リアルジャパンプロレス2016年特別興行「GOLDEN AGE OF THE TIGER~初代タイガーマスク35周年記念大会~」でアレクサンダー大塚(左)にキックを浴びせる佐山聡(時事通信)
「格闘技の選手」になるためのプロレス
このように当時の新日本には、「道場での練習に裏打ちされた強さ」にこだわりを持つレスラーが多かった。しかし、それはあくまでプロレスラーという職業を続けるうえでの矜持だ。佐山のようにプロレスの世界に身を置きながら格闘技を追求する者は、きわめて異端であり、それは当時の佐山自身も理解していた。
「私は『真の格闘技は、打撃に始まり、組み合い、投げ、関節技で終わる』と色紙に書いていたとおり、格闘技を目指したい思いが若手の頃からあったのですが、レスラー同士でそういう話をすることはありませんでした。
ですが猪木さんだけは、そんな私の考えを理解してくれたんです。私が付き人だった時代、よく格闘技の話をさせてもらったのですが、しっかりその話に耳を傾けてくれました。猪木さん自身、格闘技にすごく興味を持っていたと思います。だから考え方自体、プロレスラーというよりも格闘技の人という、そんな感じがしていました。それでいて、プロレスはまた天才的なんですから、本当にすごいことです。
付き人時代のある時、猪木さんに『新日本の中に、格闘技部門をつくったらどうですか?』というような話をしましたら、『新日本ではいずれ格闘技をやる。お前を第1号の選手にする』と言ってもらえたんです。
若かった当時の私は、猪木さんにそう言ってもらえたことで、すっかりその気になりましたし、完全に『自分は格闘技の選手になるんだ』と考えるようになりました。だからそこからは、格闘技のシミュレーションとしてプロレスの試合をやっていたようなところがありました。試合で派手な技を使っても、それが単なる見せ技ではなく、実戦で使えることを想定して、理に適った動きしかしなかった。そういった試合をしていたのがサミー・リー(編集部註:イギリスでのリングネーム)であり、タイガーマスクだったんですよ。だからタイガーマスクは、猪木イズムや新日本道場なくして生まれなかったんです」
佐山が新日本に入門して50年の月日が経った。
今も「ストロングスタイルプロレス」を主宰しながら、武道やアルティメット・シューティングという総合格闘技に取り組むなど、若き日に抱いた格闘技への探究心は尽きない。
そして今、こんな思いを抱いているという。
「私が若手だった当時の新日本のような試合ができる選手を育ててみたいですね。関節技やレスリングができて、動けて、ナチュラルなプロレスができる。しかも、それがお客さんの期待に応えられるようなスピード、タイミング、センスを持ち合わせた、そんな動きができる選手を育ててみたいです。
当時の新日本には、そんな実力に裏づけられたレスラーたちがいたんです。それはやはり、猪木さんがいて、道場に山本小鉄さんがいて、藤原さんのような強い先輩もいて、時にはカール・ゴッチさんもいて、イワン・ゴメスまでいたわけですから。今、自分の若手時代を振り返ると、強くなるために恵まれた環境にいたんだなってあらためて思います。あの当時、新日本道場は、プロレス少年だった私を決して裏切らなかったんです」
(第3回に続く)
