五社英雄一覧

【五社英雄】に関するニュースを集めたページです。

加藤雅也が振り返る、五社監督の「奥歯を噛みしめてくれ」
加藤雅也が振り返る、五社監督の「奥歯を噛みしめてくれ」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、モデルから俳優に転身した直後の加藤雅也が、故・五社英雄監督や坂東玉三郎に教えられたことについて語った言葉をお届けする。 * * * 加藤雅也は一九八八年に俳優としてデビュー、同年の映画『マリリンに逢いたい』で主演した。「僕は演技の勉強をしていなかったので、張子の虎でした。ですから、現場で勉強するしかありませんでした。 たとえば、別の作品ですがカメラマンの長沼六さん(六男)に『加藤さんは何をやり出すか分からないし、どう動くか分からないから、ミドルショットでほとんど押さえてるんだよね』と言われたんです。ミドルショットというのは、上半身が入るショットのことです。 ということは、クローズアップを撮る時はあまり動いちゃいけないんだ、とか。そういうことを現場で教えてもらいました。実は現実と違うテンポでやらないといけなかったりとか。『マリリン』の時は撮影開始の二週間くらい前に島に送られて『お前、そこに住んでろ』というところから始まりました。それで準備する時間がありました。 犬の話なので犬がNGを出したらこちらの演技がOKでもダメになった。先輩たちがOKを出していく中で自分がNGを出すと萎縮しますが、ここでは犬が先にNGを出してくれるので、少しだけ気が楽になりましたね」 翌八九年には五社英雄監督の映画『226』に出演、クーデターを起こす青年将校の一人を演じた。「五社さんは僕からすると大・大・大監督ですから。そのオールスター映画に選ばれたのは凄く光栄なことでした。『ああしなさい、こうしなさい』と言う人ではなくて、その人間を活かしてくれる監督でした。じーっと演技を見ていて、ここぞというときに近寄ってきて『奥歯を二、三回くらい噛みしめてくれ』みたいなことをおっしゃって。そうすると、それが苦悩の表情になるんです」 九二年に坂東玉三郎が監督した映画『外科室』では吉永小百合の相手役を務めている。「玉三郎さんは和製ヴィスコンティみたいな方で、とにかく『美しくなければならない』ということにこだわっておられました。それは言葉についてもです。たとえば『がぎぐげご』を全て鼻濁音で発声するとか、そういうことをたくさん教えてくださって、とても感謝しています。 ただ、その時の自分程度の俳優のレベルでは受け止めきれていませんでした。今聞いていたら、もっと吸収するものがあったと思います。 たとえば『おまえさんさ、もっと俳優として勉強しなければいけないことはいっぱいあるんだよ』と言われました。今なら歌舞伎を見る、古典を知る、そういったことの大事さは分かるわけです。でも当時は『やっていますよ、一生懸命』としか思えない。監督の歌舞伎を見せてもらっても『ああ、歌舞伎だな』としか思っていませんでした。 でも、ちゃんと勉強すれば自分の芝居やセリフ回し、所作のヒントになるはずなんです。『勉強しなさい』というのは、『やっている・やっていない』ということではなくて、『もっと勉強することがある』という意味なんだと今なら分かります」【プロフィール】かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。■撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2020年10月16・23日号
2020.10.12 16:00
週刊ポスト
時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
 新型コロナウイルス蔓延による外出自粛令が出ているが、自宅で過ごす今は、これまで手を出せなかった映画・ドラマに挑戦する絶好の機会だ。なかでも注目を集めているのが「時代劇」。新著『時代劇入門』がベストセラーになり、往年の名作を知り尽くす時代劇研究家・春日太一氏が、時代劇の魅力を存分に味わえる10作品を紹介する。 * * * 時代劇というと『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』といった、ワンパターンの勧善懲悪ものばかり―と思っている方は少なくないかもしれません。 でも、それは大きな誤解。アクションの多彩さ、感情描写の豊かさ、ストーリーの多様さ……時代劇は様々な魅力に富んだ奥深いジャンルです。 そしてなにより、そこに映し出されるのは現代と全く異なる空想の世界。外出自粛で気づまりな毎日、時代劇を観ながら一時だけでも現実を忘れてみてはいかがでしょうか。 今回は、配信や再放送でご自宅でも気軽に楽しめる時代劇作品を、幅広く集めてみました。まずはスケールの大きなアクションを堪能できる作品から紹介していきましょう。◆『隠し砦の三悪人』 黒澤明監督によるエンターテインメント大作です。『スター・ウォーズ』の原点になった作品でもあり、とにかく息をつかせない。 時は戦国時代。城を攻め落とされた姫を守って、敵の包囲網の中を同盟国まで送り届けようとする侍を三船敏郎が演じます。次々と襲い掛かるピンチを切り抜けていくサスペンス、馬を駆使したチェイスシーンと馬上での斬り合い―壮大なアクションに引き込まれます。◆『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』 小池一夫の人気劇画の映画化第6作。毎回、趣向を凝らしたアクションやバイオレンスが展開されていくシリーズですが、中でも本作は凄まじい。 特にラストは雪山での死闘。スキーを駆使して襲い掛かる柳生の忍者軍団に対して、主人公の拝一刀(若山富三郎)は乳母車をソリにして迎え撃つ。乳母車の上に仁王立ちになっての殺陣など、若山の身体を張ったアクションに注目です。◆『魔界転生』 天草の乱の絶望から魔界と手を結んだ天草四郎(沢田研二)が、その妖術により宮本武蔵(緒形拳)、宝蔵院胤舜(室田日出男)、柳生但馬守(若山富三郎)といった名だたる剣豪たちを仲間に引き入れ、幕府を滅ぼさんとする。そこに千葉真一演じる柳生十兵衛がたったひとりで立ち向かいます。 剣豪版アベンジャーズともいえる面々が勢ぞろいし、壮絶な死闘が展開される。千葉の躍動感あふれる殺陣に対し、若山、緒形は非常に重厚。その激突は手に汗握ります。◆『座頭市物語』 登場人物に感情移入できるのも、時代劇の大きな魅力です。 映画『座頭市物語』は、勝新太郎がその代名詞となるヒーロー・座頭市を演じたシリーズの第一作。盲目の按摩でありながら、居合の腕が凄まじい座頭市がやくざの抗争に巻き込まれていく。 釣りを通じて心を通わせるようになった肺病の浪人は、敵対する組織の用心棒だった―。組織から爪弾きにされた者同士の育む友情と、やがて斬り合わなければならない哀しい宿命が、詩情感あふれる映像の中で表現されていきます。◆『風の中のあいつ』 ショーケンこと萩原健一主演の青春時代劇です。清水次郎長を主人公にした時代劇では悪役として描かれる「黒駒の勝蔵」が主役に据えられ、その若き日のドラマが描かれます。当時の若者のアイコンだった萩原の演じる勝蔵は、決してヒロイックではありません。薄汚い身なり、猫背、うつむきがちな表情。現代劇と同じく、挫折感を背負った青年として演じていました。世間と折り合いをつけて生きられない若者の苛立ちと悲しみが心に響きます。