だが、著者の最終目的は足利事件の冤罪証明ではない。真犯人の逮捕だ。実は著者は、5つの事件の真犯人と思しき人物を特定し、本人を取材し、そのことを本書はもちろん、以前からテレビ番組や雑誌などで報じてきた。それらが反響を呼び、2011年に参議院予算委員会で5つの事件が取り上げられ、国家公安委員長が同一犯の可能性に言及した。にもかかわらず、捜査機関は動いていない。なぜか?
足利事件で採用されたDNA型鑑定は信頼性が低いことが明らかになったが、実はそれと同じ鑑定方法が出した結論によって逮捕され、死刑判決が下され、刑が執行された事件がある。事件名やその内容は本書に譲るが、もしも5つの事件の真犯人を追及すれば、すでに死刑執行された事件が冤罪の疑いのあるものとして注目されてしまう。そんな〈爆弾〉を抱え込みたくない。
だから、国は「北関東連続幼女誘拐殺人事件」を闇に葬り去ろうとしているのだ、と著者は告発する。著者は問う。〈殺人犯がそこにいる。罪を問われず、贖うこともなく、平然と。司法機関はそれを放置するのか? 法治国家にとって、これ以上の問いは存在するのか〉と。国家は人命の尊重よりも、真実の追求よりも、正義の実現よりも、自らの無謬性に拘り、自己防衛することを優先するのか。だとしたら慄然とする。
※SAPIO2014年3月号