伊良部秀輝一覧

【伊良部秀輝】に関するニュースを集めたページです。

運動音痴で野球に興味がなかったという
星野仙一氏の「優勝宣言」が阪神選手、フロントの意識変えた
 2003年に18年ぶりのセ・リーグ優勝を決めたのは、星野仙一監督率いる阪神タイガースだった。39年ぶりの本拠地・甲子園での優勝決定で、5万3000人のファンが歓喜に沸いた。優勝を報じるデイリースポーツ一面のロゴのしっぽも光る特別仕様だ。負けてもどこか諦める癖がつきかけた阪神ファンに、勝つ楽しさを思い出させてくれたシーズンだった。 就任1年目を4位で終えた星野氏は、大胆な“血の入れ替え”を断行した。20人以上を解雇し、フリーエージェントで金本知憲、伊良部秀輝を獲得。さらにトレードで下柳剛と中村豊、外国人選手ではウィリアムスとアリアスを補強し、「勝ちたいんや!」を合言葉に序盤から突っ走った。 4月18日に首位に立つと、7月にはマジックが点灯。終わってみれば87勝51敗2分、2位に14.5ゲーム差をつけての圧勝だった。当時、球団社長だった野崎勝義氏が語る。「星野さんはフロントも含めたチームの意識改革に成功したのが大きい。当時は最下位が4年間も続き、誰もが恥ずかしくて『優勝』なんて口にできませんでした。そんな中、就任1年目のキャンプで星野さんが優勝を宣言したのです。お陰で1年目のオフには皆が意識するようになった。ファンの声援も力にして、圧倒的な強さでゴールインしたシーズンでした」※週刊ポスト2019年11月8・15日号
2019.11.10 16:00
週刊ポスト
高校時代にイチローを抑え松井秀喜に壁を感じさせたエース
高校時代にイチローを抑え松井秀喜に壁を感じさせたエース
 今年のドラフトの目玉として注目を浴びる星稜・奥川恭伸と大船渡・佐々木朗希。超高校級の“2大エース”といえば、過去には「田中将大と斎藤佑樹」、「大谷翔平と藤浪晋太郎」らが思い出される。彼らのライバル関係はその後プロでも続き、大きく明暗を分かつこともある。球史を彩ったライバルたちのドラマを追った。 高校生の当たり年といわれた1987年のドラフトは、伊良部秀輝(尽誠学園)と、3年夏に準決勝にまで勝ち進んだ川島堅(東亜学園)が注目の的となった。「伊良部は3回戦で敗れたもののナンバー1豪腕といわれ、準決勝まで勝ち上がった川島は34イニング連続無四球の記録を残すなど高校生の即戦力として期待されていた。川島は広島に入団後3年目の1990年にヒジを故障し、台湾でのプレーを経て引退。一方の伊良部はロッテで2年連続で最多奪三振を獲得するなどの活躍を見せた後、ヤンキースに移籍。MLB6年で34勝35敗16セーブをあげた」(スポーツジャーナリスト) イチロー(名電)がオリックスに4位指名された1991年ドラフトで注目されたのは、センバツ1回戦でイチローを無安打に抑えた上田佳範(松商学園)だった。上田は夏も甲子園に出場し、準々決勝で2年生の松井秀喜(星稜)と対戦。松井は上田について「野球人生で初めて壁を感じた」と振り返っている。「上田は日本ハムに1位指名されたが、一軍登板がないまま外野手に転向。一方、甲子園出場経験はないものの、県予選4試合で52奪三振を記録した石井一久(東京学館浦安)をヤクルトが1位指名し、日米通算182勝をあげた」(同前) 石井を見出した元スカウト・片岡宏雄氏が語る。「体格にも恵まれ、ストレートも早かった。伸びしろを感じました。他球団スカウトの目に触れないよう、“甲子園に行かないでほしい”と思いながら県予選を見ていました」 プロ選手としての奥川と佐々木のドラマはこれから始まる。輝くのはどちらか。※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.09.06 07:00
週刊ポスト
大谷獲得のエプラーGM 「MLBの至宝」まで説得した大仕事
大谷獲得のエプラーGM 「MLBの至宝」まで説得した大仕事
 驚きの結果の裏側には、5年に及ぶ一途な思いがあった。立教大学非常勤講師として「スポーツビジネス論~メジャー1兆円ビジネス」の教鞭をとる古内義明氏が解説する。 * * * 1998年に導入されたポスティング制度開始以来、最多となる球団が参加した大谷翔平の争奪戦は、アナハイム・エンゼルスに軍配が上がって幕を閉じた。2次選考に勝ち上がった「神セブン」と呼ばれる7球団の中で、エンゼルスは大穴中の大穴。大方の予想を裏切る大仕事をやったのけた立役者がビリー・エプラーGMだった。「結婚や息子の誕生と同じくらい嬉しかった」 大谷の代理人であるネズ・バレロから入団を伝える電話を受け取った瞬間、エプラーGMは椅子から転げ落ちたという。正直な感想であり、エプラー本人が「まさか」と一番驚いたはずだ。 生き馬の目を抜くメジャーの世界にあって、この男、すこぶる評判はいい。言ってみれば、「ナイスガイ」だ。カリフォルニア州サンディエゴで生まれたエプラーは投手として活躍し、コネチカット大学野球部時代に肩を壊して、プレーヤーの道を諦めたが、会計学の学士を取得。野球の世界に足を踏み入れたのは2000年のコロラド・ロッキーズのスカウト部門が原点だった。 日本人選手との深い関わりは、2005年にニューヨーク・ヤンキースのスカウトに転職してからだ。その時代、ヤンキースには松井秀喜と井川慶がいた。フロリダ州タンパにあるキャンプ施設のオフィスを拠点にしていて、何度かその姿を目にしていた。フィールドに姿を現すことは少なく、マーク・ニューマンやデーモン・オッペンハイマーという伝説のスカウトマンからイロハを学び、そして故・伊良部秀輝の獲得に尽力したジーン・アフターマンGM補佐からも影響を受けた。 分析力に長けたエプラーはいつしかブライアン・キャッシュマンGMの右腕と形容される存在になっていく。2014年にヤンキースがポスティング制度で田中将大を獲得した際、来日を重ねていたエプラーの手腕は確固たるものになった。