◆『鬼平犯科帳』 盗賊たちを取り締まる火付盗賊改方長官・長谷川平蔵(中村吉右衛門)やその配下の同心や密偵たちの活躍が描かれます。 ハードボイルドな物語展開も大きな魅力ですが、なんといっても江戸情緒あふれる映像が素晴らしい。特に、エンディングロール。江戸の四季の模様がジプシー・キングスによる哀切なメロディに乗って映し出され、最高の余韻を与えてくれます。厳しさだけでなく、優しさや温かさに包み込まれる作品ですね。◆『女殺油地獄』 元禄時代の大阪が舞台。近松門左衛門の戯曲を原作にした男女の愛欲のドラマで、五社英雄監督の遺作です。 魔性の女・小菊(藤谷美和子)にはまり込んで身を崩していく油屋の若旦那・与兵衛(堤真一)と、その二人に嫉妬して与兵衛を誘惑する年増の人妻・お吉(樋口可南子)の織り成すエロティックな三角関係が、儚い映像美の中で描かれていきます。情欲に囚われた男女による、理屈を超えた心情の機微を樋口、堤、藤谷が見事に演じました。◆『闇の狩人』 江戸の裏社会に生きる人々の人間模様を、哀感とともに描いた池波正太郎原作のドラマです。 記憶喪失の剣客・弥太郎(村上弘明)と、なにかと彼の世話を焼く盗賊・弥平次(蟹江敬三)、弥太郎を殺し屋として使う香具師の元締め・清右衛門(田村高廣)、そして彼らに寄り添う女たち。 陰謀渦巻く殺し屋たちの非情な組織というハードボイルドな乾いた世界が、優しく温かい触れ合いとともに描かれ、孤独な心を抱いた者たちのドラマを際立たせています。◆『黄金の日日』 最後に、大河ドラマの中でも、特に歴史のロマンに浸れる2作品を紹介します。『黄金の日日』は、戦国時代の堺を舞台に、商人を主人公に据えた珍しい作品。堺の若者・助左衛門(六代目市川染五郎、現・二代目松本白鸚)が持ち前のバイタリティでのし上がっていく。実際にフィリピンでロケをした南蛮貿易や海賊との交流など、描かれる世界観の大きさも見どころです。 助左衛門の庇護者からやがて権力の亡者となり立ちはだかる秀吉(緒形拳)や、両者の間で葛藤する石田三成(近藤正臣)、助左衛門に協力しながら秀吉に対抗する石川五右衛門(根津甚八)など、脇のキャラクターも魅力的ですね。◆『武田信玄』 戦国最強の騎馬軍団を率いた甲斐の大名・武田信玄の生涯を描いた名作です。理想に燃える若者、頼りがいのある領主、老練な策略家―と年齢に応じて変わっていく信玄像を20代の若さで演じきった中井貴一が見事。 大河にありがちな気を緩めるようなホームドラマ要素は一切なく、ひたすら合戦と策略、人間の心の闇が描かれる。菅原文太、杉良太郎、西田敏行、平幹二朗ら豪華キャストの配役も完璧です。「時代劇だから」と構えることなく、興味のあるジャンルや好きな俳優の作品から挑戦してください。きっと心に残るシーンに出会えるはずです。※週刊ポスト2020年5月1日号
2020.04.22 16:00
週刊ポスト
ヤクザ映画TOP20調査 その変遷と証人たちが語る逸話
ヤクザ映画TOP20調査 その変遷と証人たちが語る逸話
『孤狼の血』を始め、日本のヤクザ映画が近年盛り返しを見せている。そこで本誌・週刊ポストは「好きなヤクザ映画」のアンケートを実施。読者1000人が選んだ傑作の1位に輝いたのは、『仁義なき戦い』(1973年)だった(別掲のランキング表参照)。「こんなに血みどろのヤクザ映画は見たことがなかった」(63歳自営業)「主人公・広能(菅原文太)の最後の言葉『山守さん、弾はまだ残っとるがよう』は、映画史に残る名セリフ」(68歳無職) 戦後、実際にあった「広島抗争」の当事者のひとり、美能組初代組長・美能幸三(広能のモデル)の手記が原作。同作でプロデューサーを務めた日下部五朗氏が語る。「正義なんざくそくらえ。きれいごとじゃない、裏切り裏切られの濃密な人間関係が画面に噴出していました。それまでのヤクザ映画といえば、任侠世界の様式美を描いてきましたが、次第に飽きられてきましてね。実録路線に舵を切った最初の作品が、『仁義なき戦い』だったんです。 ヒットの要因は、笠原和夫さんの脚本に尽きます。速射砲のような広島弁の応酬に、どこか気高さがあった。千葉真一演じる大友勝利の『あれらはオメコの汁で飯食うとるんで!』(シリーズ第2作『広島死闘篇』)という台詞なんか、文字にすると卑しいですが、声で聞くと美しくさえ感じる」 ヤクザの様式美を描いた「仁義以前」の作品も根強い人気を誇る。高倉健主演のヤクザ映画がその代表だ。『網走番外地』(1965年・2位)を始め、『昭和残侠伝』(1965年・5位)、『日本侠客伝』(1964年・6位)と3作がベスト10入りしている。 のちに高倉の主演作『三代目襲名』で脚本を務めた高田宏治氏が、高倉出演作品の魅力を語る。「戦後まもない1950~1960年代前半のヤクザ映画は、鶴田浩二さんの作品に代表されるように、情念に突き動かされる主人公たちの物語でした。しかし、高倉作品ではそこに理性が加わった。殺した後の虚しさや後悔が描かれたわけです。その哀愁を高倉さんは全身で表現した。様式美の高倉作品もまた、それ以前のヤクザ映画と比べて画期的だった」 引き合いに出た鶴田主演の作品も『人生劇場 飛車角』(1963年)が10位に入った。◆「題名だけいただきます」 女性目線でヤクザの世界を描いた作品もランクインした。『鬼龍院花子の生涯』(1982年・8位)、『極道の妻たち』(1986年・4位)だ。『鬼龍院花子の生涯』といえば夏目雅子の代表作。「決めセリフ『なめたらいかんぜよ』には痺れた」(60歳会社員) 映画史・時代劇研究家の春日太一氏が解説する。「それまでのヤクザ映画とは大きな違いが2つあった。ひとつは添え物的な扱いをされていた、女性たちの存在がクローズアップされたこと。主人公の鬼政(仲代達矢)は正妻と妾を同居させていて、彼女たちの『女の戦い』がヤクザの抗争以上にドラマチックに描かれている。 もうひとつは、家族や父子の情に物語の主軸があること。鬼政の養女・松恵(夏目)の目を通して話が描かれて、彼女と鬼政の相克と和解が観る者の感動を呼ぶ。五社英雄監督が、それまで得意としてきたバイオレンス演出を封印し、情感を掘り下げたことも加わり、アウトローものが苦手の人も含めて幅広く支持される、普遍的な人間ドラマになりました」 この『鬼龍院花子の生涯』と『極道の妻たち』双方の脚本を手掛けたのが、前出の高田氏である。「女性が窮地に陥った“惚れた男”のために立ち上がり、戦う映画が作りたかったんです。極妻は家田荘子さんの同名ルポが原作ですが、亭主が浮気するとか、家に金を入れないといった、女が苦労する話。家田さんには申し訳ないけど『題名だけいただきます』という気持ちだった(笑い)。脚本をプロデューサーの日下部さんに見せたら、『自分が考えていたのとは違うけど、面白いからこれで行こう!』と乗ってきた」(高田氏) 岩下志麻主演の1作目は空前の大ヒット。以降、シリーズは10作を数えた。 現代のヤクザ映画を代表するのは、北野武作品だろう。『アウトレイジ』シリーズ3作品がすべてベスト20入りしている。「なによりも役者たちの顔面バトルがすごい。個性派俳優たちがドアップで怒りを爆発させる様は圧巻だった」(51歳会社員) 映画評論家の秋本鉄次氏が語る。「北野作品には、主人公が“どこでケジメをつけるか”を模索しながら、死に場所を求めて彷徨っている。それが観る者の心を揺り動かすんです」※週刊ポスト2019年12月13日号
2019.12.07 07:00
週刊ポスト
仁支川峰子 恋の噂が流れた五社英雄監督との本当の関係は?
