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作家・桜木紫乃氏「自分が薄情なことに傷ついてる人も多い」

 昨年『ラブレス』で直木賞、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞候補となるなど、目下注目の作家・桜木紫乃氏は、1965年、釧路市生まれ。2002年に「雪虫」でデビューし、作品数はまだそう多くないが、最新短編集『起終点駅』には人生のほろ苦さを舐めつくしたような明るい諦観すら漂い、背筋のすっと伸びた小気味よさ、潔さを感じさせる。キーワードはそう、風だ。桜木氏は語る。

「気象情報が、やけに多いですよね(笑い)。北海道は広いので、海の色や風の匂いがその土地土地で全部違い、こんな風が吹く土地にこんな男や女が生き、そして死にましたと、私はこの10年、ほとんど同じことばかり書いてきた気もする。特に短編は嘘を短く書く分、自分の願望がだだ漏れといいますか、実際は猫背もいいところなのにお恥ずかしい限りです(笑い)」

 生という起点も死という終着点もあるがままに受け止める、これぞ桜木作品の真骨頂ともいうべき贅沢で味わい深い計6編である。

〈後に笑えない涙は流すまい〉と第5話「たたかいにやぶれて咲けよ」の主人公〈山岸里和〉がある女性歌人の死に誓うように、つらいことや悲しいこと、自分も含めた人間の醜さや〈捨て去ることのできない卑しさ〉を目の当たりにすることもあるが、それもこれも生きていてこそと、敢えて笑い飛ばすような女や男を本書は描く。例えば表題作の〈鷲田完治〉である。

 判事を35歳で辞め、妻子とも別れた老弁護士がここ釧路に流れ着いて30年。今は国選弁護だけを請け負い、法律事務所とは名ばかりのみすぼらしい平屋に住む。

 きっかけは昔の恋人との再会だった。かつて司法試験を志す鷲田を支え、合格後は自ら身を引くように姿を消した〈冴子〉と彼は、覚醒剤所持の被告人と判事として再び出会うのである。

〈妻、子供、仕事、生活〉〈詰め放題の袋の中には、自分のあさましさに気づかなくてもいい日々があった〉〈店の二階にある部屋で彼女を抱いた。黒々とした深い穴に落ちてゆくような快楽のなかで、妙に安堵していた〉〈詰め放題の袋が、破れた〉

 しかし何もかもを捨てて冴子と生きようとした鷲田の前から、彼女はまたしても消えた。かつて彼女を追わなかった彼が〈一生頭が上がらない女に感じた、一抹の鬱陶しさ〉を見透かすような、永遠の別れだった。

〈同じ女を心の中で二度捨てた〉〈心が動かないことにも、人は傷つくことができる〉――近しいはずの者を失っても何も感じないことに傷つく者もいる。そこまで深い傷を、桜木氏は描いてしまう作家なのである。

「身内が死んだら悲しむのが普通だとか、この映画で泣けない奴は人じゃないとか、誰が見てもわかりやすい感情や刷り込みに“乗っかれないつらさ”というのも私はあると思うんですね。

 確かに世の中には情の深い人も多いけれど、自分が薄情なことに傷ついている人も実はそれ以上に多いと思う。誰かに傷つけられて傷つくのはあまりに簡単で、悲しむべき場面で悲しめない自分に傷つく方がよほど傷は深いし、誰かが決めた構図に自分の感情が無意識に動かされているとすればそれが一番怖い。

 絶望しても意外と平気だったり、泣いている場合じゃなかったりしても、別にいいと思うんですよ。まして死に急ぐ必要なんか全くなく、この鷲田のように、その自分を冷淡さも含めて受け止めていれば十分じゃないかと」

(構成/橋本紀子)

※週刊ポスト2012年5月18日号

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