どうして許氏をそこまで深く思うのか尋ねてみると、
「男は人生で出会う男で、ああこいつにはどうやっても勝てない、というのが何人かいるんだよ。地位や経済力とか、そんな表層的な尺度ではなくて、肚の据わり方や器の大きさで…。
僕には男として勝てないと思った人間が2人いて、1人が永中でした。理屈じゃないんだよ。世間の評価はおいといて、永中は想像できないくらい普段は穏やかで、発想力も胆力も人並み外れて凄い男だった」
〈法曹界の仕事はドブ掃除や〉を身上としてきた氏は正義の考え方も独特だ。
「僕が小学校の時、先生がこんな話をした。それは中国の貧村で飢えた子供のために柿を盗んだ父親の話で、警察は息子にも事情を聞くんだけど、彼は父親を庇って嘘をつく。さて彼は善ですか悪ですかと聞かれて、僕は直感で“善”と答えた。
つまり法が人と人の横の関係の約束事だとすれば、親や子を思う心は天と人の縦の関係に生じ、己の偽らざる心に正直であることが僕の正義になった。するとどうしても情の世界になるし、弁護士として一線を越えた点は反省するが、しかし自分の良心に恥じることはしてこなかった」
信義に生きた法律家は、世間や古巣から恨みを買い、罪を問われた。その是非はともかく、常に事件の裏で取りこぼされる人々の思いや息遣いを、これほど生々しく伝えた本も珍しい。〈本当の悪と、社会にある程度必要な悪とを、きちんと見極めること〉。それが「たぶんこれが僕に書ける最後の本」という田中氏の遺言だ。
【著者プロフィール】
田中森一(たなか・もりかず):1943年長崎県生まれ。岡山大学法文学部在学中に司法試験に合格し、1971年検事に任官。大阪・東京地検特捜部等で活躍し、1987年退官、大阪で弁護士を開業。2000年3月、石橋産業手形詐欺事件で逮捕され、2006年1月東京高裁で懲役3年の実刑判決。2008年2月の上告棄却を受け、同3月収監。同4月には別の詐欺容疑で逮捕、懲役3年が加算され、2012年11月に仮釈放。著書に『反転』『塀のなかで悟った論語』等。155cm、40.5kg、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2014年11月14日号