三田寛子一覧/2ページ
【三田寛子】に関するニュースを集めたページです。

NHK大河主演、中村勘九郎を支えるデキすぎ妻・前田愛
父子2代で「NHK大河ドラマの主演」という大役を務めるのは、中村勘九郎(37才)。NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』で勘九郎は、初めてオリンピックに参加した金栗四三(かなくりしそう)を演じ、前半の主人公を務める。亡き父、故中村勘三郎さん(享年57)も『元禄繚乱』(1999年)で主演を務めた。2019年は勘九郎にとって、飛躍の年になりそうだが、その陰で、妻の前田愛(35才)の献身的な働きがあった。 歌舞伎の名門『中村屋』と『成駒屋』は、東京・日本橋にある老舗蕎麦店でひとときを過ごすのが大晦日の恒例となっている。「1年を振り返りながら談笑し、卵焼きやあさりをつまみ、最後にはお蕎麦で締めるというのが毎年の行事となっています。もう50年以上続いていますが、今年は少し例年と様子が違ったようです。勘九郎さんは『紅白歌合戦』の審査員を務めるなど多忙だったため来ていませんでした。中村芝翫さん(53才)の姿もありませんでした」(常連客) その日訪れたのは、勘九郎の弟・七之助(35才)と妻の前田たちだった。勘三郎さんの夫人の好江さん(59才)、姉で女優の波乃久里子(73才)、そして好江さんの母で、中村芝翫の母でもある雅子さん(82才)の姿もあった。 その傍ら、高齢の雅子さんをサポートしていたのが、前田だった。「その日、勘九郎さんがいない中で、お子さんの面倒を見ながら雅子さんもサポートするという“梨園の妻”の務めをしっかりと果たしていました。毎年、芝翫さんの妻の三田寛子さん(52才)が雅子さんをエスコートするのが恒例でしたが、今回は三田さんがいらっしゃらず、前田さんが積極的にお手伝いをしていました」(前出・常連客) 子役出身の前田は、2009年に勘九郎と結婚して以来、長くいた芸能界と距離を置き、内助の功に徹してきた。「結婚直後から贔屓客の名前を覚えて梨園の妻としての務めを果たし、勘九郎さんを支えながら2人の男の子を産み育て、そして、一切、愚痴を言いません。中村屋の男性は代々、鍵を持たずに出かけるため、勘九郎さんの帰りがどんなに遅くなっても、鍵を開けて待っています。デキすぎた妻だと評判です」(歌舞伎関係者) 夫の活躍の裏に、妻の八面六臂の支えがあるようだ。※女性セブン2019年1月17・24日号
2019.01.09 07:00
女性セブン

『あぶない刑事』の浅野温子が刑事ドラマで画期的だった理由
その時代ごとに名作が生まれた刑事ドラマでは、常に女性刑事が物語の大事なカギを握ってきた。同僚刑事との恋愛や結婚の話が絡む関根恵子や長谷直美(いずれも『太陽にほえろ!』)のような“庶民派”、一瞬で場を明るくする浅野ゆう子(『太陽にほえろ!』)や関谷ますみ(『特捜最前線』)のような“マスコット派”、本格的な捜査をする藤田美保子(『Gメン’75』)や江波杏子(『非情のライセンス』)のような“ハードボイルド派”──。 映画監督の樋口尚文氏によれば、1970年代の刑事ドラマにおける女性の役割は主に3つに分類できる。1980年代もその傾向が続く中、1982年の『女捜査官』(テレビ朝日系)はタイトル通り、女性が主人公となる。フリーピストルの五輪代表候補だった女性警官の樋口可南子と教官の樹木希林が刑事に抜擢されるという設定で、樋口がホステスに扮したりもした。翌年には『新・女捜査官』(テレビ朝日系)で25歳の名取裕子が抜擢される。大ヒットまでには至らなかったが、歴史を振り返る上で欠かせないシリーズだ。 従来の女性刑事のイメージを覆したのは、1986年開始『あぶない刑事』(日本テレビ系)の浅野温子だ。社会学者の太田省一氏が話す。「署内で、馴れ馴れしく柴田恭平や舘ひろしに接していた。つまり、女性が“紅一点”から“同僚”に格上げされたんです。折しも、この年に男女雇用機会均等法が施行。そんな社会情勢も反映されているのでは」 浅野はそれまでの女性刑事と一線を画した。橋の上で機動隊が数十人向かってくる中、1人で止めに入るシーンを演じた時には、踏み倒されて顔に大きな靴跡がついていた。企画に携わった岡田氏が振り返る。「浅野君は、コミカルな演技も平気でやるんですよ。脚本に描かれているシーンをどう演じるかは俳優さんにかなり任せていました。署内の場面はふざけないでくれと何回か言ったのですが、全然効き目がなくて大騒ぎしていましたね(笑い)」 バブル景気に沸く1988年1月、フジテレビで異色の刑事ドラマ『君の瞳をタイホする!』が始まる。キャッチコピーは“アフター5は恋が事件(ヤマ)”。捜査シーンはほとんどなく、浅野ゆう子や三田寛子など“刑事の恋愛模様”がテーマだった。「それまでのドラマは人物や職業を描いていましたが、80年代後半から90年代にかけて恋愛が中心になる。そのキッカケとなった作品です」(樋口氏) 従来の形式では視聴率が取りづらくなっていく中で、女性刑事の役割も徐々に変化していく。◆取材・文/岡野誠※週刊ポスト2018年10月26日号
2018.10.20 07:00
週刊ポスト

