【書評】『百年の手紙 日本人が遺したことば』梯久美子/岩波新書/840円
【評者】山内昌之(明治大学特任教授)
知り合いの編集者が「梯さんはいい本書きますね」と語ったことがある。反権力、愛国心、戦争といったテーマから、女性、夫婦、親子、死者の人間関係にまつわる印象的な手紙を、心に残る一文とともに紹介した本である。
あのミッドウェー海戦の勇者、山口多聞提督が14歳年下の妻孝子に宛てた「私の好きで好きで心配で心配でたまらない人」という手紙には、ユーモアも含まれている。妻のことを「私の眼には、どうしても弱そうに見えてならないのです」と言いながら、先妻の子5人の前では微塵も甘い雰囲気を見せなかったというのだ。戦死の直前に、孝子を「心中のオアシス」や「天使」と呼んで愛を確認した山口は、いかなる心境で南瞑の果てに散っていったのだろうか。
マッキンリー単独登頂を果たした植村直己は、妻公子あてに、自分を「バカな人間」「悪人」と卑下しながら、「一生を棒にふってしまったとあきらめて下さい」と爽やかな手紙を書いている。
他方、谷川徹三夫人の多喜子は、夫の心がどうも他の女性に移ったことを知りつつも夫を愛し続け、「こんなに年をとっても、二十代の娘のやうにあなたを恋ふることの出来たこと」を喜ぶ切々たる文をしたためた。
悲しい手紙もたくさんある。明治43年に夏目漱石が名文と激賞した佐久間勉潜水艇長の文章もそうだ。「部下ノ遺族ヲシテ 窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我ガ念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ」。自責の念と責任感がひしひしと伝わってくる。
人間魚雷「回天」乗り組みの慶応義塾大学出身の士官、塚本太郎は遺書で「御両親の幸福の条件の中から太郎を早く除て下さい」と書いた。死を前にいちばん辛いはずの若者が自分の不幸を嘆かずに、両親の幸福をまず考えているのだ。10歳離れた弟にあてた手紙も涙を誘う。「兄貴ガツイテヰルゾ 頑張レ 親孝行ヲタノム」。梯さんは今度もいい本を書いたものだ。
※週刊ポスト2013年3月1日号