その長男も、「親父らしい生を全うしたと思います。家族にも悔いはない」と、私に誇らし気に伝えていた。
人間にとって、何が幸せな死に方なのか。この取材を重ねるなかで、わたしはそのことをずっと考えていた。それは国、文化、宗教など、価値観の差によって、個人の考えに開きがある。死に方こそ、その人間の生き方に直結する。己が幸せだと思える死に方で旅立つことが、生を全うした証ではないか……。
しかし、それを成就するためには、忘れてはならないことがある。最愛の人――それは家族、夫や妻、時には友――に共感してもらえる死こそ、残された者の心に深い傷を残さないのではないか。それが、安楽死なのか自然死なのか、生前に最愛の人と重ねる「死の対話」こそが重要な鍵を握る。
ただし日本では、その対話すらタブーであると見なされることが多いのが残念でならない。その対話に委ね、信じることができれば、手段は、医師にも他人にも問われる必要はない。「死ぬ」とは、そんなもののような気がする。連載を飾り続けた主題「私、死んでもいいですか」。その答えは、あなた自身が見つけなければならない。
※SAPIO2017年9月号