83年デビューアイドル7人 再会のタイミングが神ってた
小泉今日子、中森明菜、三田寛子など1982年にデビューしたアイドルは「花の82年組」と呼ばれたが、翌1983年デビューのアイドルたちは“不作”と評され、苦難の芸能人生を送ってきた。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成、11月には2日間限定のライブを開く。アメリカ・シアトル在住のメンバー・徳丸純子を除いた6人、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、松本明子、森尾由美が集まって語り合った。大沢:「再び集まろう!」となったキッカケは、私が何年か前に番組の企画で「同期に会いたい」と言ったことで、明子や靖子、千絵ちゃんと30年ぶりに再会したことだったよね。松本:うん。逸美ちゃんにだけ知らされてないサプライズ対面の企画だった。桑田:私はその頃、長らく休んでいた芸能活動を再開し始めた頃だったなぁ。みんなとの再会は本当に久しぶりで楽しかった。話が尽きなくて連絡先も交換したけど、実は内心、「社交辞令だろうし次はないだろうな」って思ってたの。小林:なんでよ(笑い)。でも実際にその時から、会う頻度が増えていったよね。大沢:うん。再会直後に靖子の単独ライブがあった時も、このメンバーでお花を出したもんね。木元:私は結婚してアメリカに移住した(徳丸)純子と大阪で再会してたの。それで逸美ちゃんに「いま純子といるよ~」って電話したんだよね。大沢:そうだったねー。さらに同時期、私と由美も偶然バラエティ番組で共演してさ。森尾:それぞれが次々と再会していく感じが、まさに神がかってたよね。で、その後、初めて7人で揃ってランチをした。木元:ランチなのに5時間も話し込んだよね。松本:初めて集合した時はみんな号泣、号泣だった(笑い)。森尾:千絵ちゃんの旦那さんがその感動の再会シーンをずっとビデオで撮ってくれててさ。小林:あれは宝物だよね~。森尾:うん。あれはライブで流して皆にも見せたいな。◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。撮影■井上たろう※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.12 07:00
週刊ポスト

中村玉緒、松原千明、仲間由紀恵… 浮気「サレ妻」芸能人今昔
豊臣秀吉は20人、勝海舟と田中角栄は5人。それは彼らが「お妾さん」として、妻のほかに関係を持っていたとされる女性の人数だ。「女遊びは芸の肥やし」といわれる芸能界ではとくに顕著で、“日本一豪快な俳優”といわれた故・勝新太郎さん(享年65)はその代表格。 1961年に中村玉緒(79才)と結婚したあとも、女優の原田美枝子(59才)をはじめとして流した浮き名は数知れず。中村は「今どの人とつきあっているのかわからないくらい多くて、やきもちを焼く暇がなかった」と振り返っている。しかし勝さんに怒りをぶつけることも三行半を突きつけることもなくふたりは添い遂げた。「女は黙って許す」が当時のスタンダードだったのだ。 1970年代に入り、女性の社会進出が進むにつれ、妻が声を上げはじめる。象徴的な夫婦が1975年に結婚した、峰竜太(66才)と海老名美どり(65才)。1982年に峰の“7年目の浮気”が週刊誌にキャッチされるやいなや妻の美どりは大激怒。峰は前代未聞の「妻同席で不倫釈明会見」を開いて謝罪。怒り狂った妻から殴られ蹴られ、散々な目に遭ったと語っている。 浮気が原因で悲惨な姿をさらすことになったのは、石田純一(64才)も同じ。1996年、モデルの長谷川理恵(44才)との8年にわたる不倫を芸能リポーターから追及され、苦し紛れに発した「不倫は文化」発言が大バッシングを受け、仕事は干され、妻の松原千明(60才)とも離婚した。 この頃から結婚や出産をしても仕事を続ける女性が増え、離婚してもシングルマザーとして子供と一緒に生きてゆくことができるようになってきた。ママタレとして活躍するスザンヌ(31才)や小倉優子(34才)もその一例だ。 彼女たちのように夫をバッサリ切り捨てる「サレ妻」(浮気された妻)が増える一方で、夫婦関係をしっかり「やり直す」妻もいる。2016年にカリスマ美容師との密会現場がスクープされた田中哲司(52才)の妻・仲間由紀恵(38才)は改心した夫を受け入れ、今年6月に双子を出産。中村芝翫(52才)の浮気を知っても、妻・三田寛子(52才)は笑顔でフォローした。 はたまた、2017年に渡辺謙(58才)の浮気を知った南果歩(54才)は1年の別居を経て離婚する道を選んだ。※女性セブン2018年9月13日号
2018.09.04 11:00
女性セブン

海老蔵や寺島しのぶなど歌舞伎の名家の子が有名私立に通うワケ
お受験の季節が本格到来している。最近では芸能人の中では分散傾向にあるという“志望校”だが、例外は歌舞伎俳優たちだ。「稽古の合間に、息子の勸玄くん(5才)と二人三脚で対策に励む市川海老蔵さん(40才)の志望校は、都内の富裕層が集まる有名私立。勸玄くんと同じく、今年受験を控える寺島しのぶさん(45才)の息子・眞秀くん(5才)もこの学校を志望校としているそうです。上級生には三田寛子さん(52才)や香川照之さん(52才)の子供たちの姿もあり、まさに“歌舞伎俳優御用達”の学校なのです」(歌舞伎関係者) その理由は、“エスカレーター制”にある。「歌舞伎は年間通して舞台があるため、学業との両立が難しく、受験となればかなりの苦労を強いられます。その点、一度入学してしまえばよっぽどのことがない限り進学できる同校は安心して舞台に打ち込める環境なのです。また、卒業生にも歌舞伎役者が多く、先生たちの芸事への理解も深いうえ、新入生にとっては上級生にお兄さん格の先輩役者たちがいるから心強いのだそう」(同前) 日本の伝統芸能は、“エスカレーター制”が支えているのかも。※女性セブン2018年9月6日号
2018.08.28 07:00
女性セブン

