掛ける
※週刊ポスト2025年12月26日号
