奥田英朗氏が新作について語る(撮影/朝岡吾郎)
奇しくも昭和100年と戦後80年とが重なる今年、奥田英朗氏は「昭和を丸ごと描く」、『普天を我が手に』全三部作を上梓した。
主人公は大正天皇崩御が伝えられた1926年12月25日未明から同31日まで、実質7日しかなかった昭和元年生まれの4人。東京は麹町在住の陸軍士官を父に持つ〈竹田志郎〉と、生後すぐに女工の母親が死に、金沢の侠客に引き取られた〈矢野四郎〉。さらに神保町「群青社」の女性編集者と妻子ある左翼活動家の間に生まれた〈森村ノラ〉、大連で楽団を率いるジャズマンの息子〈五十嵐満〉という、育った環境も立場もまるで異なる4人の人生が交錯する時、世界の元号で最も長く、変化も激しかった時代が丸ごと見えてくる、長大にしてリーダビリティあふれる昭和史サーガだ。
まず第一部では元年から日米開戦に至る16年までが親世代の視点から語られ、陸軍省内では数少ない中道派の〈竹田耕三〉に、乱暴者だが義には厚いヤノタツこと〈矢野辰一〉。自由と平等を夢見る独立心旺盛な〈森村タキ〉に、魑魅魍魎の蠢く満州を音楽一つで生き抜く〈五十嵐譲二〉まで、親も子も奥田氏の手にかかると猛烈に魅力的なのである。
「着想したのは20年以上前なんですけどね。元々僕は戦後に興味があって、古本市に行くと片っ端から本を買うわけ。力道山とかニューラテンクォーターとか、ビートルズとか王・長嶋とか。あとは社史や日記もバイアスがないから当時の空気がよくわかるし、そのうちに知識が自然とついてきて、どうせなら昭和史を頭から書いてみようかなって。
さらに言うと当初はこれ、ジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』の昭和版をやろうとしたんですよ。同じ年の同じ日に生まれた2人が後に対決する、『志郎と四郎』を書こうと思った。でもそれじゃ芸がないから4組の親子にして、1組は財閥系のエリートで1組は地方の極道、それから女性運動家と満州の興行師の、4つの視点を順に描く方が物語に角度が出るし、戦争反対も賛成も渦中にいればいろいろあっただろうと。
とにかく僕としては色を付けたくなかったし、ただその時代を描写したいだけ。人を裁くつもりも全くなく、それはこの小説に限らない僕の作風かもしれません」
6月の第一部以降、順次刊行された本作は、足かけ64年に亘る激動の昭和史を愛すべき彼らの群像劇として読ませて飽きさせず、読み終えるのが惜しいほどだ。
「第一部が日米開戦までで、第二部が戦争から占領まで、第三部は高度成長や今日を築いた人達の話を書こうと。その全てに右翼や左翼や各国の思惑が絡んでくるんだけど、僕の場合、全員の言い分を聞くのが小説作法だったりするし、ごく普通の民草がその時どう思って、どう生きたかを主に描いた。
特にこの4組は付和雷同しませんからね。ヤノタツなんて元々はただの侠客で、右翼思想はないけど人望と度胸はあるから、〈大日本菊友会〉の会長をとりあえずやってます、みたいな(笑)。たぶん彼と彼の息子が最もキャラクター的には痛快で、一番人気だと思います」
もちろん彼らは創作上の人物だが、その行く手にはどう見ても実在のあの人と思しき人々が多数出没し、各々のモデル探しも一興だ。
「例えば1926年生まれで検索すると、安藤昇とか読売の渡邉恒雄元会長とか、傑物が結構いて、そういう評伝を数珠繋ぎに読むのも、発見が多くて楽しかった。
自民党の〈太田伴三〉や毎朝の政治記者〈渡部〉はさすがにバレバレですけど、あえて実名にした人もいて、映画『フォレスト・ガンプ』で主人公がケネディと握手するでしょ? 僕もノラに石原慎太郎さんを取材させたり、ああいう遠慮のなさが欲しかったんです(笑)」