城田優&すみれが見せた“神スタイル”2ショット
城田優(32才)とすみれ(27才)という長身ふたりの奇跡的な2ショットをキャッチした──。「やばいやばい! 足ながっ!」「えっ、何かの撮影?」。寒風吹きすさぶ2月上旬の週末の深夜。0℃近くまで冷え込んだ東京・麻布十番の商店街を歩く男女に、すれ違った人たちが思わず振り返り、熱い視線を送る。 その先にいたのは、城田優とすみれ。城田は黒いジャンパーに黒のゆったりしたパンツ、すみれは大きめの革ジャンに黒の細身のパンツ姿。身長190cmと175cmの“神スタイル”な2人が全身黒でバッチリ決めているのだから、周囲の目を引かないはずがない。 その1時間前、2人は近くの高級焼肉店にいた。城田とすみれがいた半個室からは、盛り上がる大勢の声が聞こえてきたという。「その日は2月19日が誕生日の薬丸裕英さん(52才)の、少し早めのバースデーパーティー。薬丸さんの娘さんがサプライズで企画したもので、プライベートでも親しい三田寛子さん(52才)や早見優さん(51才)、千秋さん(46才)、杉浦太陽(36才)・辻希美(30才)夫妻、有村昆さん(41才)、大渕愛子さん(40才)らが本人には内緒で参加していました。 バルーンやアレンジメントフラワーを飾り、薬丸さんが半個室に入るや、みんなでクラッカーを鳴らして祝福したそうです。城田さんとすみれさんもそのメンバーで、薬丸さんは集まった面々に驚いて、すごく嬉しそうな様子だったと聞きました」(出席者の知人) 薬丸は17年間司会を務めた『はなまるマーケット』(TBS系)や歌手、俳優活動を通じて交遊関係が広く、芸能人同士が「ヤックン会」を通じて知り合うことも多いという。「(妻である)石川秀美さん(51才)は子供の留学を機にハワイに拠点を移していて、薬丸さんは普段、週末ごとにハワイに通う生活を続けています。だからこそ、クリスマスや誕生日など定期的に自宅でパーティーを開いて友人と集まる機会を作っているそうで、城田さんやすみれさんも多忙な合間を縫って駆けつけるそうですよ」(前出・知人) 冷え込みがますます厳しくなった深夜0時すぎ。サプライズパーティーを終えた城田とすみれは、薬丸の娘とパーティーの余韻にひたりながら、繁華街へと向かった。※女性セブン2018年3月8日号
2018.02.21 16:00
女性セブン

世間の常識の二歩先を行く「小泉今日子」という生き方
放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、小泉今日子という存在について改めて考察する。 * * *「小泉今日子 不倫公表!!」「豊原功補と『恋愛関係』」「すべてをこの身で受け止める」「豊原家族に謝罪」「新たなスタート」 小泉今日子が1日、個人会社『明後日』(あさって)のHPでデビュー以来所属していた事務所からの独立と、かねてからウワサがあった豊原との交際も明らかにした。 それを受けて、一面で報じた日刊スポーツの見出しや小見出しが前述の5本。担当デスクによる「不倫バッシングの中、“キョン2”流正義感」なるコラムも付いていた。 ワイドショーは、朝帯や午前中の番組は取り上げていた。が、それらは、MCやコメンテーターがそれぞれの見解を延々と述べてきた過去の不倫騒動とは大きく異なり、サラリとしたものだった。 代表的意見は「小泉さんも豊原さんも大人。大人の二人が決めたことなのだから、他人が何か言うことではない」で、小泉今日子の潔さや正直さが評価される内容だった。 私がチェックした限り、昼帯や午後帯のワイドショーでこの件を取り上げた番組はなかったのではないか。2日は、数日前からトップで票読みをしてきた相撲協会の理事選当日であり、特に午後帯の番組はオンエア中に投票結果がわかるということで“理事選シフト”で動いていたからだ。 だが、いろいろ聞いてみると、取り上げなかった昼帯や午後帯のワイドショーの中には、「円満退社」とは言われながらも、小泉の前所属事務所に忖度した番組もあったようだ。 円満退社は事実であり、同社のトップアーティストとして長年活躍し、近年も『あまちゃん』(NHK)や『続・最後から2番目の恋』(フジテレビ系)での演技がドラマ関連の賞で評価されたり、主演舞台『草枕』は紀伊国屋演劇賞や読売演劇大賞に輝いたりしている。そして『黄色いマンション 黒い猫』での講談社エッセイ賞獲得は昨年のことである。 50代になってもなお、第一線で活躍する所属タレントと事務所がうまくいっていないハズはなく、繰り返しになるが、関係はいいのだという。 ただ、1月いっぱいでCM契約がなくなったため、事務所に迷惑をかけないタイミングで小泉今日子が決断したのだと聞く。もちろん、そこには、自分の仕事も全部なくなってもいいという覚悟がある。 小泉や豊原がマスコミ宛てに出したコメントを読み解くと、唯一、報道統制への不満があったことが伝わってくる。「すべてをこの身で受け止める」は、「いままで守ってくれてありがとうございます。でももう私は自分の身は自分で守ります」という旅立ち宣言と私は読んだ。 さて、これまでにもさまざまな媒体で書いてきたが、私が新卒でラジオ局のリポーターの仕事を始めたのが1980年。その2年後に『私の16才』でデビューしたのが小泉今日子で、彼女は、前年秋にデビューした松本伊代を含め、堀ちえみ、石川秀美、早見優、中森明菜、新井薫子らと共に、「花の82年組」と呼ばれたものだ。 なぜ、レコード会社、芸能プロダクション各社がイチオシの女性アイドルを一斉にデビューさせたかというと、それは80年にデビューした松田聖子に対抗できる女性アイドルを誕生させるためだった。 髪型は横並びの聖子ちゃんカットで、衣装はフリフリ、アイドルスマイルを浮かべ、当時、各テレビ局、ラジオ局に存在した音楽賞の新人賞を順番に獲っていった彼女たち。 三田寛子、松居直美らを含め、多くの同期がいまも芸能界で活躍しているのは、ライバルでもあり、仲良しでもあった彼女たちが、それぞれ、誰かとかぶらない個性や才能を意識的に伸ばしていったからではないか。「お人形さん」と呼ばれることもあった当時の女性アイドルだが、82年組は芸能界全盛期で仕事もふんだんにあったからか、それぞれ「自分」をもっている女の子たちのように私には見えていた。 あまり比べたくはないのだが、その最たるものが小泉今日子だったのは確か。なんせ、デビュー曲の『私の16才』を、「こんな演歌みたいな歌、イヤだ」と“主張”していたのだから。 確かに小泉今日子は、なぜかデビュー曲も2曲目もカバー曲で、オリジナル曲でヒットを飛ばす同期を羨ましく思っていたのかもしれない。 とは言え、いまでも時折“お宝映像”としてオンエアされる『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に初登場したときの小泉は、CM中、緊張の面持ちでスタンバイしているのに、フロアディレクターがカウントし始めると3秒前から完璧なアイドルスマイルを浮かべた、ある意味、プロ中のプロ。 昔話ばかりで恐縮だが、ラジオ局の文化放送が開催していた『新宿音楽祭』のステージでは、心無いファンから生卵をぶつけられるハプニングもあった。小泉今日子を狙ったものだったかは不明だが、そのとき「あんなにかわいい衣装が汚れてかわいそう。私に当たれば良かったのに」と言っていた中森明菜といちばん仲良しだった小泉今日子。タイプは異なるが、アイドル史の中で「枠にとらわれない」代表格がこの二人だったように思う。 とにかく小泉今日子はアイドル時代から“自立”していた。一人暮らしも早かったし、クルマの運転もしていた。戦略的というのではないけれど、彼女が発したなんてことはない言葉がトレンドになっていったものだ。たとえば「深夜のおにぎり買い出し作戦」。コンビニエンスストアが24時間営業になり、コンビニのおにぎりがポピュラーになったことに気づき始めた人たちが居たものの、女性アイドルが「深夜」に「コンビニおにぎり」を「買い出し」に行く「作戦」の後に、自室で何が行われるのかと、ファンよりも業界人が想像を膨らませた。もしかして、女子会の元祖は小泉今日子が作ったかもしれないと思うほどである。 実際、芳本美代子や観月ありさ、荻野目洋子など、後輩アイドルの中でも、ただカワイイだけではないタイプを小泉は好み、彼女らは「小泉組」と呼ばれていた。 すごく憶えているのは、小泉が観月に「ファッションショーのお仕事は、やったほうがいいんじゃない?」というアドバイスをしていたこと。いまでこそ、モデルはもちろん、女優としてのポジションを確立してもランウェイの出演歴をプロフィールに載せる女性芸能人は後を絶たないが、当時は、アイドルや女優、歌手よりモデルが格下だった時代。それでも、ファッショナブルであることがカッコイイと小泉は信じ、後輩にもそれを伝えていたというワケだ。 そして先日、『1周回って知らない話』(日本テレビ系)で荻野目洋子から聞いたのは、小泉の運転するクルマの助手席に乗って、深夜、ドライブに出かけたという話。荻野目ちゃんから見た小泉は、本当にカッコイイお姉さんだったことだろう。 大人になってからのエピソードとしては、飯島直子やYOUが、小泉にビルを建ててもらって「みんなで一緒に住みたい」と言っていたことだ。姐御肌の小泉を慕っている女性のタイプを見ると、小泉の影響を大きく受けている者ばかりであることもわかる。 小泉今日子の個人会社『明後日』は、もちろん、彼女の名前に入る「今日」に絡めたものだろう。「明日」ではなく、さらに一日先の「明後日」で、読みも「あさって」としたところが、いかにも小泉らしいではないか。 人でも物でも、多くの人気を得るためには、ちょっと手を伸ばしたところに居たり、半歩先を行ったりすることだと言われてきたが、小泉今日子は、凡人が手を伸ばしても届かない、一歩ではなく二歩先を行く人なのだ。今回の一件で改めてそれがよくわかった。彼女はこの先、何を発進するのか? 目が離せない。
2018.02.04 07:00
NEWSポストセブン