仁支川峰子 恋の噂が流れた五社英雄監督との本当の関係は?
 2017年は日本映画界の鬼才・五社英雄監督の没後25年にあたる年。10月12日から京都で開催される「京都国際映画祭」では、五社監督の作品が特集上映されるが、彼はいかにして、修羅と官能の世界を作り出したのか。1987年公開の『吉原炎上』でヌードを披露し、世間を驚かせた仁支川峰子が、五社監督の思い出を語る。 * * *『あなたにあげる』という歌で歌手デビューしたのが16歳の時です。もともと女優志望だったこともあり、お芝居のお仕事もすぐにお受けするようになりました。五社監督との出会いは歌手デビュー直後、私の歌を聞いた監督が、「この子いいね」と雑誌のインタビュー企画に呼んでくださったんです。でも、まだ10代で緊張していて、何を話したのか覚えていません。 五社監督作品には3作出演させていただきました。最初は『陽暉楼』、25歳の頃だったかな。私、自分で言うのもあれだけど、監督の意向を察知するのが早いの。ここはこう撮りたいんだろうなって直感で理解できたんです。そういうところが気に入ってもらえたのか、『吉原炎上』と『肉体の門』にも呼んでいただきました。『吉原炎上』では半裸で血を吐いたあとに「噛んで噛んで」ってせがむシーンがあるんですけど、これもテスト1回の本番1回。この時は芝居に没入しすぎて、役の人物が乗り移ったみたいになっちゃったんです。「カットOK」って声が聞こえたんですけど、半裸のまま放心して動けなくなったんです。すぐに監督が気付いてくれて、着ていたジャンパーを肩にかけてくれました。優しくてカッコイイ男ですよね。 週刊誌なんかには監督と「付き合っているのでは?」なんて書かれたこともありましたが、本当にご自分の娘さんのように可愛がってもらっただけでしたよ(笑い)。五社監督の作品でご一緒した方の中には、亡くなった方も多い。根津甚八さん、渡瀬恒彦さん、成田三樹夫さんもそう。きっと、みんな天国で監督と一緒にお酒でも飲みながら映画の話をしているんでしょうね。【プロフィール】にしかわ・みねこ/1958年、福岡県生まれ。1973年に『第3回全日本歌謡コンテスト』で優勝、翌年デビュー。当時は西川峰子を名乗った。以降ドラマ、バラエティなど幅広く活躍。五社作品は『陽暉楼』『肉体の門』『吉原炎上』に出演。※週刊ポスト2017年10月13・20日号
2017.10.14 16:00
週刊ポスト
五社英雄イズム流れる友近「五社監督に言われれば脱ぎます」
五社英雄イズム流れる友近「五社監督に言われれば脱ぎます」
 日本映画界の鬼才・五社英雄監督が亡くなって今年で25年。10月12日から京都で開催される「京都国際映画祭」では、彼の作品が特集上映される。五社監督の作品の魅力とは何なのか? 芸能界随一のファンが、溢れる愛を熱弁する。 * * * もともと任侠映画や実録事件ものの映画が好きで、五社作品も含め、そうした匂いのする作品をよく見ていたんです。10年くらい前、あるテレビ番組で「あなたのおすすめ映画」みたいな企画があって、五社作品を紹介したんです。そこで改めて作品を観直すようになったらハマってしまった。今では各作品のロケ地巡りをするくらいの五社ファンです。 これも番組でのことだけど、スピリチュアリストの江原啓之さんに「あなたの前世は置屋の女将だ」って言われたことがあるんです。これ多分本当ですね。だって『吉原炎上』とか『陽暉楼』を観るとめちゃめちゃ懐かしいですもん。あの世界、前世でさんざん見たわけですね(笑い)。 五社作品って、幸せな人はあまり出てこない。どちらかというと不幸な人ばかり。ですが、置かれた場所が違えば、この人にも別の人生があったのだろうな、と想像させるほどにそれぞれの役柄を深く演出している。『鬼龍院花子の生涯』の松恵(夏目雅子)みたいに、人でなし鬼政の家にもらわれてきたばっかりに数奇な運命を辿ったり。環境によって人の人生は全く違ったものになるし、環境はその人自身のキャラクターにも影響を与えると思うんです。 私のひとりコントの登場キャラに、西尾一男っていう架空のおっさんがいます。愛媛の普通のおっさんなんですけど、結構苦労しているんでしょうね、立ち居振る舞いに哀愁がある。そういう人間を演じる時に、五社作品は参考になる。監督が生きていたら、ぜひお会いしてみたかったですよ。そしてチョイ役……いやっ、いい役で出させていただきたい。 私ね、自分のカラダに全く自信がないので、ボディラインの出る服とかビキニとかでテレビには出たくないんです。でも、五社監督に言われれば脱ぎます(笑い)。ただちょっとだけお時間をいただきますよ。五社監督ならきっと「だらしないボディラインこそリアル」とおっしゃってくれるかもしれませんが、私は恥ずかしいのである程度お肉を削がせていただきます。まあ、オファーされたらですけどね(笑い)。 五社作品を観てきて、実はものまねの参考にもなっているんです。岩下志麻さんの投げ出すようなセリフ回しがたまらない。ネタで極道の女をやる時はあれを真似しています。つまり、間接的だけど私の中には五社イズムが流れているんですよ。【プロフィール】ともちか/1973年、愛媛県生まれ。「NHK新人演芸大賞」(2003年)演芸部門 大賞など数々のコンクールに入賞した実力派芸人。演技力には定評があり、ドラマや映画など女優としての出演経験も豊富。熱烈な五社英雄ファンを公言している※週刊ポスト2017年10月13・20日号
2017.10.14 16:00
週刊ポスト
名女優が「この人だから脱いだ」と語る鬼才・五社英雄の世界
名女優が「この人だから脱いだ」と語る鬼才・五社英雄の世界
 10月12日から京都で開催される「京都国際映画祭」。今年は没後25年となる日本映画界の鬼才・五社英雄監督の作品が特集上映される。彼はいかにして、修羅と官能の世界を作り出したのか。多くの女優たちが「脱ぐ覚悟はできていた」と語るその理由はどこにあるのか──。時代劇研究家・春日太一氏が五社ワールドについて寄稿した。 * * * 五社英雄監督は元々はフジテレビのディレクターだった。この時期に撮ってきた作品の大半は、男たちによる骨太のアクションで、その演出スタイルの容赦ない荒々しさから「五社血出お」「五社ひでえよ」などと揶揄されて、役者たちに恐れられていた。そのため、特に名の知れた女優たちは、あまり五社作品に出たがらなかったという。 また、その頃の五社作品では、女優たちは「男たちのドラマの付け足し」という扱いで、存分に芝居をさせてもらえることはほとんどなかった。それが、フジテレビを退社して最初に撮った『鬼龍院花子の生涯』(1982年)以降、女性を主人公にした文芸作品を監督するようになると、スタイルも一変する。 この映画で夏目雅子が「女優」として開眼したことを受けて、人気女優・若手女優たちがこぞって五社作品に出ることを望むようになったのである。そして、五社作品に出た女優たちは皆、艶めかしい輝きを放ち、その才能を開花させていく。 一方的に演出を押し付けていくのではなく、彼女たちと徹底してコミュニケーションをとる──。この時期から、五社はそう演出を変化させている。心の底を打ち明けたくなる信頼関係を女優と構築することで、撮影現場で女優が五社に身も心も委ね、思い切った芝居ができるようになる。女優たちが気持ち良く演じやすい環境を作る。五社はそのことに腐心していた。 たとえば、夏木マリは歌手として活動していたところを五社に見出され、『鬼龍院』で初めて本格的に演技の道に入る。仲代達矢を相手に回しての仇役である。いきなりの大役に緊張する夏木に、五社はこう声をかけたという。「君は歌手だよね。歌手でいろんな舞台踏んでるよね。