昨年10月に亡くなった春画研究の第一人者、白倉敬彦(しらくら・よしひこ)氏の遺作となる『春画に見る江戸老人の色事』(平凡社新書)が刊行された。同書には、「老人の性」を汚らわしいと捉える現代人には想像もできないような、江戸時代の朗らかで自由な性の世界が描出されている。
白倉氏の長女・奈保さんは、遺作出版の経緯をこう語る。
「父は昨年春に小細胞肺がんが見つかり、10月4日に73歳で亡くなりました。父の死後、担当編集者の方とお会いした際に遺稿の存在を初めて知りました。父は病気が発覚する直前に原稿を書き上げ、担当の方に預けていたそうです」
父の遺志を形に──奈保さんが校正を手がけて同書は世に出た。
「父は週刊ポストの春画特集のお手伝いをさせていただいていたご縁もあって、『死ぬまでSEX』特集を興味深く読んでいました。そこで、『江戸時代の老人と性』という新たなテーマを着想したのだと思います」
白倉氏は数多くの春画関係書を出版しただけでなく、2013年に大英博物館で開催され、世界的な反響を呼んだ「春画展」の実現を陰で支えた人物でもある。
1940年生まれの白倉氏は、早大文学部を中退後に美術出版社を創設。1986年からはフリー編集者として辣腕を振るった。1990年に刊行された『人間の美術』全10巻(梅原猛監修)の編集に参画してから春画に関わり、以降、春画の再発見、再評価に情熱を傾けた。
1992年『浮世絵秘蔵名品集』(全4巻)では、初めて春画の無修整復刻を果たした。この本は1巻20万円という価格にもかかわらず、1万部の大ヒットとなった。国際日本文化研究センターの早川聞多教授は、白倉氏の業績をこう讃える。
「この全集刊行後、春画はポルノではなく芸術文化作品だと認識されるようになりました。白倉さんは、日本の現代春画研究の端緒を切り開いただけでなく、世界に春画の芸術的価値を紹介した功労者です」
白倉氏は遺作の冒頭にこう記している。
〈性的欲望は、男女とも灰になるまである、というのが、江戸時代までの性的概念であって、それゆえに、男女ともの老人の性は認められてきた。(中略)春画には、多くの老爺、老婆が登場する。これは、日本春画の一つの特徴であって、世界のエロティックアートにはほとんどあり得ない事実である〉
白倉氏は有名絵師が手がけた春画の中から、老人による性愛シーンをピックアップした。
〈時には涙ぐましくもあり、ユーモラスでもある彼らの性行動は、日本人の性意識の原像でもあるといって、決して過言ではあるまい〉
早川氏はいう。
「白倉さんは春画に対して、『老若男女、貴賤を問わず』を合言葉にしていました。白倉さんの遺作は、老人の性をテーマにしながら、セックスの垣根がなかった江戸時代の人間観を浮き彫りにした画期的な作品です」
※週刊ポスト2015年2月6日号