角界で未だに破られていない69連勝という金字塔を打ち立てたのが、昭和の大横綱・双葉山定次である。
当時は1年に2場所しかない時代。69連勝は「約3年間、1度も負けなし」ということになる。さらに驚くべきは、この連勝は双葉山が23歳から26歳と、まだ力士として発展途上の段階での記録であるという点だ。
双葉山の強さは、技術や肉体ではなく、精神面から鍛え上げたものだった。
入門は15歳の時。身長は5尺7寸(173センチ)、体重は19貫(71キロ)で、あまり注目される存在ではなかった。そのうえ、大きな2つのハンデを抱えていた。6歳の時に友人の吹矢により右目を失明。11歳のときには、海運業を営んでいた父の船でウインチに巻き込まれ、右手小指をも失っていたのだ。
「ただ、彼はそうした自分のハンデを口にすることなく、闘志を内に秘めて、努力で番付を上げていきました」
双葉山の出身地である大分・宇佐市で双葉山を研究している市民グループ『豊の国宇佐市塾』の平田崇英塾長が語る。
「とにかく稽古熱心なことで有名でした。同期入門の大八洲と午前6時からの稽古に競って早起きし、とうとう午前4時から稽古を始め、『早すぎて眠れない』と親方から叱られたほど」
こうした双葉山の真面目すぎる性格が気に入らなかったのか、部屋では連日兄弟子から“可愛がり”を受けた。
「例えば石を盛ったバケツを持っての200回の屈伸を終えた後、兄弟子たちのぶつかり稽古の格好の標的となるなど、可愛がられるほど稽古量が増えていきました。しかし、幼少時から船上で父親との重労働を耐えてきた双葉山にとって、こうした稽古はきついものではなく、むしろ兄弟子からのイジメに耐えることで、さらに強くなっていきました」(平田氏)
※週刊ポスト2013年3月22日号