これは舞台だと思って思い切って行けばいいんだ。演技とかそういうことじゃなくて思い切って行きなさい」 この言葉に夏木は発奮し、並居る名優たちを相手に堂々たる演技を披露、現在に至る役者への道の第一歩を踏み出していくことになる。どうすれば女優たちの気持ちを乗せられるのか。そのことだけをひたすら考えて、状況や相手に応じてさまざまな工夫を凝らした気遣いをしていたのだ。◆女優を強引に脱がせたことはなかった そして、こうした五社の女優演出の集大成ともいえるのが、各作品における「濡れ場」、つまりラブシーンの数々であった。当時の人気女優たちが惜しげもなく大胆なヌードを披露し、妖艶な濡れ場を繰り広げていく。そのことは、当時の五社作品の代名詞にもなっていた。 こうした場面でも、五社は女優を強引に脱がそうとしたり、脱がすために何か特別な秘策を仕込んでいたわけではない。他の芝居と同様、彼女たちが演じやすい環境を作っていく中で、女優たちは五社に惚れ抜き、身も心も任せ切っていたのである。だからこそ、進んで全てをさらけ出すようになっていく。 ただ、いくら五社に惚れ抜き、たとえ役に成りきっていたとしても、撮影現場では多くのスタッフの前で、そして最終的には無数の観客に対し、裸になって男と身体を重ねる様を見せるのは、どんな女優でも照れや恥ずかしさが生じるものだ。 そこにも、五社は繊細な気遣いをしていた。五社の演技指導は口で細かく指示を出すのではなく、まず自ら演じて手本を見せるというものだった。それは、濡れ場においても同じ、いやそれ以上に熱を帯びたものになっていた。 五社は助監督を相手に濡れ場を演じてみせた。まず自身が女の役になって、裸になり助監督に攻めさせ、それに対してどう反応した芝居をするのかを見せていったのだ。その上で今度は助監督を女優に見立て、男側の動きをしてみせる。 監督が自ら裸になって助監督相手に濡れ場を演じる。それは「こう演じればいい」という見本になるのと同時に、監督が率先して「恥ずかしい」姿を見せたことで、女優たちは自らの羞恥心を捨てることができ、堂々と濡れ場を演じられたのだ。◆五社の演出を理解した優秀なスタッフが支えていた そして、五社がこうした演技指導に集中できたのは、映像面に関してカメラマンの森田富士郎に全幅の信頼を置いていたからに他ならない。森田は、『鬼龍院』以降の全ての五社作品の撮影を担ってきたが、五社の現場での熱のこもった演技指導から瞬時の判断で映像に組み立てていく。 たとえば、『櫂(かい)』での緒形拳と真行寺君枝の縁側での濡れ場。ここでは、五社の演出を受けた緒形が大熱演をみせ、絡み合った男女が縁側からはみ出して地面に届きそうになる。 当初の予定では縁側の上だけで展開される予定だったので、カメラがそのままの準備しかしていなかったら緒形と真行寺はフレームから外れてしまい、せっかくの熱演がNGになる。だが、森田は五社の演出とそれを聞いている緒形の表情を見ているうちに、フレームから外れることを予感していた。そのため、カメラを自在に動かせる状態で構え、見事に映像として収めてのけた。 気遣いの監督と、支えるスタッフ、そして意気に感じる役者たち。全ての熱い想いの結晶が、女優たちの輝きとなって放たれていたのである。【プロフィール】かすがたいち/1977年、東京都生まれ。時代劇・映画史研究科。著書に『なぜ時代劇は滅びるのか』『鬼才 五社英雄の生涯』『役者は一日にしてならず』などがある。新刊に『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』(文春文庫)が発売中。※週刊ポスト2017年10月13・20日号
2017.10.10 16:00
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五社英雄は役者を追い詰めステップアップさせた名監督
五社英雄は役者を追い詰めステップアップさせた名監督
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』では、ふだん、ひとりの役者へのインタビューを通して得られた言葉をお届けしている。今回は特別編として、迫力ある時代劇で知られる映画監督・五社英雄について、名優たちが語った五社作品出演時の思い出を語った言葉をお届けする。 * * * 8月19日、拙著『鬼才 五社英雄の生涯』が文春新書より発売になる。これは、五社英雄監督の数奇な人生を数々の撮影現場でのエピソードと共に追った評伝で、筆者のこれまでの集大成ともいえる一冊だ。  そこで今回は、本連載にこれまで御登場いただいた名優たちの語った五社作品出演時のエピソードを改めて紹介していく。  平幹二朗は、五社が演出した1963年のテレビシリーズ『三匹の侍』(フジテレビ)で主人公グループの一人を演じたのを契機に一躍スターとなり、六七年には同じくテレビシリーズ『眠狂四郎』に主演している。「『三匹』の時は一夜にして有名人になったという感じでした。第一回が放送された翌日から急に世間の人が僕のことを見るようになりました。  ただ、僕は立ち回りが嫌いなんです。覚えられないし、下手でして。当時はまだ一軒屋に住んでなかったので夜中に道端で稽古して周囲を驚かせたりしていましたが、それでも上手くなりませんでした。『眠狂四郎』のような美的感覚をもった剣客は演じていて凄く気持ちいいのですが。苦悩を背負った時代劇は好きなのですが、『斬りまくって快感、万歳』というような時代劇は好きになれません」  夏八木勲も若手時代の1966年に東映京都撮影所で製作された主演映画『牙狼之介』二部作で、五社と出会う。そして本作以降、夏八木五社による大作のほとんどに起用され、役者としての知名度を上げていく。「僕は千住の生まれで五社さんは浅草。同じベランメエ喋りで当初から親しみを覚えました。互いの距離感が近いんです。  まだ脚本のできていない段階から、五社さんには『牙狼之介』というのを一緒にやろうとお話をいただきました。ただそのためには立ち回りができないとだめですからね。歩き方、刀の持ち方、着物の着方、全て身につけなくちゃしょうがない。  そこで五社さんにお願いして、河田町にあったフジテレビの屋上で空いた時間に稽古をつけてもらうことになったんです。五社さんは他の作品を下で撮られていたので、絡みの人たちに空いた時間に来ていただいて、付き合っていただきました。  五社さんは殺陣で鉄身を使います。刃引きはしてありますが重量は真剣と同じで。それを差してフジテレビの屋上を行ったり来たりしたり、殺陣師の人に教わって素振りをしたり。『腰を出して』とか丁寧に全て指導をしてくれたお陰で、あとになって時代劇をやる時も腰が嫌でも落ちるようになりました」「それから五社さんは『刀は本当に当てろ。当てないと嘘になるからな』と指示してくる。でも東映京都には、お腹すれすれで斬ったように見せる流儀がありました。当てるにしても、腹帯を巻いているところに当ててケガしないようにするんです。でもそういう流儀を無視してやったものですから、絡みの人には怪我をさせてしまいました」 迫力あるアクションの演出のため役者を追い詰め、それにより役者をステップアップさせる──。これぞ、名監督である。※週刊ポスト2016年8月19・26日号
2016.08.14 16:00
週刊ポスト
夏目雅子、名取裕子ほか脱いでイメチェンに成功した女優たち
夏目雅子、名取裕子ほか脱いでイメチェンに成功した女優たち
