■原発のビジネスモデルは、「葬式代を自分で出す」というもの
原発について、危ないのは私も分かります。だからこそ、ちゃんと原発と向き合わなくてはいけない。そして、やはり一つ強調しておきたいのは、東日本大震災の事故の教訓は「津波対策」にあるということです。日本各地の原発は確かに不具合が生じることもあるでしょう。しかし、人間に例えた場合、どうなるか。
ある日、熱が出た。すると1日は会社を休むかもしれない。しかし、熱が完全に下がるまで休めるかといえば、ある程度下がったら仕事に行くのではないでしょうか。風邪を引いた場合、応急処置でなんとか職場復帰します。完治するまでは何週間かかかるものです。周囲に迷惑をかけぬよう働きながら完治すればいいじゃないですか。骨折した人は、松葉杖をつける状態になったら、ちょっと早めに家を出て職場に行くでしょう。
それは、入院費だけがかかって収入がないことを避けるためです。生活がカツカツになることを避けるために、体調が100%ではなくても仕事に行くのです。原発にしても同じです。少し体力的に問題があっても電力を提供しなくては収入がない。でも、止めていたら収入がなくなります。私はこれを心配しています。
原発で働く人の弁当代、車代、ガソリン代はかかりますが、それは「電気」という売るものがあるからこそ賄えているのです。地場のそういった消費活動が経済を作っています。しかし、日本全国で原発が動いていない今、どこの原発の地元へ行っても閑古鳥が鳴いています。先日も柏崎に行きましたが、誰もいないんですよ……。ホテルはあるもののガラガラで、辛うじて生き残っている食事をする場所では、原発が停まって以降来る人が激減したと言ってました。
他の原子力も、老朽した火力発電所の周囲も同じです。いわゆる「反対派」の人の気持ちは分かります。原発も火力危険は間違いなくあるんですよ。ただ、原発って「やめるのにかなりの時間がかかるもの」だということで元々設計されているんですよね。これ、世界共通のことなんです。私は、作ったのであれば、「正しくやめよう」と思っています。
要するに、原発のビジネスモデルは、「葬式代を自分で出す」というものです。廃炉や廃棄物処理まで50年といった前提があるわけです。人間が死ぬ場合は葬式代が必要ですよね。償却が終わった原発は、もう葬式代を積み立てなくてはいけなくなります。期限が元々分かっているだけに、その日に向けて収入を得て、廃炉後の安全対策や人件費を賄うことを計算したうえで原発って作っているのです。それなのに、原発ゼロでその金額は賄えるの? ということです。どっちみちやめるのだから、「ちゃんと」した形でやめよう、ということを私は言ってるのです。