今回は「痴漢に対する社会全体の空気感」について思いを綴った
損をするのはいつも被害者
登校中に満員電車内で痴漢や盗撮の被害に遭って、警察へ行った同級生もいた。事情聴取が長く、学校へ来られたのは正午すぎだった。ただでさえ被害に遭うだけでも辛いし不快なのに、遅刻して授業に出られなくなり、その穴を埋めるためにさらに時間を割かなくてはいけなくなる。
損をするのはいつも被害者だ。だから、被害を訴え出るのが面倒だと感じて、被害者が我慢すればいいのだと自然と口を閉じてしまう。私自身もかつて、我慢で思考停止させていたような気がする。
私も通学中に痴漢にあったことは数えきれないほどある。スカートの上から臀部を触られたり、手を入れられたり、下半身を押し付けられたり。そんな時どうしたらいいのかわからず、これ以上触れられたくない一心で、触ってくる手を退けたり、ちょっと身体の向きを変えたりするしかなかった。
なんとか学校へ着いてから、友人とお互いの今朝の痴漢被害について報告し合う日も多々あった。「今日も山手線に痴漢野郎がいた」「お尻触られた」なんて会話が当たり前で、電車通学しなくていい子達が本当に羨ましかった。それくらい痴漢の被害に遭うのが日常茶飯事だった。
痴漢に遭うのは、「スカートが短いからだ」「そんな制服を着ている方が悪い」なんて言われることもあるが、果たして本当に被害者が悪いのだろうか。
スカートが短いなら痴漢してOKなんて、どうしたらそんな発想になるのだろう。学校が規定する制服を着ていることが、痴漢や盗撮をされても仕方がない理由になるわけがない。
痴漢や盗撮の被害を訴えると必ずやってくる、「被害妄想」「冤罪だ」という発言は、加害者を救うためにある言葉に聞こえてならない。