 映画を語る上で避けて通ることができないのが“濡れ場”だ。人気商売の女優たちが自ら身体を晒すことはなかなかリスキーだが、脱ぐことでイメージチェンジに成功した女優もいる。 1983年、まだアイドルの印象の強かった小柳ルミ子は映画出演2作目の『白蛇抄』で初のヌードを披露し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。相乗効果で、公開の半年前に出したシングル『お久しぶりね』が久々のヒットとなった。 テレビドラマ『3年B組金八先生』などで好演していた名取裕子は、27歳を迎える1984年に初主演映画『序の舞』『彩り河』で立て続けにヌードに。1987年の『吉原炎上』では五社英雄監督の指示通り、撮影中に下着を身に着けず、リアリティを醸し出して見事に遊女を演じた。 中でも衝撃的だったのは、夏目雅子だろう。1982年、『鬼龍院花子の生涯』で仲代達矢との濡れ場に挑み、“お嬢さま女優”のイメージを見事に覆した。なぜ、裸になる女優はブレイクするのか。「物事を自分で考える力が備わっているからでしょう。『脱ぐことは落ち目』という安易な決めつけをしないし、作品における役の意味を理解でき、脱ぐだけが自分の全てじゃないとわかっている。女優が覚悟を持ち、制作者は女優の価値を落とさないように全力を尽くす。すると、良い作品になる」(映画プロデューサー・岡田裕氏) 1990年代になると、一時代を築いたアイドルが新境地を求めてヌードになることも増えていく。『クイズダービー』の回答者などで人気を博した斉藤慶子は1990年、『さわこの恋 上手な嘘の恋愛講座』でベッドシーンを演じた。 ドラマ『スケバン刑事』での主演から7年経った1992年、南野陽子はエイズ問題に真っ正面から向き合った『私を抱いてそしてキスして』で熱演。『オールナイトフジ』の司会を務めた麻生祐未は同年、『課長島耕作』で抱かれた。清純派のイメージの強かった富田靖子は1995年、『南京の基督』で濡れ場を魅せてくれた。 脱ぐことで確固たる地位を築いていった女優もいる。1994年、22歳の高岡早紀は『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の行水シーンで豊満な胸をさらけ出し、脚光を浴びた。2005年の『フィーメイル』では後背位で挿入され、「後ろからされるの初めて」「いろんなところが擦れて気持ちいい」と官能的に喘いだ。現在もフェロモンのある女優として誉れが高い。「脱ぐはずの場面で脱がないと、作品としての価値が落ちます。かたせ梨乃さんや高岡さん、杉本彩さんなど裸を厭わない女優には観客も覚悟を感じるし、評価につながる。彼女たちが証明しているように、乳首を見せるか見せないかはゴールではない。乳首を出すことはスタートなんです」(映画コメンテーター・有村昆氏) 21世紀に入ってからも、2008年『蛇にピアス』の吉高由里子や2014年『愛の渦』の門脇麦のようにデビュー当初に覚悟を決めて脱いだ女優は大きく羽ばたいている。一方で、ヌードシーンが減ってきていることも事実。有村氏が声高に叫ぶ。「近年、CMが女優にとって最もギャラの良い仕事になっており、契約上の制約もあって脱ぎづらくなっている。実際、映画で脱いでも、CMの数分の1しか身入りがないんです。この現象をひっくり返すため、日本国民一人一人が劇場に足を運び、映画の濡れ場の価値を高めようではありませんか」※週刊ポスト2016年8月12日号
2016.08.14 07:00
週刊ポスト
石坂浩二 「自分と役柄の違い」を認識して演じる重要性語る
石坂浩二 「自分と役柄の違い」を認識して演じる重要性語る
 1969年の大河ドラマ『天と地と』で主演した石坂浩二は、殺到する時代劇の出演依頼を断り、TBSドラマ『ありがとう』でヒロインの恋人役を演じた。大人気番組となったホームドラマ出演で知った演じる難しさについて語った石坂の言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。 * * * 石坂浩二は1969年のNHK大河ドラマ『天と地と』に主演、上杉謙信に扮した。「これは非常にプレッシャーがありましたね。というのも、前の年の大河が不調だったらしく、『これが最後になるかもしれない』とまず言われたんですよ。『もし視聴率が悪かったら、これで大河が打ち切りだ』と。記者会見でも記者の方たちにそればかり言われてムカムカしてきました。 父親役を滝沢修さんが演じていて、ちょうど滝沢さんが亡くなる場面と、僕が初めて登場する場面が重なっていたのでスタジオでお会いすることはなかったのですが、稽古場でご一緒になりましてね。『俺はそろそろ死ぬからな。お前、しっかりやれよ』って、またプレッシャーをかけてくるんですよ。 そういうプレッシャーの中でなんとかやらなければ、という意気込みで臨んだ作品です」 石坂は1970年に始まるTBSドラマ『ありがとう』に、水前寺清子扮するヒロインの恋人役で出演している。石井ふく子プロデューサー、平岩弓枝脚本による本作は、視聴率50%を超える大人気番組となった。「『天と地と』をやった後で時代劇の依頼が目茶苦茶来たんですよ。でも、僕は専門職の俳優になりたくなかったから、全て断って『ありがとう』に出ました。上杉謙信とは正反対の役ですから、面白いと思ったんです。 最初の頃は評論家や新聞記者に散々に言われました。物凄い視聴率を出した次の日の新聞では『世も末だ』とか書かれましたから。それでも平岩さんは『ホームドラマと言ってしまうと簡単に思えるけど、人間が毎日生きていることは大変なことなんだと分かってもらえればいいのよ』とおっしゃっていました。 テレビドラマというのは毎週放送されるので、観ている方たちが劇の中に入り込んできて、テレビの世界がご近所さんのように思えてくる。両隣に誰が住んでいるか知らなくても、テレビの中の家族構成は知っているようになるわけですから。 それを演じるのは難しい。リアルに演じようとすると、どんどん役から離れて自分自身になってしまう。ですから、その境目を作るのが大変でした。時代劇でしたら、鬘を付けてメイキャップしていただいているうちに段々とその気になって役にも入りやすいんですが、現代物、特にホームドラマの場合はそうはいきませんからね。 結局、『この役のセリフは自分が普段しゃべっているのとは違う言葉なんだ』と認識しないと、まずダメです。セリフが言いにくいから変えたりとか、自分なりの言い回しにしたりすると、ますます混乱してくるんです。 ですから、大事なのは普段の自分とは違うところを見つけていくことです。『自分だったらこんなことしない』ということをあえてやる。それをリアルじゃないからと抗議する役者さんもいます。『ここでこんなことを言うのはおかしいでしょう』と。でも、そうじゃないんです。僕は『この役は、そういうことをやる人間なんだ』と思うようにしています」●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)、『時代劇ベスト100』(光文社新書)ほか。責任編集をつとめた文藝別冊『五社英雄』(河出書房新社)も発売中。※週刊ポスト2015年2月20日号
2015.02.14 16:00
週刊ポスト
石坂浩二 場に慣れることで風格が出ると緒形拳から教わった
石坂浩二 場に慣れることで風格が出ると緒形拳から教わった