市川海老蔵 弟分・坂東巳之助の披露宴欠席の無念
《いまママがいない事を悲しんで涙ながしていました。勸玄が明確に認識して涙を流した事を初めて見ました。 わかるよ。としか言えない父親、抱きしめるしかできない父親、辛いです。母親の温もりを沢山感じさせてあげたい思いが私の中で大きなものとなっています。》 1月日、市川海老蔵(40才)はブログにそう綴った。麻央さん(享年34)が天国へと旅立ったのは、2017年6月22日のことだった。その翌日、公演中の海老蔵に連れられた勸玄くん(4才)は、舞台裏で麗禾ちゃん(6才)や他の出演者たちとの変顔ごっこや追いかけっこに、無邪気な声をあげていた。それから半年以上の月日が経ってはじめて、勸玄くんは、そこにあるはずの「母の愛」を失ったことに気づいたのだろう。 海老蔵が、父の葛藤を吐露した翌28日、帝国ホテル(東京・千代田区)の孔雀の間で、盛大な結婚披露宴が行われた。中心にいたのは、坂東三津五郎さん(享年59)と元タカラジェンヌの寿ひずる(63才)の長男・坂東巳之助(28才)だった。 松本白鸚(75才)をはじめ、松本幸四郎(45才)、中村芝翫(52才)・三田寛子(52才)一家、片岡愛之助(45才)・藤原紀香(46才)夫妻、中村勘九郎(36才)、市川猿之助(42才)、香川照之(52才)、市川右團次(54才)、中村獅童(45才)、尾上松也(33才)といった豪華な顔ぶれが集結。歌舞伎界以外からも、奥田瑛二(67才)・安藤和津(69才)夫妻などが出席した。「司会を務めたのは松尾貴史さん(57才)。キャビアや高級食材をふんだんに使った超豪華な料理に驚かされました。花嫁が以前、サンリオピューロランドに勤めていたそうで、余興にキティちゃんが登場して社交ダンスを披露したりと大盛り上がりでした」(参加者) 会場には海老蔵の母・希実子さんの姿もあった。「もともと、三津五郎さんと(海老蔵の父)團十郎さんの仲がよくて、團十郎さんが病に倒れたときには、『勧進帳』の弁慶の代役を三津五郎さんが務めたほど。三津五郎さんは海老蔵くんにも目を掛けていましたし、海老蔵くんも父の恩人でもある三津五郎さんを心から尊敬していました。三津五郎さん亡き後は、巳之助くんのことを弟のようにかわいがっていました。ところが、披露宴に海老蔵くんは出席していなかったんです」(別の参加者) 成田屋の跡取りに生まれた重圧で、かつて歌舞伎の世界への反発を繰り返した海老蔵。一方、巳之助は三津五郎さんが寿と離婚し、2年ほどで父が離婚原因と噂された近藤サト(49才)と再婚したことに不信感を強め、その後高校を中退。とんかつ店でアルバイトするなど、歌舞伎の世界から完全に離れた時期がある。「巳之助さんが再び歌舞伎俳優を目指そうとしたとき、相談に乗っていたのが海老蔵さんだそうです。昨年7月の歌舞伎座公演では、海老蔵さんの親獅子・巳之助さんの仔獅子で『連獅子』を演じました。連獅子は、親獅子が仔獅子を谷底に突き落として成長を見守るというもの。三津五郎さんに代わって、巳之助さんを見守っているという海老蔵さんからのメッセージとも思えたほどです」(歌舞伎関係者) そんな弟分の晴れの日に、なぜ海老蔵は姿を見せなかったのだろうか。「麻央さんの“喪中”のため、慶事に顔を出すことができなかったんです。神道では、故人の魂が和み鎮まるのに1年かかるという考えがあるそうで、それがいわゆる喪中に当たるそうです。駆けつけたい思いはあったでしょうが、その場に行くことができなくても、巳之助さんに心から祝福のエールを送っていたと思いますよ」(前出・歌舞伎関係者) 2人がまた並び立つ日が楽しみだ。※女性セブン2018年2月15日号
2018.02.02 07:00
女性セブン

