田原は自分のポリシーを曲げないために、紅白出場を断った。しかし、アイドル路線を突っ走ってきた田原の紅白辞退について、メディアは次のように報じた。
〈“紅白”といえば、どんな歌手でもとびついた黄金時代はさておき、ニューミュージックの“きかん坊歌手”でなく、人気のアイドル歌手にまでソデにされてしまうとは…>(報知新聞・1988年12月14日)
〈それにしてもミジメなのは「紅白」である。今年も長渕剛、渡辺美里らに出演を拒否され、あげくアイドルにまでフラれるとは!〉(『FRIDAY』1988年12月30日号)
本人の意思は自由であり、ベテランだろうと、アイドルだろうと関係ない。それでも、「アイドルのくせに国民的番組を辞退するとは何事か」と自らの価値観を押し付けているようにも読み取れる。
そんな偏見を覆してきたのが、翌1989年も主演ドラマ『教師びんびん物語II』でフジ月9初の視聴率30%超えを果たした田原俊彦であり、1990年代にバラエティの扉をこじ開けたSMAP、司会者として存在感を放つ中居正広だった。
彼らは「“アイドルでも”主演ドラマやバラエティ番組で成功できる」という前例を作り、現在のジャニーズ事務所の礎を築いた。逆に言えば、田原もSMAPも“アイドルのくせに”という穿った見方と戦っていたのではないか。
しかし、“アイドルでも”ではなく“アイドルだからこそ”主演ドラマやバラエティ番組で成功できる。私はそう思っている。アイドルには、アイドルにしか持ち得ない感性や優しさがあるからだ。
仕事への比重がほぼテレビ出演になる芸能人の場合、ファンの存在はどうしても見えづらいものになる。それは、仕方のないことだ。常日頃接するのはプロデューサーやディレクターなどのスタッフであり、ファンと交流を持つ機会が少なければ、テレビを見る視聴者よりも目の前にいる仕事仲間に重きを置いてしまうタレントも中にはいるだろう。