県立高校の女性教諭が、我が子の入学式を優先し、勤め先の入学式を欠席したことが大きな話題となっている。この行動に対し、世論は非難囂々ではなく、「家族思いで何が悪い」「学校はブラック企業か」などと容認論が続出している。60代の元教諭の話。
「生徒への責任を考えると、自分の子供の学校行事や参観にはほとんど行けず、寂しい思いをさせてきた。熱を出した子供を、近所に頭を下げて預けて、仕事を優先することもあったが、それも自分が教師という職業を選んだ以上、仕方がないと思っていた。今回の一件を聞くと、教師の責任感が薄っぺらになってしまったように思います」
「企業戦士」と呼ばれ、家庭を顧みず、職務に邁進することが美徳ともいわれた本誌読者世代ならば、十分に頷ける意見であろう。しかし本件に対する現代の“世論”は驚くべきものであった。担任を批判するのではなく、擁護する意見が、多数を占めたのだ。
埼玉県教委に電話やメールで寄せられた意見では、「女性教諭への理解」が44%と、「批判や苦情」(23%)を倍近く上回った。ネット上の意識調査でも、「問題だと思わない」という意見が半数近くを占め、「問題だと思う」よりも多数派となっていた。
擁護派の主張には、労働者としての権利に目を向けたものが多い。
「今の時代、教師が率先してプライベートを優先する姿を見せるべきだ」
「家族が一番大事だろう。卒業式ならまだしも、入学式を休んだからといって、別に大きな問題にはならないのではないか」
「先生は、仕事のためにすべてを犠牲にしろっていうんですね」
「教師といえども私生活を優先する権利があるのは当然。そもそも年次休暇は定められた権利であり、何ら問題ない」
決められた制度にのっとって休んでいる以上、問題はないというものだ。ちなみに埼玉県には、小中学生の子供を持つ教員の育児を推進する目的で、入学式や卒業式、運動会や参観などに休みを取得できる「子育て休暇」制度もある。確かに、職務上の権利を行使しただけだといわれれば、それまでだろう。
母親目線での意見も少なくない。
「教師である前に1人の母親。子供の気持ちを思えば、入学式くらい行かせてあげればいいじゃないか」
「当たり前だろ、親なんだから」
中にはこんな意見まで。
「家族を大切にするいい先生だということがわかっていい。自分の子供をこれだけ大切に思うのだから、生徒は自分たちのことも大事に思ってくれると感じるのではないか。こんな先生に教わりたい」
※週刊ポスト2014年5月2日号