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1980年代~90年代の雑誌制作の現場はどんな様子だったのか

母親がよく変わってたので(笑)、おとなしく育った。

1980年代から1990年代は雑誌が売れに売れたまさに「黄金時代」。そんな時に雑誌の記者・編集者として、講談社の『PENTHOUSE』や『Hot-Dog PRESS』(以下HDP)の編集に携わった著述家・編集者の石黒謙吾さん(52)。

 新著『7つの動詞で自分を動かす ~言い訳しない人生の思考法』(実業之日本社)では、石黒さんがいかに能動的な「動詞」を使って仕事をしてきたかが書かれています。「ぶつける」「分ける」「開ける」「転ぶ」「結ぶ」「離す」「笑う」――こうして数々の名物企画を作ってきた石黒さんに、雑誌の世界がどんなものだったのか、その実態を振り返ってもらいました。

――元々はフリーながらも、出版社に所属する形で仕事をしていたんですよね?

石黒:24歳から関わり始めて32歳まで講談社で仕事していました。いや、それ以前に学生のときから見習いレベルでに『PENTHOUSE』や、角川書店『バラエティ』の仕事をしてましたから、雑誌編集を生業としていたのは10年間くらいになるでしょうか。1983年から1993年までは、社員ではないけど暮らし方としてはずっと中にいたので、事実上、雑誌編集部に所属してるようなものでした。

学校を出たあと最初は、角川で『バラエティ』の契約編集者を半年やり、『PENTHOUSE』で4年間フリー記者・編集者、『HDP』で4年。『PENTHOUSE』をの頃はバブルの時代で、HDPの時はバブルの余韻でイケイケ感がまだあったかな。

そんな時代に雑誌を作っていたのですが、男性誌、エンタメ系、かつ、女子がいっぱい出てくる本。まぁ、気分がアガりますよ! 両誌ともグラビアも担当したので、ヌード撮影現場の年中。HDPでは、僕が作る女の子特集号では、女の子にも支持されるようにオールヌード出さなくしました。そして、女の子大量動員システムを構築し、実際の女の子の声を反映させた、爽やかな恋愛特集からちょっとだけエッチな特集まで年に4回60~70ページを綿密に作っていました。

――仕事で知り合った女性からモテましたか?

石黒:モテた、はないけど、慣れましたよ。ヌード撮影とか、水着撮影とかの現場仕事をやっている、と言うと大抵『いいですね。うらやましいですね』とか言われますが、そんなの1回目だけです。現場では興奮する余裕なんてまったくありません。

現場ではとにかく女の子に気分よくなってもらうことがかなり重要。ポーズ、表情、見せるポイント、エロさ、ライティングとかすごく真剣に考えます。『このポーズではお腹にシワを隠すために、手をここに回せばいいんじゃない?』なんてモデルにディレクションして、カメラマンからは『よく気づきますねえ!』なんて言われたりもしました。

あとはレフ板持ちは常に(笑)。その場で原稿に朱入れ、電話連絡したり、撮影現場を押さえて、女の子呼ぶ「仕出し屋」に指示出したり。とにかく朝から朝まで(笑)怒濤のように仕事してました。いや~、でもすごい充実してて楽しかったな~。

工夫というか、アイディアといいますか、人のやってないことをいつも考えてました。『PENTHOUSE』では溶ける紙で袋とじ作ったり、『週刊現代』のグラビアもたまにやってたのですが、「AVギャル運動会」という企画でAV監督の村西とおるさんをレフェリーに引っ張り出したり。

グラビアの撮影現場では、買い物行ったり弁当手配したりリンゴの皮剥いたり(笑)、ひたすら細かいことをやらなくてはいけないので、皆さんが思っているほど「おいしい」仕事じゃないですよ。特に僕は大御所カメラマンの担当というワケではなかったので、豪勢なロケとかなかったし。

――ところで、ヌードとか水着になってくれる素人が出てたりしますが、あれは見つけるの大変じゃないですか?

石黒:そこですよ! 裸系プロダクション経由での入れ込みが多いことは多いですが、自分でも動きましたよ。『PENTHOUSE』では「シロウトOLヌード」という企画があった。ここで、一回、ライターさんから紹介された、某一流商社の2年目のお嬢さんっぽいコを口説いて出てもらったのは我ながらすごいと思いました。ちなみにその企画のギャラは15万円でした。

――ページの制作単価はいくらだったのですか?