 俳優としてだけでなく、バラエティ番組の司会者やナレーターとしても知られる石坂浩二は、役者ではなく劇作家志望だった。駄目なら作家に戻るつもりで役者になり、時代劇の経験がないままNHK大河ドラマに出演した。そのとき主演だった緒形拳に影響され後の芝居に生きた役の「風格」についての石坂の言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。 * * * 石坂浩二は慶應高校在学中に演劇部に入り、大学進学後は芥川比呂志の設立した新演劇研究会に所属した。また、高校時代からラジオ局で構成台本の作家としても活動していた。「当時の構成台本はビッチリ書いてないと怒られるんですよ。特に、その頃の映画スターの方々はフリーでお喋りにならなかったので。そのうちに、劇団を維持していくために通行人の役とかで出るようになっていくうちにテレビドラマで役が付くようになっていきました。 きっかけは芥川さんが二役で出られた『黒蜥蜴』という舞台です。通行人役で出たのですが、そこにTBSの石井ふく子プロデューサーが来てらして、声をかけてくださったんです。そこから東芝日曜劇場などに出させてもらうようになりました。芸名の石坂の『石』は石井さんの『石』なんですよ。 それで思ったのは、これは楽だな、と。不純なんですけどね。台本を書くのって、苦労するんです。ネタ探しのために本屋で週刊誌を全て立ち読みしていましたし、膨大な量の字を一字一句、全て自分で書いていかなければならない。役者と作家では、あまりに差があるんです。 ですから、当初はまず役者の世界へ行って、それで駄目だったら物書きにいつでも戻ろうという気持ちでもいました」 石坂の名を一気に世間に知らしめることになったのは、1965年のNHK大河ドラマ『太閤記』だ。緒形拳が秀吉役で主演した本作で石坂は石田三成に扮し、シリーズ後半から出演した。「番組の放送が始まってから話が来たんです。でも『時代劇はできないですよ』と断りました。するとプロデューサーの方が『これは時代劇ではありません。扮装は時代劇ですが、現代劇のままでいいんです』と説得されて引き受けました。 ただ、実際は大変でしたね。刀を差したまま角が曲がれなかったくらいです。それでも緒形拳さんはニコニコ笑いながら『そんなこと気にしないでいいよ』って言ってくれました。あの人は新国劇にいたから立ち回りも所作も上手い。それで『こう立った方がいい』とか助言もくれましたし、こちらもお芝居を見ながら『そうか、なるほど』と目で盗んでいきました。 緒形さんが凄いのは、普段と芝居とで顔が全く違うことです。しかも表情を変えようとしてそうなるんじゃなくて、お腹の中の気持ちで変わっている。特に驚いたのは、秀吉が歳とって偉くなるのにしたがって、緒形さんもそう見えていったことです。そのことを緒形さんに言ったところ、『役に慣れてくると、偉くなったように見える。長い間やるんだから、そう思えばいいんだよ』と。  たしかに最初は慣れないから芝居もチョコチョコしちゃうんですが、慣れてくるとゆったりしてきて、位も上がったように見えてくるんですよね。 後になって大河ドラマの『天と地と』で主演した時にその言葉が頭に残っていたから、意気込んでやりませんでした。段々とこの場に慣れていけば、上杉謙信としての風格も出るようになるんだと思って演じました」●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)、『時代劇ベスト100』(光文社新書)ほか。責任編集をつとめた文藝別冊『五社英雄』(河出書房新社)も発売中。※週刊ポスト2015年2月13日号
2015.02.08 07:00
週刊ポスト
宝田明 ケレン味溢れる芝居で無理なく舞台の世界入り込めた
宝田明 ケレン味溢れる芝居で無理なく舞台の世界入り込めた
 映画『アナと雪の女王』の大ヒットで日本でも注目を浴びることが多くなったミュージカル俳優。日本のミュージカル俳優の草分け的存在である宝田明は、外国人を演じることが多いミュージカルでも違和感なく世界に入り込めていた。なぜ、自然に感じられたのかついて宝田明が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。 * * * 宝田明の俳優キャリアで重要な位置を占めているのが、ミュージカルだ。近年もなお舞台に立ち続け、第一人者として活躍している。その最初は、1964年の『アニーよ銃をとれ』だ。「美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの『三人娘』が東宝の映画によく出ていて、僕がいつも共演していました。そのうちにチエミが『お兄ちゃんね、ミュージカルを一緒にやってくれない?』と言うんです。『あなた、歌えるから』と。僕は当時、自分の映画の主題歌をかなり歌っていましたからね。 それからはチエミと一緒になってボイストレーニングに通いました。アメリカのミュージカルの場合、主役の男性はハイバリトンかテナーなんですね。僕はオクターブ上の『ファ』ぐらいまでは楽に出せましたから、その音域を大体カバーリングできました。 幕が開けたら、そこが新天地でした。映画は演技してからしばらくしないと映画館にかかりませんが、舞台はその日その日の幕が開く。しかもミュージカルは三時間強、生のオーケストラを前にして観客の前で直に演じるわけですからね。なんとも心地よい快感でした。 ちょうど映画の状況が落ちていった時期でもあったので、映画からフェードアウトしながら舞台に立つようにしていったんです」 ミュージカルでは、日本人が西洋人を演じる。宝田の芝居はいつもケレン味に溢れていて、違和感なく舞台の世界に入り込むことができる。「翻訳ものは外国人のお芝居ですが、基本的には日本のお芝居と変わらないと思いますよ。ただ、表現の仕方は少し違うかもしれません。僕は小さい時から満州のハルピンという街に住んでいて、そこにはロシア人が多く住んでいました。ソ連軍の将校たちの靴磨きしたりタバコ売りしたりしていましたから、日本で育った人たちよりも接触があったというのはありますね。 それで、自然と身ぶり手ぶりが連動した表現が身についていった。大陸育ちだから、内地の人よりも少しコスモポリタン的だったのかもしれませんね。 それに音楽が好きだったから、厚い譜面が来てもすぐに音をとることができるんです。あと、動きに関しては踊りが必要になりますが、これはバレリーナ的な踊りではなく、振り付けられたものを役者として表現していく。芝居はあくまで芝居であって、特別に意識してはいけないと思います。でも、それをするための肉体訓練はしておかないといけません。 それは発声も同じです。観客が千人いようが、二階席まで聞こえるような発声ができないと。そのためには技術が必要です。オーケストラを前に地声でやったら、すぐに声帯を潰します。 近年は滑舌の勉強をしている俳優がいなくなったと思います。『とにかく暇があれば出ろ』という風潮ですが、露出が多ければいいというものではありません。一歩前進、二歩後退といいますか、充電する時間が役者には必要なんです。以前はそれを周りも支援していたのですが」●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)、『時代劇ベスト100』(光文社新書)ほか。責任編集をつとめた文藝別冊『五社英雄』(河出書房新社)も発売中。※週刊ポスト2015年2月6日号
2015.02.01 07:00
週刊ポスト
宝田明 長谷川一夫から「演技とは重心の移動だ」と言われた
宝田明 長谷川一夫から「演技とは重心の移動だ」と言われた
