◆300日ルールは離婚のペナルティ
2002年に松下政経塾時代の先輩と離婚が成立。翌年、現夫と3人の子供を連れて再婚した井戸氏は、無戸籍児の母親になりかけた経験から県議や国政に打って出たまでで、それは772条及び、女性だけに180日の再婚禁止期間を強いる733条改正のための手段だったと語る。
「私の4人目の子供が、離婚から265日目に生まれたために、元夫の子供とされてしまったんですね。そんな事実を私と現夫は市役所から電話で突然突き付けられ、事情を幾ら説明しても相手にされず、〈それは離婚のペナルティです〉とすら言われたんです」
幸い現名古屋市長・河村たかし氏から法務省の民事局長を紹介され、実の父親を相手どった〈認知調停〉も可能だと言質を得た氏は、現夫を被告に裁判を起こし、無事わが子は無戸籍にならずに済んだ。が、同じ状況に苦しむ人々を前にして、何もしないのは〈卑怯〉だと彼女は考えるようになる。
「嫡出推定は推定でしかなく、現に親子関係の否認訴訟ではDNA鑑定を採用した判決も出ている。法務省にその矛盾を質すと、『訴えが出るまでは、どんな父親も全員仮ですから』と言うんです。つまり民法が血縁ではなく、婚姻の事実から親子関係を推定する以上、反証が出れば個別に対応し、年間3000人近く生まれている無戸籍予備軍の実数すら把握してこなかった」
いま一つの壁が、政治だ。本書では2007年に「300日関連新法案」が潰された経緯を、反対派の長勢甚遠元法相らへの取材を元に再現。富山の長勢宅をアポなしで急襲し、本音を聞き出した。
「日本固有の家の在り方を民法改正が変えてしまうことを恐れる保守派の長勢さんは、〈アリの一穴〉を開けた張本人でもある。後に〈離婚後に懐胎したことを証明する医師の作成した証明書を添付すれば、現在の夫の子として出生届を受理する〉と法務省が通達を出したのは彼の作文だそうです。実際あの通達で救われた人は多い。物事を法の内側で考えるだけでなく、前に進めるのが立法府だと暗に教えられました」
本書に紹介された幾多のドラマは、自分が何に守られて生きているかを改めて突き付ける。誰が陥ってもおかしくない無戸籍という事態を自分事として捉え、社会の問題とするために。
「人権意識というほどじゃないけど、私は友達の親が離婚して才能を生かす機会を奪われたりすることに、昔から憤りを覚える子供だった。それは社会的にも損失だし、例えばISが目を付けるとしたら、仕事もなく地下に潜るしかない彼らですよね。それを〈親の因果〉だと言う人もいる。
でも子供だけは何とかするべきだし、映画『誰も知らない』にも描かれた『巣鴨子ども置き去り事件』(1988年)のように、誰かが手を差し伸べていれば助かっただろう無戸籍児がゼロになるまで、闘うと決めたんです」
就籍や法改正を巡る状況も徐々に改善しつつあるが、それでも達成感より無力感の方が大きいと氏は言う。その行動力を称える前に、読者1人1人が事実を事実と認め、行動すること──。それこそが彼女の願いだ
【著者プロフィール】井戸まさえ(いど・まさえ):1965年宮城県仙台市生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。松下政経塾9期生、東洋経済新報社勤務を経て、経済ジャーナリストに。2005年より兵庫県議会議員を2期務め、2009年衆院選に民主党から出馬し初当選。2005年よりNPO「親子法改正研究会」代表理事、2007年より「民法772条による無戸籍児家族の会」代表。昨年「戸籍のない日本人」が第13回開高健ノンフィクション賞の最終候補作となり、本作に改題。他に佐藤優氏との共著『子供の教養の育て方』等。152cm、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2016年2月19日号