石黒:『PENTHOUSE』では、1ページ10万円は超えないようにと言われてました。『HDP』はそこまでじゃなかったけど、経理担当の方に、これは無駄な経費ではなく、これぐらい有効にお金かけないと売れる物に仕上がっていかないんですと、よく必死に交渉してましたね。

――えっ? 私なんて最高5万円でしたよ! 1万円なんてこともけっこうありました。すごい時代ですね。

石黒:当時『PENTHOUSE』は50万部とか売れていたかな。広告が1号に1億円とか入ったこともあったはず。『HDP』も売れていたので、広告が1号に1億6000万入ったらあと断って、なんて会話を聞いたことも。『HDP』で清水文徳という天才的な編集者と組んで女の子特集をずっと作っていったら、30万部台だった女の子特集の部数が僕が最後に作った特集号では70万部に達したんです。ファッション号やグッズ通販など含めて編集部の業績はかなり良かったと思いますよ。

僕は契約だったので直接ギャラに跳ね返るということはなかったのですが、撮影後、カメラマンやスタイリストなどのスタッフを5~6人つれて焼肉屋へ行って、4~5万円の伝票が発生しても何も文句は言われなかったです。ただし、接待するような先生の担当ではないので、景気がいいというとよくイメージされるクラブとかキャバクラには、まったく行きませんでしたよ。

経費はまず立て替えなもんで、よく消費者金融で借りて撮影現場に行きましたねえ(笑)。当時は1日18時間は働いていました。20時間の時もよくあったなぁ…。派手さは特になかったと思うのですが、とにかく膨大な仕事をやっていたので忙しかったです。

――先ほど女の子のブッキングがタイヘンだ、という話が出ましたが、どうやって解決したのですか?

石黒:シロウトのほうではまず数ですよね。「この雑誌はかわいい子が載っている」という評判が立てば売れると思ったから女の子を手配する「仕出し屋システム」を構築していきました。自分たちで集めるのは限界があるから、遊んでる男子学生やプロダクション志向の若い男子を「仕出し屋」として育てていったんです。

そして、たとえば何人かの仕出し屋に依頼して1週間に400人呼んでもらう。女の子本人には4000円、仕出し屋には2000円払う。あとはフィルムと現像代が2000円で、カメラマンのフィーは3000円と仮に設定して計算すれば、1人の女の子を撮影するのに11000円かかる。400人なら合計440万円。

そこで全員を撮影しますが、最終的に半分は誌面に掲載しないようにしていきました。ルックスのレベルを上げると、間違いなく売れると信じてたし実際毎号結果が出ていきましたよ。「HDPってカワイイコばっかり出てるじゃん!」というやつです(笑)。

こうすると220万円は捨てたことになりますが、この大量動員半分カットシステムで、200人も可愛い子が残る。僕が女の子全員の写真を選んでいました。きつかったけど、まあ好きなんですね(笑)。

その後、この「大量動員システム」や、キャッチ取材でも使う、女の子データカードシステムなどは、ライター諸氏から伝わって、女性ファッション誌や、ギャル雑誌eggとかが踏襲されていきました。女優の田中美里さんとかも、実はその頃のHDPのキャッチ取材で出てました。「田中美里クン」なんて書いてありますよ(笑)。

――当時の出版業界、他の会社はどうだったのですか? 羽振りはよかったのですか?

石黒:聞いたところによると、講談社ではない会社の雑誌編集部では入稿日、校了日にドーンと高級弁当が積み上げられているんですって。これを自由に食べていい、ということで。でも、それを彼らは食べないんですよ。「弁当なんてウマくない」なんて言って外に食いに行くからたくさん余る。だから、フリーの人間は「いくらでも食べていいよ」と言われたとか。

あとは、某社の人が海外ロケで撮影用に象が必要になり経費で象を買った、というのも出版業界の有名な伝説がありますね。あとは某広告代理店の人が会社の伝票で何百人規模もの巨大結婚式をやった、なんて話も聞いたことあります。

いずれもバブル真っ盛りの逸話として聞いたのですが、僕なんて後期に隅っこにいた程度だからそれほど豪快な体験はしていません。前期から中期はもっとすごかったんじゃないでしょうか。

【石黒謙吾(いしぐろ・けんご)】
著述家・編集者・分類王。1961年金沢市生まれ。これまでプロデュース・編集した書籍は200冊以上。著書に『2択思考』『盲導犬クイールの一生』『ダジャレヌーヴォー』など。プロデュースした書籍には『ザ・マン盆栽』(パラダイス山元)、『ナガオカケンメイの考え』(ナガオカケンメイ)、『ジワジワ来る○○』(片岡K)など。全国キャンディーズ連盟(全キャン連)代表。日本ビアジャーナリスト協会副会長。年間40試合こなす草野球プレーヤー。雑誌編集者時代に、雑誌における女子大生の呼称・「クン」を確立させる。

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