花の82年組 小泉今日子による「アイドルの刷新」の功績とは
“花の”と冠が付くほど隆盛を極めた1982年デビュー組のアイドルたち。小泉今日子や早見優、原田知世、堀ちえみなど綺羅星のごとき逸材が続出した。そんな82年組の中でも大成功を収めた中森明菜『少女A』の作詞家・売野雅勇、『ザ・ベストテン』司会者・松下賢次、著述家・太田省一の3氏が、あの時代と「花の82年組」を振り返る。太田:82年組アイドルでは、小泉今日子さんは欠かせないですね。アバンギャルドな仕事も軽々こなしながら、輝き続ける。アイドルの概念を新しくした別格の存在。売野:僕、彼女にものすごく詞を書きたかったんですよ。彼女の持つフィーリング、モダンな感覚がとても好きで。YMOに通じる素養を持っていて、アイドルを超えたポップアイコンだった。中森明菜さんに書いていたせいか、なぜか僕には発注が来ませんでした。松下:一時期、キョンキョンは「Kyon2」と表記していましたよね。アイドルというより、自然な感じの人でしたね。『キスを止めないで』を歌う時に穿いていた毛皮のミニスカートが本当にかわいくてね(笑い)。売野:堀ちえみさんにもシングル3曲の詞を書きました。僕は彼女にすごくセクシャリティを感じたので、『夢千秒』では「私の素肌は綺麗でしょうか」という詞も綴りました。太田:『スチュワーデス物語』(TBS系)の「ドジでのろまな亀」という台詞の印象が強いので、セクシャリティとは意外ですね。松下:売野さんは、本性を見抜いていたんですね(笑い)。売野:82年組の登場でパラダイムシフトが起こって、それ以前のアイドルは少し古く見られるようになった。その影響で、1980年デビューの河合奈保子さんのプロデューサーが実験的に作曲を筒美京平さん、作詞を『少女A』の売野に頼み、1983年6月の『エスカレーション』が生まれたんです。「モラルを誰でも心の中で乗り越えている」というコンセプトで、セクシャリティに踏み込みました。彼女のイメージとのギャップが大きくて批判もあっただろうけど、売り上げ枚数は彼女のシングルの中で1番でした。太田:82年組は他のアイドルの歌にも影響を与えていたんですね。彼女たちのデビュー前後から、アイドルに興味を持つ世代が広がり始めたような気がします。 1970年代までは高校生で卒業するという風潮がありましたが、僕が大学2年の1980年くらいから『よい子の歌謡曲』というアイドル同人誌が大学の書籍部に堂々と置かれるようになり、衝撃を受けました。「三田寛子の『駈けてきた処女』って井上陽水の作曲なのか」と作家陣にも敏感になっていった。売野:高度成長を経て、経済的に成熟した1980年代を迎え、パトロン的なものがアイドル文化に繋がったこともあるでしょうね。太田:1970年代に築かれたアイドル文化が、東京(=TOKIO)がテーマパークのような華やかさと軽さを醸し出し、消費の誘惑が漂い始めた1980年代に花開いた。その中心に、花の82年組が存在していたと思います。●松下賢次(まつした・けんじ)/1953年3月2日生まれ、東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、1975年にTBS入社。プロ野球やゴルフなどの実況を中心に活躍。1986年10月2日から2年3か月にわたって『ザ・ベストテン』の司会を務める。自身の結婚式には中森明菜、近藤真彦、田原俊彦などが出席した。●売野雅勇(うりの・まさお)/1951年2月22日生まれ、栃木県出身。上智大学文学部英文科卒業後、コピーライター、雑誌編集長を経て、1981年に作詞家デビュー。1982年に中森明菜『少女A』でブレイクし、チェッカーズ『涙のリクエスト』、郷ひろみ『2億4千万の瞳』、荻野目洋子『六本木純情派』などヒット曲多数。●太田省一(おおた・しょういち)/1960年11月13日生まれ、富山県出身。社会学者、著述家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。アイドルや歌謡曲、お笑いなどに造詣が深い。著書に『アイドル進化論』(双書Zero)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『木村拓哉という生き方』(青弓社)など。※週刊ポスト2018年1月26日号
2018.01.21 07:00
週刊ポスト