 東宝ニューフェース第6期生として役者人生をスタートした宝田明は、映画スターとしてだけでなく舞台でも活躍し、日本のミュージカル俳優の草分け的存在でもある。舞台俳優として駆け出しのころ、トップスターだった長谷川一夫から伝えられたことを宝田が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。 * * * 東宝は映画と舞台の大劇場をいくつも有しており、宝田明はその両方で活躍している。宝田が舞台に立ち始めた1960年代初頭、トップスターに君臨していたのが長谷川一夫だった。「長谷川さんには『演技とは重心の移動だ』と言われました。長谷川さんの重心の移動を拝見していると、本当に綺麗なんです。人間の動きって、芝居となるとどうしても、とってつけたように変な動きになる。普段は何気なくやっている『止まって振り返る』という動きも、いざ芝居となると、手も足も切りたくなるくらい邪魔になるんです。長谷川さんは御自分が実際に動いてお手本を見せてくださるので、ご一緒すると勉強になるんですよ。 山田五十鈴さんも、長谷川さんから全て教わっているんです。長谷川さんはあまり背が高くないので、山田さんは自分を大きく見せないようにするため、並列に並ばないで少し下がるんです。そして着物の中で足をクッと曲げる。そうすると京人形みたいに色っぽくなるんですよ。初めての女優さんには『あなた、ちょっと後ろにお下がり』って言うこともありました。我々の動きに関しても同じです。ですから、大変勉強になりましたね」 一方、東宝の映画スターには「社長シリーズ」などの喜劇映画に主演してきた森繁久彌がいる。宝田とは満州で暮らした者同士という間柄だった。「お互いに北京語で話せるので、監督の悪口や女優のよからぬことを喋っていましたね。森繁さんは『アドリブが上手い』とよく言われる役者です。たしかに、テストの時は台本に書かれていること以外に絶妙のアドリブを加えて共演者を笑わせることがありますが、本番の時にはやりません。実はアドリブ的に台本のセリフを言っているんです。天下一品でした。『宝田君、アドリブはあまり使うもんじゃないよ』とよく言っていました。 あの人の洞察力・観察力は凄いものがありました。台本に書かれたセリフは死んだ活字の羅列ですが、その行間を表現するには、それだけのクオリティがその役者自身に必要だと思うんです。森繁さんは、満州から引き揚げてきたりする中で奥歯を噛みしめて生きてきたから、深い洞察を身に付けて人間を冷静に見ることができるようになった。ユーモラスな表現ができるかどうかって、その人の生き様が左右しているように思います。 それから、『演技の一番の参考書は人間ウォッチングだ。我々は人間を正しく観察するしかない』とも言っていましたね。たしかにそう考えると、楽しいんです。参考書が目の前に山と積まれているわけですから。だから、私もとにかく観察します。 たとえば、寿司屋で寿司を食べている時、寿司に気が行って、実は作っている人間を見ていなかったりします。そこが普段の役者の心がけですね。役者は、仕事が来てから『二か月待ってください』と頼むわけにはいきません。この肉体一つを使って、即やらなければならない。そのためには、どんどん入れておかなければなりません。普段から人間観察を普通の人よりも心がけておくべきだと思います」●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)、『時代劇ベスト100』(光文社新書)ほか。責任編集をつとめた文藝別冊『五社英雄』(河出書房新社)も発売中。※週刊ポスト2015年1月30日号
2015.01.21 07:00
週刊ポスト
宝田明 高峰秀子の「教えてあげないよ」発言が役者の魂に
宝田明 高峰秀子の「教えてあげないよ」発言が役者の魂に
 日本映画の黄金期を支えた二枚目スター、俳優の宝田明はタイプの異なる様々な作品に出演し続けた。初主演映画『ゴジラ』での特撮ならではの芝居の苦労や、成瀬巳喜男監督作品で共演した女優、高峰秀子にかけられた言葉についての思い出を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。 * * * 宝田明の映画初主演作となったのが、1954年の東宝特撮作品『ゴジラ』だった。「会社からは『これは東宝が社運を賭けて作る映画で、もし当たればシリーズ化したい』と言われていました。さらに、『我々日本人は広島・長崎で核の脅威に遭って、それが忘れられかけた時に第五福竜丸の被曝があった。これは、そんな日本人が世界に向けて発信するメッセージとなる作品だ』とも。 撮影は手探りの状況でした。特撮と本編の部分を別々に撮影していたので、僕らは円谷英二さんの絵コンテを見ながら演技していました。ゴジラの向きによって、僕らのリアクションも違ってきますから。 初めてゴジラが撮影所を歩いた時は、怖くて触れませんでしたね。でも、初号の試写でゴジラが白骨化して海の藻屑になって消えていく様を見ていると、彼も単なる破壊者ではなくて、核による被害者の一人なんだと思えました。  被曝して放射能を吐く体質になったのは人間のせいなのに、今度はオキシジェン・デストロイヤーによって葬り去られてしまう。この人間の業を思うとゴジラがかわいそうで。同情を禁じ得なくなって、涙が止まりませんでした。そういう社会状況を背景にした作品だったので、単なる怪獣映画になりえなかったんだと思います」 宝田は成瀬巳喜男監督の作品にも数多く出演している。『放浪記』で演じた高峰秀子扮するヒロインの夫役も、その一つだ。「成瀬さんはお芝居のことは何も言わない監督でした。でも、『放浪記』の時だけは違いましたね。妻役の高峰さんが自分のお給金で夕飯のおかずを買ってきて、僕が気に入らない顔で睨む場面なんですが、成瀬さんは『違うよ、宝田君』と言うんです。僕なりに役に入っているつもりでしたが、何度やっても『違う』と。 朝からテストを始めて、その日の夕方になってもOKが出ない。宿に帰っても、どこが違うか分からない。それで翌朝も五、六回テストしてもダメで、高峰さんに『どうしても分かりません、僕は一体どこが違うんでしょう』と聞いたんです。そしたら高峰さん、『分かっているけど、もったいなくて教えてあげないよ』って。  その時、ムカムカきましてね。殴ってやろうと思ったくらいです。で、監督に『本番、お願いします』と頼みました。できる自信はないんですが、この大先輩に対するムカつきだけですよ。それでグッと睨んだら成瀬さん、『宝田君、それでいいんだ』と。僕の眼力が足りないのを高峰さんが引き出そうとしてくれたんだと思うんです。 それから数十年して高峰さんからお電話があったのですが、その時『放浪記』の話題になりまして。  高峰さんに『あの時にあなたに言った言葉の意味、分かる?』と聞かれたので『分かります。何事も自分で勝ち取らなきゃダメだという意味だと思っています。あなたの言ってくださった言葉は全て、私の脳天から爪先まで太い串となって今も貫いています。ありがとうございました』と答えました。そしたら高峰さん、電話の向こうで泣いていましたね」●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)、『時代劇ベスト100』(光文社新書)ほか。責任編集をつとめた文藝別冊『五社英雄』(河出書房新社)も発売中。※週刊ポスト2015年1月16・23日号
2015.01.14 11:00
週刊ポスト
宝田明 役者として芝居に使うべき筋肉の鍛錬をした日々語る
宝田明 役者として芝居に使うべき筋肉の鍛錬をした日々語る