それ以降、他球団にGMポストの空席が出ると、イの一番に声が掛かるように将来を嘱望されていた。2015年10月4日、エプラーは晴れてエンゼルスのGMの座に就き、念願を叶えることになった。 映画「ダイハード」の舞台にもなったロサンゼルス市センチュリーシティーにあるCAA本社の会議室。大谷の前に座ったエプラーGMは、メジャーの常識を破る提案をした。エンゼルスで二刀流を実現するために、常識破りの6人ローテーションを提案し、登板の合間で指名打者(DH)での起用を明言。同席したマイク・ソーシア監督も二刀流での起用を約束してみせた。エンゼルスのDHは通算614本塁打を記録する“至宝”アルバート・プホルズがいる。過去1塁手で2度のゴールデングラブ賞を受賞しているプホルズだが、37歳のベテランになり、今季は6試合しか守っていない。そのプホルズを説得して守備につかしてまでも、大谷をDHで起用する「誠意」を形で示してみせた。 エンゼルスは1961年創設の歴史の浅いチーム。同じロサンゼルスにあるドジャースには実績や人気でも後塵を拝しているが、ガチガチに縛られる環境よりも、大谷の成長過程を温かく目で見守ってくれる環境にある。 世界一になったのは21世紀に入った2002年のわずか一度だけ。今季はアメリカン・リーグ西地区で80勝82敗と負け越して、世界一となったヒューストン・アストロズには21ゲームの大差をつけられた敗北。チームの特徴は打高投低でエース不在。26歳と若く、2度のMVPに輝くマイク・トラウトを軸に世代交代が至上命題なのは明らかだった。エプラーGMにとって、23歳と伸び盛りで、投打の両面で高いポテンシャルを見せつける大谷は魅力的であり、彼の希望を受け入れるだけの未来志向の考えも持ち合わせていた。 エプラーの大谷愛は、花巻東時代からだという。その大谷は入団会見で、「エンゼルスに縁を感じた」と入団理由を話した。縁の一つには間違いなくエプラーGMの存在も入っているだろう。5年越しに大谷のハートを射止めた男の一途さには、来季の年間最優秀GMの声が早くも出始めている。
2017.12.12 07:00
NEWSポストセブン
王貞治を激怒させた「開幕投手・園川事件」 本人が振り返る
王貞治を激怒させた「開幕投手・園川事件」 本人が振り返る
 プロ野球の長いシーズンで特別な意味を持つのが「開幕投手」。しかし、1996年の開幕戦で、開幕投手を巡って“世界の王”が激怒するという事件が起こった。「王さんの逆鱗に触れた試合ですね。もちろん、よく覚えていますよ」 1996年、伊良部秀輝、小宮山悟、ヒルマンの3本柱を差し置いてロッテの開幕投手を務めた園川一美は、苦笑しながら振り返る。試合前日、開幕投手にエース・工藤公康を立てたダイエー・王貞治監督は、相手の予告先発が園川と聞き、報道陣に「開幕投手には“格”というものがあるだろう」と不満をブチまけてスポーツ紙の一面を飾った。「奇策といわれましたが、仕方がないですね。僕でもそう思います(笑い)。あの時は開幕投手の予定だった伊良部が、故障で登板回避になったんです。開幕3連戦の他のローテーションは動かせず、4番手の僕になった。決まったのは2日前でした。江尻監督は王さんの批判に反論しませんでしたが、伊良部の故障を公表できなかったからだと思います」(園川) 急な登板でかえってプレッシャーはなかったというが、体は思うように動かなかった。味方の大量援護を受けるも5回に2ランを浴び、さらに2死満塁のピンチを招く。勝ち投手の権利を目前に園川は降板した。「エースなら続投でしょうね。僕もシーズン途中なら投げさせてもらえたかもしれないが、チームとして開幕戦を白星飾りたい思いが強かったのでしょう」(同前) 4投手のリレーで勝利したロッテは1回からリリーフを準備させていた。奇策を仕掛けられた王監督は試合後、「そりゃ頭に来ますよ」と語り、神経戦に負けたことを悔しがった。 そんな園川は現在、故郷・熊本のイオン八代店内にあるスポーツオーソリティ八代店に勤務し、来店客の用品選びやトレーニング法などの相談に乗っている。「あの試合で負けていたらマスコミから袋叩きだったと思う。本当に勝ててよかった」と、最後に微笑んだ。【試合データ】1996年3月30日(千葉マリン)ロッテ6-4ダイエー■取材・文/鵜飼克郎(文中敬称略)※週刊ポスト2017年4月7日号
2017.03.28 16:00
週刊ポスト
【著者に訊け】田崎健太 『真説・長州力』で描く「ど真ん中」
【著者に訊け】田崎健太 『真説・長州力』で描く「ど真ん中」
【著者に訊け】田崎健太氏/『真説・長州力 1951-2015』/集英社インターナショナル/1900円+税 勝新太郎や伊良部秀輝、虚実入り混じる対象の中に一握りの真実を探りあてる周到さにおいて、田崎健太氏(47)の作品群は一貫した熱さと冷静さを併せ持つ。その彼にして本書『真説・長州力』ほど厄介な題材もなかったという。よく言えば劇的、悪く言えば予定調和な〈プロレスの秘密〉を、総勢60名を超す取材対象は共有し、〈不思議な連帯感〉で結ばれていたのだから。 例えば執筆をほぼ終えたある日のこと。〈当初、あなたの言葉をぼくは信用していなかった〉と正直に明かした著者に長州はにっこり笑ってこう言った。〈「なぞなぞは凄いです。折角取材をしてもらっているのに、失礼な話ですよね」〉──。〈この本は彼の言葉を手がかりに“なぞなぞ”を解いていったようなものだ〉 虚構に生き、だからこそ嘘のない肉体を鍛え抜く男たちの実像に迫る700枚。そこには敵味方や恩讐すら超えた固い絆と昭和のプロレスの歩みが透けて見える。「長州さんは現役時代は寡黙で怖い人という印象が強かったと思う。ところが会ってみると、彼のお酒は実に穏やかで、〈ぼくはいつもここです。端っこがいいんです〉と言って店の隅に座って訥々と話をする。