スミスは開幕3連戦で11打数4安打を放ち、「俺が日本に行けば江川と同じ額の金がもらえる」と豪語していた通りの結果を出した。だが一塁への全力疾走を怠ったことから、熱血漢として知られた当時の武上四郎監督の逆鱗に触れ、その後はまったく使われなくなってしまう。「メジャーでは実力が優先だ。力を出せばいいだろう」というスミスに対し、武上は「ここは日本だ。日本のやり方に従え」と口論になり、感情のもつれから生まれた処置だった。
ただ武上監督が5月に解任され、代わった土橋正幸の方針で、再びチャンスを与えられる。元々、大杉勝男の後継者として獲得した経緯があったため、もったいないという判断だった。しかしスミスは日本の野球に不信感を持ったのか、最後まで打ち解けようとはしなかった。
「練習が長い」と言ってはすぐにやめる。最後には「日本の野球は誰も力勝負をせずに逃げてばかりいる」とも言っていた。監督としては扱いにくい存在となり、結局2年間で68試合、2割2厘、5本塁打の成績で終わっている。
そもそも江川と共同生活をしていた頃から、スミスはとにかく“アメリカ人”で、日本人の江川には理解できない部分も多かった。マンションの家賃は江川持ちだったが、「彼女が家に来るからお前は外に出ていてくれ」と言われて、江川は公園で2時間以上ぼんやり待たされたり、またある時は冷蔵庫の中に入っていた漬け物が全部捨てられ、「日本人はこんな野蛮なものを食べているのか。臭いを消してくれ」と言われたこともあった。日本の文化を理解しようと、歩み寄るようなことはなかった。
ただ帰国後、“天敵”だった武上がアメリカを訪れた際、スミスは武上を自宅の農場に宿泊させている。その時、「日本には一宿一飯の恩というのがあるんだろう」と言ってウインクして見せたという。それを聞いて、最終的に少しは、日本人のことを理解しようとしたのだろうかと思った。
※週刊ポスト2014年5月23日号