SMAPの中では、香取慎吾も萩本の薫陶を受けた一人だ。
「欽ちゃんは、まだバラエティに慣れていない頃から香取を高く評価していました。1994年に、みずからの番組『よ!大将みっけ』(フジテレビ系)のレギュラーに抜擢しています。番組自体は半年で終了してしまいましたが、香取はその後メキメキと力をつけ、バラエティで活躍していった。香取も欽ちゃんを“自分の教科書”というほど尊敬しています」(同前)
後に萩本と香取は『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(日本テレビ系)で、コンビを組むことになるのだが、そもそも“ジャニーズタレント”である香取は、根本的な面で萩本と相性が良いのだという。
「基本的に下ネタを言えない“アイドル”という立場は、下ネタを嫌う欽ちゃんの言うことを聞きやすい環境にある。いわば、弟子と師匠の“需要と供給”が合致するのです。今の芸人は、ゴールデン帯でも下ネタをバンバン言う。それどころか、下ネタを披露しない芸人自体がほぼ見当たらない。そんな時代に、『下ネタを言うな』という萩本に教えを請おうと考える芸人は生まれにくい。だが、アイドルであるジャニーズタレントには、欽ちゃんの考えがすんなり頭に入ってくる」(同前)
SMAPの人気は、1996年4月開始の『SMAP×SMAP』(フジ系)で不動のものとなった。実は、ここにも萩本の遺伝子が組み込まれている。
「番組開始時の構成作家である永井準(2006年逝去)は、萩本の作った放送作家集団『パジャマ党』、今も番組に関わっている鶴間政行は『サラダ党』の出身。2人とも、1970年代に欽ちゃんの家に住み込みで鍛えられた作家陣です」(前出・テレビ局関係者)
1980年代半ば、欽ちゃん番組が急速に力を失っていった理由のひとつに、萩本が過激な笑いに走らなかったからという側面もあるだろう。それでも、萩本はポリシーを変えず、コメディアン生活を続けてきた。自身の番組はほぼなくなったが、その遺伝子は国民的アイドルであるSMAPメンバーらに受け継がれているようだ。