その長州さんが2003年にWJプロレスを立ち上げ、〈ど真ん中のプロレス〉を追求した理由には、僕自身、胸を衝かれました」 長州力こと吉田光雄、本名・郭光雄は1951年山口県生まれ。小学校では教師にすら〈朝鮮の子どもは殴られても痛くないんだよな〉と差別された在日二世の彼は、〈朝鮮人という言葉を聞くと、魔法にかかったかのように自分が小さくなっていく〉と当時を振り返る。 尤も体格がよく、喧嘩も強い〈最強の中学生〉は、桜ケ丘高校レスリング部にスカウトされ、国体で優勝。専修大3年の秋にはミュンヘンオリンピック韓国代表として出場も果たしている。「長州さんの何が凄いって、オリンピックに出るくらい本当に強いから凄いんです。言葉も習慣も違う選手団の中で孤立した経験もある彼は、〈ぼくは九〇パーセント、日本人です〉と言っていて、在日であることを全く隠していない。周囲が気を使って事実を伏せる度に複雑な思いを抱えてきたのは当の長州さんだと思います」 卒業後はアントニオ猪木率いる新日本プロレスに入団。が、初代タイガーマスク佐山聡らに比べて地味とも言われた長州は海外を転戦。ようやく脚光を浴びたのは藤波辰巳とビンタの応酬を繰り広げた1982年の〈噛ませ犬事件〉だった。「長州さんはマサ斎藤さんと出会って以来、プロレスを仕事としてきちんと定義し、その楽しさに気がついた。さらに、事件の後は一層観客を〈捕まえる〉ことに覚醒していく。実はこの布石を打ったのは猪木さんで、長州さん自身、〈お釈迦様の掌の上から出られない〉と笑ってました」 本書は後半、猪木の副業を巡る不満から大塚直樹営業部長らが画策した1983年のクーデターの舞台裏など、新日への離反と復帰を繰り返した長州のプロレス人生を関係者の証言を元に追う。ジャパンプロレスを興して長州を社長に据えた大塚や、新日に残り、経営を立て直した坂口征二。さらに長州に振り回された谷津嘉章やキラー・カーンなど、彼を必ずしもよく言わない者の証言も載せる点が面白い。「彼には書きたいように書けと言われていたし、長州力を書くことはプロレスの昭和史を書くことだった。そう確信してからは誰に取材を断られたかも含めてありのままを書き、特にWJ結成から2009年のリキプロ解散に至る経緯は初めて公になった話も多いはずです」〈プロレス観戦は知的遊戯〉とある。虚実に遊ぶ遊び方を知り、物語性とリアリティを同時に追求するファンは高度な読み手でもある。「そもそもプロレスファンでもない僕が本書を書いたのは、安田(忠夫)さんの引退興行を仕切ったのがきっかけ。安田さんは賭博好きでどうしようもないダメ人間なんですが、妙に憎めないんですね。 坂口さんや大塚さん以外の大半は金銭感覚が壊れているし、変人も多い(苦笑)。そのぶん魅力的な彼らの言葉を極力再現したかったし、長州さんがなぜ〈最強〉を謳うUWFを徹底的に潰したかも、わかる人にはわかる形で書いたつもりです」 中でも印象的なのが2004年10月の「ど真ん中発言」だ。新日の国技館興行に乱入し、〈てめぇら、この状態が何を意味しているか分かるか。俺は今、新日本プロレスのど真ん中に立っているんだぞ〉と叫んで喝采を浴びた長州は、後に田崎氏にこうこぼすのだ。〈ぼくがど真ん中という言葉を使うときは、業界の“作り言葉”ではなく、自然に出る言葉です。幼少の頃の悔しさ、惨めさみたいなのが言葉になる〉 プロレス生活で得たものは〈人を見る目〉、失ったのは〈家族〉と語る長州だが、猪木に関しては言葉が詰まり、試合中に〈長州、殺せ〉と言われたエピソードを絞り出した。〈本気でリングで死ぬことを求めていたのかもしれない。だからあの人には敵わないんです〉と。「日本プロレス界のわからなさは、猪木さんのわからなさにも通じる。その掌を出られないという長州さんの掌で僕もまた転がされ、彼の半生を書かされた感じがしないでもありません」 長州にしろ猪木にしろ、幾多の証言が彫塑する肖像は茫洋としていて、何とも掴み処がない。しかしそれもまたプロレスの奥深さであり、魅力の源泉なのだろう。【著者プロフィール】田崎健太(たざき・けんた):1968年京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。週刊ポスト編集部等を経て1999年退社。ノンフィクション作家に。著書に『CUBAユーウツな楽園』『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』『W杯に群がる男たち』『楽天が巨人に勝つ日』『偶然完全 勝新太郎伝』『維新漂流 中田宏は何を見たのか』『ザ・キングファーザー』『球童 伊良部秀輝伝』等。現在、早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。178cm、75kg。(構成/橋本紀子)※週刊ポスト2015年9月18日号
2015.09.11 07:00
週刊ポスト
長州力(左)と『真説・長州力1951-2015』著者の田崎健太氏(右)
長州力の半生描くノンフィクション 決起集会で著者が感慨深げ
