江戸の文化や歴史、生活などに関する総合知識を問う検定試験、第7回江戸文化歴史検定(江戸検)が10月28日に行なわれる。まずは以下のプレ検定で予習に励んでいただきたい。ここでは【江戸の旅行編】をお届する。
【問1】箱根に恒久的な関所ができたのは、元和5(1619)年のことで、その管理は小田原藩が行ないました。関所破りは重罪でしたが、では関所破り未遂で捕まった人間に対して、小田原藩ではどのように対処したでしょう?
(い)問答無用で死罪
(ろ)伊豆七島の新島へ流罪
(は)道に迷ったことにして追放
(に)出発地に強制送還
【問2】「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれたように、大井川は東海道の難所でした。渡るには川越人足の手を借りなければなりませんでしたが、その料金は何を基準に決められていたでしょう?
(い)水温。低いほど料金が高かった
(ろ)体重。重い人ほど料金が高かった
(は)気分。嫌な客ほど料金が高かった
(に)水位。水が多いほど料金が高かった
【問3】江戸時代後期、庶民はいろいろな理由をつけて物見遊山の旅に出かけました。それに伴って出版された『旅行用心集』に、必ず携帯すべきものとして挙げられているのは、次のうちどれでしょう?
(い)切れたときの予備の草鞋の緒
(ろ)道中の身だしなみを整える櫛
(は)毎朝ヒゲを剃るためのカミソリ
(に)睡眠不足にならないための使い慣れた枕
正解は下に。
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【解答】
【問1】(は)。関所破りは極刑が原則。しかし、小田原藩では、未遂の場合には「藪入り」と称して、道に迷ったものと見なして藩領外へ追放していた。実際に死罪になった記録は、意外なほど少ない。
【問2】(に)。幕府は防衛上、大井川に橋を架けず、また舟で渡ることも禁じていた。川越しは水位で公定料金が決まっていて、天保期(1830~1844年)の記録では、膝までの38文から脇下までの94文まで、9段階に分かれていた。
【問3】(ろ)。『旅行用心集』は、旅の心得を説いたベストセラー。必ず携帯すべきものとして、「矢立(筆記具)・扇子・糸と針・懐中鏡・日記手帳・櫛・鬢付油」をあげている。櫛は城下や関所を通るときの身だしなみに必要とされ、カミソリは宿で借りろ、とある。
※週刊ポスト2012年10月12日号