 俳優の宝田明は東宝のニューフェイスに合格した翌年、1954年の映画『ゴジラ』で主演デビューした。その後、日本映画黄金期を支えた二枚目スターが映画だけでなくドラマやミュージカル等でも活躍し続けたのは、東宝の演劇研究所で受けた研修のおかげだという。東宝受験と研修所時代の思い出について宝田が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でできている』からお届けする。 * * * 宝田明は満州で生まれ、戦後になって帰国、高校時代に友人に誘われて学生演劇の舞台に立つ。そして、1953年に東宝のニューフェイス試験を受け、六期生として合格する。「修学旅行に必ずついてくる学校指定の写真屋さんっていますよね。その人から『宝田君、こんど東宝でニューフェイス試験があるから受験してみろよ』と言われましてね、それで履歴書を書いたんです。当時はバイトをしながらシネ・ミュージカルを観たり西部劇を観てカルチャーショックを受けていましたが、まさか自分が映画の世界に入れるとは思いもしませんでした。 それで書類試験の日に東宝の砧撮影所に出向いたのですが、怖くなって中に入れなくてね。次のバスで帰ろうと思いながら、一時間ずっと門のところにいたんです。そしたら守衛さんが出てきて、『おい学生さん、みんな中に入ってしまったぞ』というのでその守衛さんに押されるようにして中に入ったんです。 スタジオの中には山本嘉次郎監督や黒澤明監督、それから俳優さんたちもいて震え上がっちゃって、満足に歩けもしませんでした。それでも合格したのですが、一方で『今まで勉強したことは何だったのか』というのもあって。満州から引き揚げてきて、勉強して職につくことだけを考えていましたから。役者になるなんて、予想だにしませんでした。二者択一でした。 それで結局は、『これで、よし』と腹を決めて役者をやっていくことにしました」 東宝に入った宝田は撮影所内にある演劇研究所で一年間の研修を受けることになる。「大変ハードなカリキュラムでしたよ。発声、歌唱、ダンスにタップに日舞。音楽理論の講義では伊福部昭さんや中田喜直さんがいらして楽理の話をされたり東宝の俳優さんや監督さんからは映画演技を教わりました。 発声練習では滑舌を鍛えるために、『あいうえお』から始まって、歌舞伎十八番の非常に難しい『外郎(ういろう)売り』をやらされましたね。それで少しでも間違えると、外に出されるんです。私と岡田眞澄はよく寒風の吹きすさぶ中を外に立たされて練習しました。 舞台と映画の演技の違いも教わっています。舞台は全体が一つの額縁みたいになっていますが、映画はカメラが観客の目になる。つまりアップになった目や手だけで表現しなければならない場合がある。またマイクが近くにあるので、遠くに向かって喋る必要はなく、いかに自然に滑舌よく喋ればいいかということなどです。 踊りの訓練は、後にミュージカルをやる時に役立ちましたね。ダンス専用の筋肉の発達の促し方が、当時から分かっていたわけですから。筋肉といっても、重量挙げみたいなマッチョマンになるということではなくて、役者として芝居に使うべき筋肉の鍛錬ですね。そういう肉体的なことも勉強になりました。  後年になってその筋肉を芝居で使ってみると『宝田さん、どうしてそんな風に動けるようになったんです』なんて言われるんですが、『いやあ』って、何食わぬ顔で芝居していました」●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)、『時代劇ベスト100』(光文社新書)ほか。責任編集をつとめた文藝別冊『五社英雄』(河出書房新社)も発売中。※週刊ポスト2015年1月1・9日号
2014.12.31 11:00
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武田鉄矢 『101回目~』で「僕は死にません!」の誕生秘話
武田鉄矢 『101回目~』で「僕は死にません!」の誕生秘話
 武田鉄矢が1991年に恋愛ドラマ『101回目のプロポーズ』にヒロインの相手役として登場したとき、当初は否定的な見方が多かった。ところが、平均視聴率23.6%、最終回では36.7%を記録し今でも語り継がれる作品となった。その年の新語・流行語大賞にも選ばれた台詞『僕は死にません!』を演じたときのことを語った武田の言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。 * * * 武田鉄矢は『101回目のプロポーズ』で浅野温子を相手にフジテレビのトレンディドラマに初主演し、話題を呼んだ。「最初は浅野さんと芝居がかみ合わないんだよ。最初に食い違ったのは『五十年後の君を今と変わらず愛します』というシーン。まず僕だけを撮って、それから切り返して彼女を撮るんだけど、向こうの芝居が見当つかないから僕は泣きながらやっちゃったんだ。そうしたら、彼女は表情を変えずに横を向く芝居をした。彼女が凄く冷たく映ってしまうわけですよ。 トレンディドラマを頑なに堅守する浅野さんのお芝居と、隙があれば攻め込んでいく僕の芝居がどんどんヒビ割れていきましてね。 そのうちトラック前に飛び出す場面になった。そこには野次馬が集まってきて、暴走族とかが邪魔しそうだったんです。それで、『一発かましたれ』と思って、トラックの前に飛び出したんです。ロケ撮影って、一種の路上パフォーマンスなんですよ。そこで見ている人たちを巻き込むくらいの覚悟でやっています。 それで、トラックの前に飛び出して『僕は死にません!』って言ったのよ。そしたら暴走族もフリーズしている。で、今度は切り返しじゃなくて二台のカメラで、僕を見ている浅野さんも撮っている。そうしたら浅野さん、わんわん泣いて、へたり込んだの。彼女が僕の芝居に付き合ってくれたんだ。それで照明さんも音声さんも泣いてくれた。そのあたりから、木目が揃い始めていった気がします」 近年はTBSドラマ『白夜行』での、犯罪に手を染め続ける若い男女を執拗に追い詰める笹垣刑事など、悪の毒を感じさせる役柄も少なくない。「五十代になった時、『金八先生』の真逆の役を演じたくなったんです。金八は少年少女を見ると、まず『この子たちは悪い子じゃない』と思う。でも笹垣は『こいつらは親を殺しているんじゃないか』と疑う。希望の中で少年少女を見る人に対し、血まみれの地獄から見る人なわけです。ですから、どうしても演じてみたかった役でした。 ただ、制作陣とは喧嘩ばかりしていました。『最後は金八先生みたいに説教してくれませんか』って言うんですよ。『バカヤロウ!』と言いましたよ。『人殺しを金八みたいに許したらいけないだろう!』って。それで最後にセリフを加えたんです。『早く捕まえて、死刑にしたらんで悪かったな』と。そういう優しさもあると思うんです。 目新しい仕事は、割と飛びつくんですよ。スタッフにも、『なるべく仕事を選ぶのはやめよう』と言っています。仕事って、選び始めると最後までずっと迷うようになっちゃうんですよ。 お芝居をしながら、人間の本性を捕まえたいといつも思っています。その捕まえ方が荒くなったり、捕えてなかったりすると、飽きられてしまうと思います。ですから、一シーンについて三通り以上は芝居を考えていきます。演じることに正解はないですから。あまり早めにOKをもらうとガッカリすることもあります。イイのを後にとっておいたりするから」●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)、『時代劇ベスト100』(光文社新書)ほか。責任編集をつとめた文藝別冊『五社英雄』(河出書房新社)も発売中。※週刊ポスト2014年12月26日号
2014.12.24 07:00
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結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
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