「キレてないですよ」「ナニコラ、タココラ」などの発言が広く知られ、最近ではバラエティ番組でも大活躍中のプロレスラー・長州力。そんな長州の半生を描くノンフィクション『真説・長州力 1951-2015』(田崎健太・著/集英社インターナショナル)が、現在発売中。 それを記念して8月6日に東京・神保町の三省堂書店本店で「真説・長州力 1951-2015 ベストセラー祈願 総決起集会」が実施された。長州力と書店員12人が集い、ベストセラー祈願を行なった。現場では、長州が書店員を激励するほか、書店員が作ったPOPを読み、長州に代読してもらった。長州は「本の町、神保町のど真ん中から熱い思いを届けたい」や「(書店員の)皆さん、(ガンガン売ってくれるよう)お願いします!」と意気込みを叫び、書店員も「ウォー!」「イェー!」などと歓声をあげた。テレビや新聞を含む多くのメディアが取材に訪れ、会場は盛り上がりを見せた。 同書では著者の田崎氏が長州から話を聞き出すのが大変だったことや、別のレスラーや関係者の中には取材を快く思われなかったこともあったなども記述されていたが、今回の本は発売後すぐに重版されるほどのヒットとなっている。 ヤフー!映像トピックスの「ストーブチャンネル」のインタビューで田崎氏は「この本は完成しないと思った」といった趣旨の話をしていたが、改めてこうしてイベントを見てどう考えたか。田崎氏に聞いた。「書き終えた時はホッとしましたね。やっぱり長州さんはスゴい、というのが今の感想です。昔、伊良部秀輝さんのこととか書いた時の反応と比較にならないのです。勝新太郎さんのことを書いた時は、勝さんがすでに亡くなっていたということもあり、今回ほどの反響ではありませんでした。改めて長州さんはパワーを持った人だと思いました。 最初、編集担当から話をもらった時は、何かのドッキリかと思いましたよ。これまで色々な仕事を頑張ってきたのに、今回はあまりに難しくて『無様なものは書けない』と常に思っていました。それなのにこうしてこの日を迎えられ、本当に良かったと思います」 なお、田崎氏は長州がどんな人間かを記者会見で聞かれ「シャイな人」と述べていた。
2015.08.06 16:04
NEWSポストセブン
野茂・伊良部・斎藤隆・ダル・上原 MLBが震撼の興奮シーン
野茂・伊良部・斎藤隆・ダル・上原 MLBが震撼の興奮シーン
 1995年、野茂英雄がアメリカ・MLBで鮮烈デビューを飾ってから今年で20年。日本人MLB選手による記憶に残る名シーン(投手編)を振り返ってみよう。●野茂英雄「2度のノーヒットノーラン」(1996年9月17日・ドジャース在籍のロッキーズ戦=クアーズフィールド、2001年4月4日・レッドソックス在籍のオリオールズ戦=キャマデンヤーズ) 両リーグでのノーヒッターは史上4人目(当時。現在は5人達成)。1度目は海抜1600メートルの「最も打球が飛ぶ球場」、しかも雨で試合開始が2時間遅れという悪条件。2度目も球場の電気系統故障で43分遅れの開始だった。この男は逆境に強い。●伊良部秀輝「和製ノーラン・ライアンの鮮烈デビュー」(1997年7月10日・ヤンキース在籍のタイガース戦=ヤンキースタジアム) ニューヨークは「和製ライアン」に大フィーバー。デビュー試合には約5万6000人が詰めかけた。伊良部は大歓声に臆することなく剛速球、フォーク、スライダーを巧みに投げ分け6回3分の2を2失点・9三振で初登板初勝利を飾った。●斎藤隆「マイナー契約から胴上げ投手へ」(2006年9月30日・ドジャース在籍のジャイアンツ戦=AT&Tパーク) マイナー契約で開幕はトリプルAスタート。しかしストッパー、エリック・ガニエの故障などでメジャー昇格、クローザーに抜擢される。ポストシーズン進出を決める161試合目もマウンドを託され、リードを守った。この年24セーブ。●ダルビッシュ有「完全試合まであと1人」(2013年4月3日・レンジャーズ在籍のアストロズ戦=ミニッツメイド・パーク) この日は速球、変化球ともに絶好調で自己最多の奪三振14。しかし9回2死、ア軍の9番打者の打球は無情にもダルビッシュの脚の間を抜けた。歓喜の瞬間はならなかったが、マウンドを降りる姿に、球場はスタンディングオベーションに包まれた。●上原浩治「ワールドシリーズ胴上げ投手」(2013年10月31日・レッドソックス在籍のカージナルス戦=フェンウェイ・パークでのワールドシリーズ第6戦) ポストシーズンでは痺れる場面で何度も完璧な救援を見せてきた上原。この日も9回を三者凡退に抑え日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手に。伝家の宝刀・スプリットが冴えに冴えた。前日は抜群の一塁牽制でピンチを切り抜けている。※週刊ポスト2015年5月29日号
2015.05.23 16:00
週刊ポスト
【著者に訊け】田崎健太 豪速球投手『球童 伊良部秀輝伝』
【著者に訊け】田崎健太 豪速球投手『球童 伊良部秀輝伝』
【著者に訊け】田崎健太氏/『球童 伊良部秀輝伝』/講談社/1600円+税 その突然すぎる幕切れを、私たちは予め知っている。それでも彼、伊良部秀輝の、不器用なだけに純粋な野球への思いや、壊れやすく繊細な魂の輝き、そして時に覗く茶目っ気が、読む者を捕えて放さない――。田崎健太著『球童 伊良部秀輝伝』はそんな評伝だ。 著者は生前の彼に〈最後に話を聞いた人間〉であり、これまでにも勝新太郎など、一癖ある人物の評伝を手がけてきた。巷間伝えられる醜聞の類には騒動を騒動としてのみ煽った報道も少なくなく、実像や本質を何ら伝えてはいないからだ。 しかし本人に二度と話を聞くことはできない以上、周囲の証言を頼りに人物像を彫塑(ちょうそ)する他なく、田崎氏は伊良部を知るための旅に出る。尼崎、香川、沖縄、NY、そして最期の地ともなった西海岸の青い空……。一言で言えばそう、伊良部とは可愛い男だったのだ。「元々僕はヤンキース移籍の際に代理人を務めた、団野村氏の本を書くつもりで取材を始めたんですね。ある時、ロスの団事務所で働く星野太志氏と食事をしたら、引退してロスにいる伊良部さんを彼が担当しているらしく、ぜひ会いたいという話になった。以前、伊良部さんを取材した記者から『噂と随分印象が違う』と聞いて以来、どんな男なのか、興味があったんです。 そして2011年5月、ロスで話を聞いたんですが、意外に知的というか、投球術の話にしても非常に論理的でわかりやすい。一方出自や生き別れた父親の話になると急に嘘が混じり、厄介な取材対象でもありました」 それでも再取材を依頼すると〈いいですよ、連絡ください〉と彼は笑顔で答え、その2か月後、命を絶った。