【書評】『飼い喰い 三匹の豚とわたし』(内澤旬子著/岩波書店/1995円)
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
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私たちは何を食べているのだろうか。そんな問いからはじまったルポである。約一年をかけ、三頭の肉豚を飼い育て、屠畜場に出荷し、肉にして食べるまでを追った。しかも著者自身が、である。
内澤旬子の著書に十年間にわたって国内・世界各地の畜現場を取材した『世界屠畜紀行』がある。あまたの家畜の死を見届けてきた。
〈彼らがかわいそうだという感情を抱いたことはない。彼らの死骸を食べることで、私たち人間は自らの生存を支える。それは自明のことだからである〉
この取材をとおして、家畜たちが「肉になる前」を知りたくなった。どのように生まれ、何を食べ、どんな場所で飼われるのか。著者の凄味はこのひと言だ。〈私自身が豚たちを飼ってみて何を感じるのか、じっくりと気が済むまで体験した〉。大規模養豚農家、飼料会社、獣医師、屠畜場、精肉、卸業者などにも取材を重ね、畜産の現状、その変貌もふくめ明らかになる。
とはいえ気負いのない文章は軽やかで、彼女自身が感じた疑問をさまざまな協力を得ながら知識をたくわえ、ひとつひとつ解決していこうとする。知らなかったことを体験をつみ重ね、理解していく。その過程そのものが普遍的な説得力を持つ。ルポルタージュの本質に目を開かされる思いがした。
豚の受精から立会う。千葉県の、もとは居酒屋だったという廃屋を借りて「軒先飼い」をはじめるが、難題の連続だった。やがて日本の養豚の飼養戸数が激減し、大規模化した背景が具体的に浮かび上がってくる。飼料の問題、糞の処理や病気のこと、一頭あたりの驚くほどの価格の安さ。厳しい状況のなか、志と知恵を持ち仕事に励む人びとの姿も丁寧に描かれる。
それぞれ名を与え、戯れた三頭の豚たちはしだいに個性を見せはじめる。それでも愛情をこめて育て、最終的に換金する「畜産」に動物の生死と人間の生存が有機的に共存する「豊かさ」を感じている彼女の態度はぶれない。最後に肉となった豚を味わう著者の感慨は、例えようもなく美しい。
※週刊ポスト2012年4月13日号