伊良部秀輝。1969年沖縄生まれ。香川・尽誠学園では甲子園に2度出場し、1988年ドラフト1位でロッテに入団。最多勝1回、最優秀防御率2回、最多奪三振2回と、先発の一角を担う。
1997年ヤンキースに移籍。1998年にはワールドシリーズ制覇も果たすが、その後はエクスポズ等を経て、2003年阪神に入団。2004年秋に戦力外通告を受けるが、2009年現役復帰。米独立リーグや四国・九州アイランドリーグでプレーするも腱鞘炎悪化により2度目の引退。国内通算72勝69敗11S、MLB34勝35敗16Sと成績は一見地味だが、記録より記憶に残る剛腕投手だった。
実父は元米軍の気象技師。ベトナムから帰還後、一度我が子に会いに沖縄へ戻るが帰国。その後一家は尼崎に移り住み、体格に優れた伊良部は兵庫尼崎ボーイズ時代の相棒・高島正春共々、地元では有名な〈尼のごんた〉、要はやんちゃだった。
が、何かと反抗的な問題児も、優しく諭せば〈ぼく、駄目なんです〉とメソメソ泣き出し、中身は子供だ。そうした心得は尼崎時代の的場康司コーチや尽誠学園の大河賢二郎監督、鈴木皖武スカウトらに共有され、彼の隣には心を開ける友も各時代に存在した。
尽誠の奥野聖太郎捕手や同室だった後輩・佐伯貴弘。ロッテ時代、彼を〈ラブさん〉と慕った前田幸長。投球術の極意を伝えた牛島和彦や弟子仲間の小宮山悟。エクスポズの同僚・吉井理人や阪神の下柳剛等々、彼らが語る伊良部像はどこか人懐こく、酒が入ると手に負えないが、こと野球に関しては真摯で素直というものだ。
「例えば吉井さんは、アウェーの試合で差別発言をした相手球団の関係者を〈しばいてええか?〉と聞いた時に〈暴力は駄目です〉と真顔で返され、拍子抜けしたらしい。それを、お前が言うかって!(笑い)
面白いのは彼が慕う相手も一癖あるというか、組織には疎まれるタイプが多い。広岡GM時代に小宮山さんをトレードに出そうとした話なんて結構酷い話だけど、結局何を不良とするかにもよりますからね。伊良部さんに関しては何を話しても違うことを書かれるからと取材を断っていた佐伯・現中日二軍監督なんて本当に律儀ないい人で、そんな彼らが愛した伊良部の面白さを、伝えたかったんです」
問題の移籍騒動にしても、正確な経緯はかなり違う。