野球教室以外やることもなく、〈ミッドライフクライシスになっちゃった〉と引退後の虚無感を語った42歳の元メジャーリーガーの死を、しかしメディアはスキャンダラスに書き立てるばかりで、〈ぼくが会った伊良部の面白さ、繊細さ〉は感じられなかったという。「その1年後かな。『なんか遺骨とか相続の話ばかりで、悲しいですね』って星野さんや団さんと話して。誰も本当のことを書かないなら、僕が書こうと」 伊良部秀輝。1969年沖縄生まれ。香川・尽誠学園では甲子園に2度出場し、1988年ドラフト1位でロッテに入団。最多勝1回、最優秀防御率2回、最多奪三振2回と、先発の一角を担う。 1997年ヤンキースに移籍。1998年にはワールドシリーズ制覇も果たすが、その後はエクスポズ等を経て、2003年阪神に入団。2004年秋に戦力外通告を受けるが、2009年現役復帰。米独立リーグや四国・九州アイランドリーグでプレーするも腱鞘炎悪化により2度目の引退。国内通算72勝69敗11S、MLB34勝35敗16Sと成績は一見地味だが、記録より記憶に残る剛腕投手だった。 実父は元米軍の気象技師。ベトナムから帰還後、一度我が子に会いに沖縄へ戻るが帰国。その後一家は尼崎に移り住み、体格に優れた伊良部は兵庫尼崎ボーイズ時代の相棒・高島正春共々、地元では有名な〈尼のごんた〉、要はやんちゃだった。 が、何かと反抗的な問題児も、優しく諭せば〈ぼく、駄目なんです〉とメソメソ泣き出し、中身は子供だ。そうした心得は尼崎時代の的場康司コーチや尽誠学園の大河賢二郎監督、鈴木皖武スカウトらに共有され、彼の隣には心を開ける友も各時代に存在した。 尽誠の奥野聖太郎捕手や同室だった後輩・佐伯貴弘。ロッテ時代、彼を〈ラブさん〉と慕った前田幸長。投球術の極意を伝えた牛島和彦や弟子仲間の小宮山悟。エクスポズの同僚・吉井理人や阪神の下柳剛等々、彼らが語る伊良部像はどこか人懐こく、酒が入ると手に負えないが、こと野球に関しては真摯で素直というものだ。「例えば吉井さんは、アウェーの試合で差別発言をした相手球団の関係者を〈しばいてええか?〉と聞いた時に〈暴力は駄目です〉と真顔で返され、拍子抜けしたらしい。それを、お前が言うかって!(笑い) 面白いのは彼が慕う相手も一癖あるというか、組織には疎まれるタイプが多い。広岡GM時代に小宮山さんをトレードに出そうとした話なんて結構酷い話だけど、結局何を不良とするかにもよりますからね。伊良部さんに関しては何を話しても違うことを書かれるからと取材を断っていた佐伯・現中日二軍監督なんて本当に律儀ないい人で、そんな彼らが愛した伊良部の面白さを、伝えたかったんです」 問題の移籍騒動にしても、正確な経緯はかなり違う。「野球協約や法律面を改めて調べ直すと、本人の了解もなく〈独占交渉権〉をパドレスに譲渡した球団が明らかにおかしい。それをよく調べもせずに伊良部さんを一方的に叩いたマスコミも酷いし、選手会も無知・無力と言わざるを得ません。 団さんですら弱気になる中、伊良部さんは全くブレなかったそうで、そういう強さと脆さを併せ持つ彼は野球以外頭にないというか、打者との勝負以上に興味を引く対象を最後まで見つけられなかったんだと思う」 そうまでして戦う理由を、団氏らは〈見ていられないじゃないですか〉と語り、球団側の人権侵害に等しい仕打ちや〈不当な雇用関係〉には、怒りを禁じえない。「ただしそのおかげでポスティングシステムができ、田中マー君たちが活躍できているのも事実。日本選手のメジャー進出に体制面で貢献したのは、むしろ野茂さんというより伊良部さんなんです。 他にも伊良部という題材には沖縄の戦後史やベトナム帰還兵のPTSDまでが絡み、戦争の翳をほとんど身近に見ることのない同世代の僕にはどこか歴史的ですらあった。渡米後に再会を果たした実の父親にも会いましたが、伊良部さんは〈牛って一頭いくらなんですかね?〉と妙なことを口走るくらい動揺していたらしく、父親の顔を知らずに育ったことが人格形成に大きく影響したと僕は思う。 ただしそれも含めて一筋縄ではゆかない彼の魅力で、今時あんなに魅力的な男はそういるものではないだけに、残念でなりません」 最後まで投手であることに拘(こだわ)った彼の失意はむろん余人には計り知れないが、晩年ふらりと宮古島を訪れ、海を眺めていたという彼の瞳が宿す孤高の光を、本書を読み終えた今なら想像できる。その悲しげでどこか愛らしい残像はかつてマウンド上に見た雄姿とともに、たぶんこの先も消えることはない。(構成/橋本紀子)【著者プロフィール】田崎健太(たざき・けんた):1968年京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。本誌編集部等を経て1999年退社、ノンフィクション作家に。『CUBAユーウツな楽園』『此処ではない、何処かへ 広山望の挑戦』『ジーコジャパン 11のブラジル流方程式』『W杯ビジネス30年戦争』『楽天が巨人に勝つ日』『偶然完全 勝新太郎伝』『維新漂流 中田宏は何を見たのか』『ザ・キングファーザー』等。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。178cm、75kg。※週刊ポスト2014年6月20日号
2014.06.11 07:00
週刊ポスト
MLBへのエース流出球団 翌年の成績が悪化しなくなった背景
MLBへのエース流出球団 翌年の成績が悪化しなくなった背景
