1977年にブラジルから来日し、日本代表として活躍(時事通信フォト)
所属事務所LDH JAPAN社長のHIRO氏と元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の言葉に勇気をもらう
告知を受けた当初は、ブラジルの家族や親しい友人らにも“心配をかけたくない”という強い思いから、病のことは伝えなかった。だが、“ある人物”だけには打ち明けていた。
「岡田武史さん(元サッカー日本代表監督)とHIROにはすぐに伝えました。まず最初に所属事務所LDH JAPAN社長で友人のHIROに連絡し、今後予定していた仕事に迷惑をかけてしまうことを謝りました。すると、HIROからは『病気に負けないで』という力強い言葉をもらい、とても勇気づけられました。それから、岡田さんに言いました。わざわざ東京まで来てくれて、私が『(岡田さんに)少し頼まれていた仕事ができなくなると思います』というと、岡田さんは『どうしたんだ? ブラジルに帰るのか?』と。
『いや、実はがんで……ステージ3でした』と伝えると『まさか……脳梗塞で倒れて……今度はがん。そんなイメージは無かったのに。どうやって早く復帰できるのかはラモス次第。お前らしく頑張れ! 負けたら許さないぞ』と、エールを送ってくれました」
同じ年で共に日本のサッカー界を背負って来た2人。予想もしていなかった告白に、岡田氏の目元は潤んでいた。ラモス氏は、岡田氏の言葉に励まされ、病を告げたことで少しだけ気持ちが楽になったという。