中森明菜、原田知世など 82年組アイドルファイル【その2】
現在のスターたちの原点を知るうえで、大量のアイドルがデビューした“花の82年組アイドル”の歴史は欠かせない。中森明菜、原田知世、つちやかおりなど、懐かしのアイドルファイルを紹介しよう。【凡例】(1)生年月日(2)出身地(3)芸能界入りのきっかけ(4)レコードデビュー日/年齢(5)デビュー曲(6)キャッチフレーズ(デビューシングルの広告コピーなどから判断)(7)略歴など。【北原佐和子】(1)1964年3月19日(2)埼玉県(3)モデル活動からスカウトされた(4)3月19日/18歳(5)『マイ・ボーイフレンド』(6)さわやか恋人一年生(7)スカウト後、「ミス・ヤングジャンプ」に選ばれる。1981年に真鍋ちえみ、三井比佐子とともに「パンジー」を結成。グループのトップを切り、ソロでレコードデビュー。当初は『パッとパンジー』という別の曲が予定されていた。【早見優】(1)1966年9月2日(2)静岡県(3)ハワイ三越のエレベーター内でスカウトされた(4)4月21日/15歳(5)『急いで! 初恋』(6)少しだけオトナなんだ……(7)熱海で生まれ、3歳からグアム、7歳から14歳までハワイで育つ。アメリカンテイストをアピールし、コカ・コーラのCMでは特技のローラースケートを披露。1983年の『夏色のナンシー』以降、3年連続で紅白歌合戦出場を果たした。【中森明菜】(1)1965年7月13日(2)東京都(3)『スター誕生!』(4)5月1日/16歳(5)『スローモーション』(6)ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)(7)デビュー当初、「好きなアーティスト:矢沢永吉、桃井かおり」と明記。1983年2月27日のコンサートでは、客席にいた三田寛子と川田あつ子をステージ上に呼んで「私の親友の2人です」と紹介し、3人で『少女A』を歌った。【伊藤さやか】(1)1963年10月16日(2)愛知県(3)資生堂シャワーコロンのイメージガール(4)5月21日/18歳(5)『天使と悪魔(ナンパされたい編)』(6)──(7)1981年4月から『スター誕生!』のアシスタント。デビュー曲は異例のロックンロール風だった。1982年3月からドラマ『陽あたり良好!』(日テレ系)にヒロインとして出演。「目標は矢沢永吉さん」と公言していた。【水野きみこ】(1)1965年5月11日(2)愛知県(3)東京音楽学院の名古屋校に入校し、スクールメイツに(4)5月25日/17歳(5)『私のモナミ』(6)はにかむキミが好きなんだ!(7)渡辺プロの東京・国立寮で生活。部屋にはチューリップのポスターや財津和夫写真集も。1982年3月から『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)の『マッチの映画コーナー』で近藤真彦の妹役に。【つちやかおり】(1)1964年8月26日(2)東京都(3)『3年B組金八先生』(4)6月21日/17歳(5)『恋と涙の17才』(6)恋と涙の17才(7)デビュー曲は1963年のレスリー・ゴーアの『You Don’t Own Me』をカバー。レコード会社は甲斐バンドやオフコース所属の東芝EMIで、歌番組に出ず、アルバムで勝負する方針だったという。中森明菜は明大中野高の1年後輩。【原田知世】(1)1967年11月28日(2)長崎県(3)角川・東映大型女優一般募集オーディション(4)7月5日/14歳(5)『悲しいくらいほんとの話』(6)──(7)当時の雑誌に「好きな食べ物:メロン、スイカ」「嫌いな食べ物:いくら、塩辛」と明記。1982年にドラマ『セーラー服と機関銃』でデビュー。1983年の主演映画『時をかける少女』は興行収入28億円で、邦画では『南極物語』に次ぐ2位となった。【坂上とし恵】(1)1964年3月16日(2)広島県(3)東京音楽学院の広島校に入校し、スクールメイツに(4)7月21日/18歳(5)『き・い・てMY LOVE』(6)おっと・と・と……あら失礼! とし恵はオチョコでコケッティー(7)デビュー年に日高のり子、浜田朱里と『がけっぷちトリオ』を結成。1985年11月14日、野々村真と初デートし、ちょうど10年後に婚約発表。2児をもうけ、長女の香音もタレントに。※週刊ポスト2018年1月26日号
2018.01.19 16:00
週刊ポスト

白石まるみ 55歳の今は舞台でアイドル気分を満喫中
原田知世に小泉今日子に中森明菜……“花の”と冠が付くほど隆盛を極めた1982年デビュー組のアイドルたち。その中のひとりである白石まるみが、煌びやかなあの時代を振り返る。 * * * 歌手デビューしたのは19歳の時です。ファーストシングルは、松任谷正隆さん作曲、松任谷由実さん作詞の『オリオン座のむこう』。アルバム『風のスクリーン』のプロデュースも正隆さんです。 実は15歳の時、別のレコード会社から歌手デビューしないかとスカウトされました。『ムー一族』の一般公募で4万人の中から選ばれ、女優デビューしたばかりの頃です。でも、その若さで歌を出すことにためらって辞退し、歌手デビューは高校卒業後に。 ところが、時代はアイドル低年齢化の波が押し寄せていました。同じ82年に歌手デビューした堀ちえみちゃんが15歳、三田寛子ちゃんや中森明菜ちゃんが16歳。とにかく15~16歳の新人アイドル歌手ラッシュの中、私はかなり出遅れ感がありました。 楽屋では若いアイドルたちがみんな走り回っているんですよ(笑い)。そのノリについていけない私も、事務所から20歳まで恋愛禁止と言われていました。 煌びやかな時代でした。ただ、当時は今よりも現場のスタッフが厳しく、ピリっとした緊張感も漂っていました。 歌手側も商品としての意識が高く、特に82年組は頑張り屋が揃っていた。毎年多くの歌手がデビューしては消えていく世界で、今も根強く活躍している82年組は特別だと思います。 私は新人賞レースにも参加しましたが、アイドル歌手に向いていないと思い、歌手活動は1年でやめました。結局、歌番組にはビートたけしさん司会の『アイドルパンチ』など10本弱しか出ておらず、コンサートは一度もしていません。 だから、昨夏からレギュラーになった舞台『昭和歌謡コメディ』公演で衣装を着てデビュー曲を歌うシーンで、お客さんから紙テープを投げられるのが本当にありがたくて。自ら「ちょっぴり大人。白石まるみ、55歳です」とキャッチフレーズをつけて、ようやく人前で歌う楽しさを満喫しています。●しらいし・まるみ/ドラマや舞台で活躍。2018年は舞台『昭和歌謡コメディ』などに出演予定。2013年、芸能界初となる個性心理學の認定講師の資格を取得。2017年11月、著書『Animalogy 人間の取扱説明書』(牧野出版)を出版。講演活動も行なう。※週刊ポスト2018年1月26日号
2018.01.19 07:00
週刊ポスト