 いよいよ、3月28日にプロ野球が開幕する。さまざまな見どころがあるなか、昨シーズン24勝0敗1Sと無双の活躍をしたエース・田中将大の抜けた東北楽天ゴールデンイーグルスがどのような戦い方をするのかも、注目のひとつだ。 1995年の野茂英雄(近鉄→ドジャース)を皮切りに、メジャーに挑戦する日本人エースが増えている。ここでは、エースの定義を、移籍前の過去5年で3度以上2ケタ勝利もしくは25セーブを記録した投手としよう。 すると、野茂を始め、1997年の伊良部秀輝(ロッテ→ヤンキース)、1998年の吉井理人(ヤクルト→メッツ)、2000年の佐々木主浩(横浜→マリナーズ)、2006年の松坂大輔(西武→レッドソックス)、2008年の黒田博樹(広島→ドジャース)、2012年のダルビッシュ有(日本ハム→レンジャース)などの17投手が該当する。 松坂と井川慶(阪神→ヤンキース)がメジャー挑戦した2007年までは、エースの流出したのべ10チーム中8チームが順位を落としていた。1995年、野茂の抜けた近鉄は2位から一気に最下位に。伊良部のいなくなった1997年のロッテ、小宮山の消えた2002年の横浜も最下位に転落。1998年、FA(フリーエージェント)で吉井理人が抜けたヤクルトも、4位に落ちてしまった。そして、松坂という大黒柱を失った2007年の西武は、26年ぶりのBクラスとなる5位に低迷したのだ。 だが、こうした情勢は、2008年以降変わってきている。エースが流出したのべ7チーム中5チームが、翌年の順位を上げているのだ。スポーツライターはこう分析する。「以前と比べ、エースの抜けたこととチーム順位は比例しづらくなっていますね。その理由はいくつかありますが、まず1990年代と比較した場合、外国人枠の増加が挙げられます。1997年までは一軍出場3人まで、1998年から2001年までは一軍出場は投手2人、野手2人の計4人に限られました。2002年以降は投手3人野手1人、野手3人投手1人というケースも認められるようになり、チーム事情により、使い分けができるようになりました。 黒田を流出させてしまった2008年の広島は、この制度を上手く利用しました。3人の外国人投手を獲得。ルイスが15勝と完全に黒田の穴を埋め、シュルツ、コズロースキーは中継ぎで大車輪の活躍を果たし、前年の5位からクライマックスシリーズ進出へあと一歩の4位に順位を上げました。 2002年の横浜や2007年の西武も、外国人投手を3人在籍させましたが、すべてが計算通りに活躍とは行きませんでしたから、広島のスカウティング能力が高かったとも言い換えられます」 エースが抜けてもチームが躍進できる理由は他にもあるという。「1990年代に日本からメジャーへ渡った選手たちが活躍したことで、日本球界の価値が見直されたことも大きいでしょう。アメリカで上手くいかなかった選手でも、日本で活躍すれば、もう一度メジャーから声がかかるので、外国人選手の目の色が明らかに変わったのです。良い例が、2008年から2年間広島に在籍したルイス。2003年にレンジャーズで10勝して以降、メジャーでは鳴かず飛ばずでしたが、広島で2年連続2ケタ勝利を挙げると、2010年に古巣のレンジャーズと契約。いきなり12勝とメジャーで大活躍しました。 もちろん、プロ野球界全体のレベルアップも挙げられます。ローテーション投手とそれ以外の投手の差が、1990年代と比べると、かなり縮まってきた。2009年、中日は屋台骨だった川上憲伸がメジャー移籍。それでも、前年まで1勝しか挙げていなかった5年目の川井雄大が開花。前年の川上の9勝を上回る11勝を挙げ、チームも3位から2位へ浮上しました。2012年、ダルビッシュがいなくなった日本ハムも、過去3年間未勝利の吉川光夫が14勝(5敗)防御率1.71と覚醒し、MVPに輝きました」(同前) そして、もうひとつ。ルーキーのレベルが格段に上がったことも大きい。「2012年の楽天は岩隈久志が海を渡りましたが、高卒のドラフト2位・釜田佳直がいきなり7勝。前年の岩隈は6勝ですから補って余りある活躍で、チームは5位から4位に浮上しました。昨年の阪神も、ストッパーの藤川球児が抜けたものの、高卒ドラフト1位のルーキー・藤浪晋太郎が2ケタ勝利を挙げ、5位から一気に2位に。彼がいなければ、先発の一角だった久保康友を後ろに回すという発想も生まれなかったでしょうね。 そういう意味では、今年の楽天は田中将大が抜けたものの、スーパールーキー松井裕樹が入団した。さすがに、24勝0敗1Sだった田中の穴を完全に埋めるのは難しいでしょうが、オープン戦の投球を見ても、活躍の期待は十分。新人に過度な期待は酷ですが、それだけファンに夢を見させてくれる存在です」 田中が抜けた楽天だが、今年も見どころは多そうだ。
2014.03.16 16:00
NEWSポストセブン
日本記録更新のロッテ98年「悪夢の18連敗」の真実を監督述懐
日本記録更新のロッテ98年「悪夢の18連敗」の真実を監督述懐
 記録に残る弱さをみせてもなお、ファンにとっては魅力的なプロ野球。そのうちのひとつ、『千葉ロッテマリーンズ』は1996年のシーズン後に伊良部秀輝が大リーグ、エリック・ヒルマンが巨人へと移ったことで落ちた戦力は補えないまま、1998年のペナントレースで「18連敗」の日本プロ野球記録を作った。 連敗中は神社への必勝祈願、真っ最中だった参院選で使われた必勝ダルマを持ち込むなどしたが、効果はなかった。 ロッテは借金10で2年連続最下位となる。当時の近藤昭仁監督は残り1年の契約を残して辞任。退任会見で「もっと強いチームの監督をやりたかった」という迷言を残し、話題となった。近藤氏が語る。「采配がどうこうといわれたが、18回で1回も勝てないというのは、やはりチームに力がなかったんですよ。 トンネルは長かった? 1か月近くあったからね。倒れそうになりましたよ。慕っていた藤田元司さんが“寝られないだろう”と睡眠薬をくれたが、それも効き目がなかった(笑い)。僕は、その前はもっと弱い大洋で監督をしていたから(1993~1995年)、“負け慣れ”てはいたけど、18回も続けて負けるのは信じられなかった。 自分としては最大の努力をして負けたから仕方ないけど、情けなくて外なんて歩けなかったですよ。マスコミもひどかったね。テレビカメラが目の前まで迫って来て、それを突き倒したこともあったなァ。それでもありがたかったのは、連敗中でもファンが温かかったことだね。ヤジることなく見守ってくれた。それが一番印象に残っています。 まァでも、選手たちも“地獄を見たんだから怖いものはない”と開き直っていましたよ。僕だって、契約を1年残して退団することになったけど、本当は最後までやるつもりだったんです。でもフロントから、“無理することないですよ”と肩叩きされたのが真相です。 巨人みたいにいっぱい選手がいたらいいと思った。“もっと強いチームで~”というのは、本音ですよ。 連敗中は先発投手を後ろ(リリーフ)に持っていくなど、色んなことを試みた。選手もなんとかしようとしていたと思う。ベンチに盛り塩までしたけど、効果はなかったですね。まさかあの偉大な別所毅彦さんの記録(1970年サンケイアトムズ16連敗)を、僕が抜くとは思ってもいなかった(苦笑)」※週刊ポスト2014年2月21日号
