“ペレストロイカの旗手”ゴルバチョフ・ソ連大統領の側近として、欧米諸国と「新思考外交」を展開したシェワルナゼ元外相が死去した。ソ連崩壊後は、グルジア大統領に就くなど現代史に名を残す一人だが、「冷静終結の立役者」としての評価もあれば、「グルジア内政を腐敗させた」という指摘もある。激動のソ連末期時代、外交官を務めた作家の佐藤優氏が、シェワルナゼ氏に関するエピソードを綴る。
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7月7日、グルジアの首都トビリシで、ソ連外相、グルジア国家評議会議長、同大統領を歴任したエドゥアルド・シェワルナゼが死去した。享年76だった。
1985年7月2日にゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が、シェワルナゼを外相に任命したとき、世界は青天の霹靂と受け止めた。当時、筆者は、外務省に入省して3カ月目で、ソ連課(現ロシア課)で、研修生をつとめていた。
ソ連課の隅には、特別に調整してモスクワ放送がよく聞こえる短波ラジオがあった。その周囲に満州国立ハルビン学院大学を卒業したロシア語の達人たちが集まって、新外相の名前を日本語でどう表記するか議論していた。シャヴァルドナゼ、シワルナッゼなどいろいろな意見が出たが、ロシア語の音声にいちばん近いシェワルナゼにすることで落ち着いた。
ソ連課の先輩たちは、「シェワルナゼは、秘密警察との関係が深い。外交は素人だ。ゴルバチョフは、自分で外交をやりたいので、あえて外交の経験がないシェワルナゼを外相に据えたのだろう。また、ソ連外務省にはグロムイコ前外相の影響が及んでいるので、シェワルナゼが外交に与える影響はたいしてない」という見方をしていた。これは日本外務省だけでなく世界のクレムリン・ウオッチャーの標準的見解だった。
※SAPIO2014年9月号