小泉今日子、石川秀美など 82年組アイドルファイル【その1】
現在のスターたちの原点を知るうえで、大量のアイドルがデビューした“花の82年組アイドル”の歴史は欠かせない。小泉今日子、三田寛子、伊藤かずえなど、懐かしのアイドルファイルを紹介しよう。【凡例】(1)生年月日(2)出身地(3)芸能界入りのきっかけ(4)レコードデビュー日/年齢(5)デビュー曲(6)キャッチフレーズ(デビューシングルの広告コピーなどから判断)(7)略歴など。【白石まるみ】(1)1962年11月27日(2)東京都(3)1978年のドラマ『ムー一族』(TBS系)の郷ひろみ恋人役のオーディション(4)1月21日/19歳(5)『オリオン座のむこう』(6)──(7)「歌手デビューは高校を卒業してからにしてください」と事務所に懇願。3年間歌のレッスンを続け、松任谷正隆・由実夫妻という黄金コンビによる楽曲で、満を持してデビューした。【川田あつ子】(1)1965年8月10日(2)東京都(3)『週刊ヤングジャンプ』のギャルズ・コンテスト1位(4)4月21日/16歳(5)『秘密のオルゴール』(6)君に感じて……(7)趣味はコケシのコレクション。『8時だョ! 全員集合』(TBS系)では歌詞を忘れて3回サビを歌った経験も。1993年、本名で高山厳に詞を提供。1999年、柳ユーレイと結婚。キューピッドは比企理恵だった。【小泉今日子】(1)1966年2月4日(2)神奈川県(3)『スター誕生!』(日本テレビ系)(4)3月21日/16歳(5)『私の16才』(6)微笑少女(びしょうじょ)(7)1982年10月の新宿音楽祭で、観客席から飛んできた生卵が当たる。壇上の出演者が唖然とする中、明菜が観客席側に身を挺して小泉を守った。2012年、休業中の明菜に小泉がラジオで「歌姫の歌、聴きたいなぁ」とエールを送った。【堀ちえみ】(1)1967年2月15日(2)大阪府(3)第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン(4)3月21日/15歳(5)『潮風の少女』(6)今日から、僕の隣には、いつもキミがいる。(7)10代の頃からきちんと領収書をもらっていたしっかり者。コンサート『ちえみちゃん祭り』では神輿に乗りながら熱唱した。3度の結婚を経て現在は7人の子供を持つママタレントとして活躍。【新井薫子】(1)1965年6月4日(2)愛知県(3)『プチセブン』モデル(4)3月21日/17歳(5)『虹いろの瞳』(6)瞳・少・女(7)約3年で活動休止すると、絵本作家の五味太郎に突然電話し、弟子入り。1986年に日本画で白土会入選。イラストなどを手掛けるマルチアーティストとして、1996年には原宿ラフォーレ前に設置されたパンツ丸見えの巨大なゴム人形をデザイン。【三田寛子】(1)1966年1月27日(2)京都府(3)『セブンティーン』のモデル(4)3月21日/16歳(5)『駈けてきた処女(おとめ)』(6)映像少女(7)デビューの時から毎月1万円の積立貯金をしていた堅実家。あのねのねの原田伸郎は三田のファンクラブに入るほどの大ファン(会員番号010713)だった。1985年、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーになり、天然ボケ連発で人気上昇。【石川秀美】(1)1966年7月13日(2)愛知県(3)第2回ヒデキ(西城秀樹)の弟・妹オーディション(4)4月21日/15歳(5)『妖精時代』(6)さわやか天使(7)デビュー月に出演CF『ハウスサラダチップス』が開始、松本伊代と柏原よしえが出演するバラエティ番組『ピンキーパンチ大逆転』のレギュラーに。1985年には、祝日化される前の『海の日』初のイメージガールになり、主題歌も担当。【伊藤かずえ】(1)1966年12月7日(2)神奈川県(3)小学校2年の時に東映児童劇団入り(4)4月21日/15歳(5)『哀愁プロフィール』(6)15歳、夢育ち。(7)山口百恵と同じ横浜市立瀬谷小学校出身。特技は日舞、津軽三味線、乗馬。真田広之主演で1981年12月公開の映画『燃える勇者』ではヒロイン役を演じた。1984年、大映ドラマ『不良少女とよばれて』(TBS系)でブレイク。※週刊ポスト2018年1月26日号
2018.01.17 16:00
週刊ポスト

花の82年組アイドル 芸能界で生き残っている人が多い理由
中森明菜、早見優、小泉今日子、堀ちえみなど1982年デビュー組のアイドルはなぜ“花の82年組”と冠が付くほど隆盛を極めたのか──。1980年代に脚光を浴びたミニコミ誌『よい子の歌謡曲』の編集者として、当時のアイドル界を体感した宝泉薫氏が語る。「1980年の後半に松田聖子を中心としたアイドルブームが起こりました。その波に乗ろうと事務所やレコード会社が準備を始め、1981年には間に合わなかったけれど、1982年に大量のアイドルがデビューした。同年の『赤いスイートピー』から聖子は同性にも受けるようになり、アーティスト化します。そこで、大きなアイドル枠が空き、ぶりっ子として振る舞う『聖子チルドレン』がたくさん生まれました」(以下、「」内は宝泉氏) その隙間をかいくぐり、トップに躍り出たのが中森明菜だった。「1980年デビュー組には三原順子のように、同年に引退した山口百恵の路線を狙うアイドルもいましたが、結果的に全く違うタイプの聖子が大ブレイクした。そのため、82年に百恵の系譜を受け継ごうとするアイドルはほとんどいなかった。 そうした中で、明菜が『スローモーション』のような“しっとり系”と『少女A』のような“ツッパリ系”のシングルを交互に繰り返して出し、ポスト百恵としての地位を獲得しました」 82年組からは革命児も生まれた。「1983年、小泉今日子が『聖子ちゃんカット』だった髪をバッサリ切り、聖子のエピゴーネン(模倣者)から抜け出しました。その後『活人』という雑誌の表紙で、全身を黒塗りするなどサブカル的な展開もし、独自のポジションを築いた。 1970年代にはアイドルは歌手へのステップでしたが、聖子がアイドル=職業にし、小泉が『なんてったってアイドル』と歌って、アイドル宣言をした」 やがて他の82年組も、もがいて活路を見出していく。「ブームだからこそ、持ち味を出していかないと生き残れない。石川秀美は足の美しさと速さを生かして芸能人運動会で活躍。堀ちえみはドラマ『スチュワーデス物語』のヒットもあり、親しみあるキャラクターに。 1970年代にアグネス・チャンが君臨した『輸入系アイドル』には、帰国子女の早見優が座りました。三田寛子は天然ボケという新たな分野を開拓した。熾烈な競争を戦い、テレビ全盛時代に毎日のように露出したことで、現在でも82年組には芸能界で生き残っている人が多いのでしょう」 現在のアイドルの原型を知るうえで、82年組の歴史は欠かせないのだ。※週刊ポスト2018年1月26日号
2018.01.17 07:00
週刊ポスト