2014.02.15 16:00
週刊ポスト
故・伊良部秀輝自宅前の献花・手紙がゴミ箱に捨てられた理由
故・伊良部秀輝自宅前の献花・手紙がゴミ箱に捨てられた理由
剛速球投手として日米球界を沸かせた伊良部秀輝氏(享年42)が、昨年7月27日、ロサンゼルスの自宅で首を吊って自らの命を絶ってから約半年。彼は今、千葉市内のある寺で身寄りのない「無縁仏」としてひっそりと眠っていたことが明らかになった。死の直後、ファンや関係者によってロスの自宅前に供えられた献花やお悔やみの手紙が、ゴミ箱に捨てられていたというできごとがあったが、「京淑(きょんす)夫人の指示で撤去されていたようです。伊良部の草野球仲間が、夫人に“せっかくの献花をなぜ”と聞いたところ、“自殺した家を知らせるようなもので迷惑だ”と答えていた」(伊良部氏が常連だったロスの飲食店オーナー)夫人側が「生前から伊良部家にたかられていた」という話も、事実ではないという。米国在住で伊良部氏を「ラブちゃん」と呼ぶ間柄だった知人のA氏は、こう話す。「かつて大阪で暮らしていた両親のために、ラブちゃんがマンションを購入してあげたことはよく知られている。確かに出生や生い立ちは複雑だった(*1)が、彼は“それでも親は親なんです”と微笑んでいた。だから両親に毎月仕送りしていたと聞く。ラブちゃんの遺志で縁を切ったというのは、違和感があります」*1:伊良部氏の実父はアメリカ人であるが、本人もMLBに移籍した2年目(1998年)までこの事実を知らなかったことを『週刊SPA!』2011年7月19日のインタビューで明かしている。※週刊ポスト2012年1月27日号
2012.01.16 07:00
週刊ポスト
故・伊良部秀輝の追悼イベント 中止理由は“会費2万円”他
故・伊良部秀輝の追悼イベント 中止理由は“会費2万円”他
昨年12月20日、東京・千代田区にある東京會舘では、午後4時から「天国の伊良部秀輝君を激励する会」と題した追悼セレモニーが予定されていた。 伊良部氏が生前所属していたマネジメント事務所が音頭を取って計画されたもので、会費は2万円。米国在住の京淑夫人も来日して参加するとの情報もあり、「夫人から伊良部氏の“遺言”が明かされるのでは」(スポーツ紙記者)と期待されていた。 しかし、事態は思わぬ方向へ動く。開催直前になって、イベントが中止となったのだ。所属事務所に問い合わせても、「諸般の事情」と言葉を濁すのみだった。 伊良部氏に近い関係者は、「伊良部さんを慕う人たちから、“会費を取るとは何事か”といったクレームが続出して、中止になったと聞いたよ」と証言する。だが、続いて聞かされた言葉に、本誌記者は耳を疑った。「“集まったカネで墓を建てるならまだしも、すでに無縁墓に押し込んだ遺族が主催するなんて賛同できない”という意見もあったみたいだね。伊良部さんのお骨は今、無縁仏になっているから……」 なんと、伊良部氏の遺骨は「無縁仏」になっていたのだ。※週刊ポスト2012年1月27日号
2012.01.14 07:00
週刊ポスト
嫁と実家の確執の末に伊良部秀輝氏の遺骨が「無縁仏」に
嫁と実家の確執の末に伊良部秀輝氏の遺骨が「無縁仏」に
昨年7月27日、ロサンゼルスの自宅で首を吊って自殺した伊良部秀輝氏の亡骸は現地で火葬され、「本人の希望で、ロスのリトル・トーキョーにある東本願寺別院に納骨されることになっていたはず」(在米のスポーツジャーナリスト)といわれていた。ところが、死後半年経った今、伊良部氏の遺骨は日本で「無縁仏」になっているというのだ。米国在住で伊良部氏を「ラブちゃん」と呼ぶ間柄だった知人のA氏が重い口を開いた。「私もそれを聞いて驚いて、9月に納骨されたというお寺へ行ったんです。すると、寺から“伊良部さんの遺骨は無縁仏として預かっているので、7年後には他の人のお骨と混ぜられてしまう”といわれました」つまり、このままでは「伊良部秀輝」の遺骨が他の遺骨と合祀されて誰のものだかわからなくなってしまうのだ。本誌は確認のため、A氏の示した千葉市内にある寺を訪れた。住職夫人に案内されたのは、本堂横に建つ「無量寿堂」と記された無縁仏を祀る墓だった。伊良部氏をはじめ納骨された人の名前は見あたらない。無縁仏とは、弔う身寄り(親族や縁者など)がいない死者・墓のこと。同寺は、近年の少子化や独居高齢者の増加などで墓の継承・管理に不安を持つ者の遺骨を預り、永代供養を行なっている。しかし、伊良部氏には京淑(きょんす)夫人という家族がいるはずだが……。納骨された経緯を聞くと、驚くことに住職夫人はこう説明するのだ。「伊良部さんの奥様と、そのお母様が遺骨をもってお見えになり、無量寿堂に納めていかれました。あとのことはご遺族にお尋ねください」一体どうしてこのようなことになったのか。背景には複雑な人間関係が横たわっていた。 本誌は伊良部氏の実姉に話を聞くことができた。彼女は伊良部氏が無縁仏になっているのを認めた上で、経緯を語り始めた。自殺の直後、ロス郊外で行なわれた葬儀ではこんな一幕があったという。「遺体の検視を終え、京淑さんと2人の子供の立ち会いのもと、弟は荼毘に付されました。私は弟の顔をひと目見たいと思い、妹と日本から駆けつけたのですが、受け付けをする方から“奥さんがすべてを取り仕切っているので”と、入場を拒まれてしまったのです。諦めきれず、妹と2人で交渉したのですが、結局、弟の顔は見せてもらえませんでした」失意のまま帰国した実姉らを待っていたのは、さらにショッキングな展開だった。葬儀から1か月も経たないうちに京淑夫人とその母親が伊良部氏の実家に姿を現わしたのだという。「お義母さんが一緒に来られて、ウチの両親に対し、一方的に“ここ(寺の名前)に(骨を)入れました”と告げられました。四十九日も終えていない状況で、何が何だかわからず、こちらとしては到底納得できませんでした」※週刊ポスト2012年1月27日号