紀香 義父との仲も良好「いつの間にこんな評判のいい妻に」
「結婚して2年。今もラブラブ」。そんなナレーションが入り、夫・片岡愛之助(45才)を支える藤原紀香(46才)がアップで映し出される。着物姿でかいがいしく楽屋を回る姿、世話を焼く姿、支える姿、気を揉む姿、お墓参りする姿、新婚旅行でハシャぐ紀香の姿──。12月10日の特番『片岡愛之助の生き方』(BSフジ)のワンシーンだ。約1年半にわたり密着取材を行ったという愛之助の素顔が明かされたが、「主役」はやっぱり紀香だった。「放送前の触れ込みは『歌舞伎に情熱を傾ける愛之助』特集でしたが、フタをあければ『梨園の妻・紀香』という感じでした(笑い)。小さく映っていても自然に紀香さんに目がいっちゃうんですよね。普段見られないふたりの姿満載で見所たっぷりでしたが、一部では結婚当初から“冷戦”状態といわれていた愛之助さんの“お父さん”がコメントも姿も一切出していなかったことが物議を醸しているようです」(芸能関係者) 愛之助が歌舞伎の師匠である片岡秀太郎(76才)の養子となったのは1993年のこと。翌1994年に秀太郎は27才下の女性と再婚しているので、紀香には“3才上”の義母がいる。“冷戦”のきっかけは2016年3月31日に行われたふたりの結婚報告会見だった。「秀太郎さんは結婚会見を見ていないと言い、梨園にとって大切な興行を控えていた直前の会見に苦言を呈しました。そして、興行初日に来るなと紀香さんに釘をさした。時期も考えずに結婚を強行したふたりに思うところがあったんでしょう。3才しか年が違わない嫁姑の仲を心配する声もありました」(歌舞伎関係者) それから2年、今なお関係は改善されていないままなのか…と思いきや事態は大きく変わったという。「紀香さん、最近はすごくうまくやっていますよ。贔屓筋の評判もいいですが、何かにつけてしっかりお義母さんに相談して時間があればすぐに大阪のお義母さんの元へ通って…とやってきたわけですから、自然と秀太郎さんも打ち解けたんでしょう。愛之助を頼む、よく面倒みてやってくれ、と声もかけているようです。いつの間にかしっかり味方につけているところがさすが紀香さんですね。秀太郎さんが番組にかかわらなかったのは不仲だからなんてないです。若い夫婦が遠慮しないように気を使ったんじゃないですか」(前出・歌舞伎関係者) 12月9日、銀座・歌舞伎座『十二月大歌舞伎』のロビーは騒然としていた。係員の制止を振り切って人々がカメラを構える先にいるのは、関係者受付に立つ紀香だった。「最近紀香さんがいらっしゃるとこんな感じです。三田寛子さん(51才)、寺島しのぶさん(44才)、松たか子さん(40才)がいらっしゃってもこうはなりません。意外とみなさん目立たないんです。でも紀香さんは、地味な色合いの着物で隅に立っているだけでもとにかく目をひく。写真を撮りたいと騒動になるので、係員も必死に制止していますが、止められない感じですね。 結婚当初はこんな光景も目立ちすぎるとバッシングされていましたが、最近は紀香さんのおかげでお客さんも増えているなんていう声の方が聞こえます。いつの間にこんな評判のいい妻になっていたんだと驚くくらい(笑い)。紀香さんは背筋をピンと伸ばして髪も盛り盛り気味にし、どこからでも撮ってくださいという完璧な笑顔を浮かべていますよ」(別の歌舞伎関係者) 紀香、ここにあり。※女性セブン2018年1月1日号
2017.12.15 07:00
女性セブン

近藤サト 離婚間近で「炎上狙い」のキャラ変画策?
7月30日の『サンデー・ジャポン』(TBS系)を欠席した西川史子(46才)の定位置に座っていたのは、なんとも珍しい人だった。「番組初出演の近藤サトさん(49才)でした。『出られる番組なら何でも出たい!』と言い続けてきた営業の賜物。西川さんの復帰が遅れた場合、近藤さんはあの席に座り続けるのでは? という噂も出ています」(番組関係者) 激やせの様子で心配されていた西川だが欠席の理由は胃腸炎。症状は軽く、大事をとっての措置で、数日で退院予定という。「ただ、西川さんは去年の5月、それから12月にも急性胃腸炎で番組を休んでいます。本人曰く、更年期障害の症状もあり、体調が万全とはいえません」(芸能関係者) その西川の席に座った近藤の毒舌は普段の西川以上で、視聴者を驚かせた。「過去の上品な女子アナキャラの面影はどこへやら。近藤さん自身、略奪婚で世間を騒がせたことがありましたが、完全に棚上げ状態。爆笑問題の太田光さん(52才)が、今井絵理子議員(33才)の不倫騒動の『一線を越えていない』というコメントを『ペッティング』とか『先っぽ』という言葉で揶揄していたのですが、近藤さんはそれを嫌がるどころか、同調するように『ペッティング』など平然と口にしていたので驚きました」(前出・番組関係者) 7月21日の『バイキング』(フジテレビ系)では、稲田朋美元防衛相(58才)について意見を求められ、安倍晋三首相(62才)へ「一緒に背負って出て行ってほしい」と“辞任勧告”。その後も過激発言を続けた。「これまで近藤さんはナレーションを中心に仕事をしてきました。それだけに今回の前のめり感と必死さは少し引いてしまうほどでした。2月の事件以降明らかに“キャラ変”しましたね。露出を増やそうと“炎上狙い”を模索しているようです」(前出・芸能関係者) 2月の事件とは近藤の夫の不倫騒動のこと。近藤は2000年に歌舞伎役者の坂東三津五郎さん(享年59)と離婚した後、2003年に実業家のI氏とできちゃった再婚している。「今年2月、『週刊文春』が近藤さんとI氏の別居と、I氏の不倫を報じました。三田寛子さん(51才)ばりに余裕の受け答えを見せていましたが、夫婦関係はすでに破綻していて離婚が近いようです。そもそもI氏の事業が芳しくなく、近藤さんは自力で稼ぐしかない。これまでの生活レベルを落とさずに、有名私立中に通う息子の学費を払い、また、3年前に都内の一等地に購入したマンションのローンもまだ残っているようですから…」(前出・芸能関係者) 火の車を避けられるなら、炎上なんてどうってことない。※女性セブン2017年8月17日号
2017.08.05 16:00
女性セブン
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