2012.01.13 07:00
週刊ポスト
「ああ、あの人も」芸能・スポーツほか2011年の物故者を偲ぶ
「ああ、あの人も」芸能・スポーツほか2011年の物故者を偲ぶ
大人力コラムニスト・石原壮一郎氏の「ニュースから学ぶ大人力」。今回は今年一年を総括して、2011年の物故者を「大人として謹んで偲ぶ」方法を考えます。* * * 2011年も間もなく幕を下ろしますが、今年もたくさんの方々が、こっちの世界から別の世界に旅立って行かれました。年末になって飛び込んで来たのが、朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者・金正日(敬称略・以下同)の訃報。ほかにも、11月には落語家の立川談志、10月にはアップルCEOのスティーブ・ジョブス、7月には作家の小松左京など、今年は超大物の死が相次いだ印象があります。それぞれの先人たちの業績に敬意を表し、その死を謹んで悼むのは、大人としての大切な務め。超大物の訃報にばかり目を奪われて、自分の人生に重要な意味を持つ人の死をうっかり失念するわけにはいきません。「ああ、あの人も今年だったよね」と言い合いながら、みんなでそっとご冥福をお祈りすることができるように、あらためて「2011年の物故者」を振り返ってみましょう。芸能関係では、個人的にも極めてショックでしたが、4月には元キャンディーズの田中好子が55歳の若さで亡くなりました。3月には坂上二郎、5月には児玉清や長門裕之、6月にはピーター・フォーク、7月には宮尾すすむ、8月には前田武彦や竹脇無我、9月には杉浦直樹……。それぞれの出演作品の思い出を語り合ったり、あるいはモノマネをしてみたりして、たくさんの夢や喜びを与えてくれたことに感謝したいものです。今年は、野球関係者の訃報も目立ちました。2月には中日ドラゴンズ元監督の与那嶺要、3月には箕島高校野球部元監督の尾藤公、7月には阪神タイガースなどで活躍した伊良部秀輝、8月には巨人軍の名誉オーナーの正力亨、11月には「悲運の名将」と言われた西本幸雄……。サッカー界では、8月に元サッカー日本代表のディフェンダー・松田直樹が、練習中に突然の悲劇に見舞われました。34歳の若さでした。7月には、元サッカー日本代表監督の森孝慈も世を去っています。小松左京の話題が出たときに、作家つながりでいっしょに偲びたいのは、5月の団鬼六、7月の辺見じゅん、10月の北杜夫……。文化人方面では、今月に入ってから、脚本家の市川森一や映画監督の森田芳光が、相次いで亡くなりました。もちろん、ここに挙げた以外でも、みなさんそれぞれに「今年は何といっても、あの人が亡くなったのが残念だった……」と思える人がいるはず。暮れのあわただしい時期ではありますが、もう一度ゆっくり思い出しましょう。会話の中で、周囲が「へぇ、その人も今年だったんだね」と感心してくれる名前を上げることができたら、故人を偲ぶことになるだけでなく、その故人に関係するジャンルへの造詣が深そうに見えそうです。いや、まあ、そのあたりはあくまでも、どうでもいい極めてささいなついでの副産物ですが。
2011.12.31 16:00
NEWSポストセブン
7月に死去の伊良部秀輝氏 年末に「激励する会」開催される
7月に死去の伊良部秀輝氏 年末に「激励する会」開催される
7月に米ロサンゼルスの自宅で首を吊って自殺した伊良部秀輝氏(享年42)は、現役時代に独特の言動で「トラブルメーカー」といわれてきたが、死後もトラブル続きだった。 自宅前に飾られた現地の友人・知人らの供花が何者かに荒らされ、同氏が指導していた野球少年からの手紙が破り捨てられる事件が起き、自殺に至った原因も明らかになっていない。「家族宛ての遺書があった」とも伝えられるが、夫人はその内容を明かしていない。 夫妻を知る人物が語る。「ラブちゃん(伊良部氏の愛称)は“将来は子供を日本で育てたい”といっていたのですが、夫人は日本に戻るといろいろ騒がれると心配し、日本に戻るつもりはないようだ」 一部では離婚していたと報じられたが、事実ではなかった。「資産などは夫人が相続したそうですが、プール付きの豪邸には住まず、近くに家を借りて2人の子供を育てている。おそらく自宅は売りに出していると思いますが、夫人はラブちゃんの思い出を早く忘れたいと考えているのでしょう。ショックからはだいぶ立ち直ったようで、最近では笑顔も見せているようです」(同前) 年末には伊良部氏が契約していたマネジメント会社が音頭を取って「天国の伊良部秀輝を激励する会」が催され、夫人も出席する予定。「簡単なスピーチをすると思います」(球界関係者)という。 指導者として日本球界への復帰を望み、「恩返しをしたい」と語っていた伊良部氏。様々な意味で野球ファンをドキドキさせてきた彼の「遺言」は、ぜひ知りたいところだ。※週刊ポスト2011年12月23日号
2011.12.13 16:00
週刊ポスト

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