2011年3月の東日本大震災以来、原子力発電所をめぐる議論は司法の場にも持ち込まれている。福島第一原発事故の原因を綿密に調査・検証した著書『原発再稼働「最後の条件」』(小学館)などで積極的に日本の原発について発言してきた大前研一氏は、高浜原発の運転禁止仮処分決定について「司法の暴走」ではないかと疑問を示した。
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二つの原子力発電所の運転差し止め訴訟で、司法判断が分かれた。
関西電力・高浜原発3、4号機(福井県高浜町)については福井地裁(樋口英明裁判長)が運転を禁じる仮処分決定を出し、九州電力・川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)については鹿児島地裁(前田郁勝裁判長)が運転差し止めを求めた住民の仮処分の申し立てを却下したのである。
しかも、福井地裁の樋口裁判長は、新規制基準は原発の周辺住民の生命、身体に重大な危害を及ぼす深刻な災害を引き起こす恐れが万が一にもないと言えるような厳格な内容であるべきなのに、「緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発(高浜原発)の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである」と結論づけ、半径250km圏内の住民の「人格権」(生命や身体、自由や名誉など個人が生活を営む中で他者から保護される権利。憲法第13条から導かれる基本的人権の一つとされている)が侵害される具体的危険性がある、と認定した。
しかし、私は昨年5月に樋口裁判長が同様の論理で関西電力・大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを命じる判決を下した際も述べたように、この論理が全く理解できない。極めて重要な問題なので、改めて説明しよう。
樋口裁判長は、事故が起きる可能性がゼロでない限り、原発を運転してはならないと言っているわけだが、この幼稚な論理が司法でまかり通ったら、世の中のすべての経済活動は一般住民が訴訟を起こしさえすれば止められることになる。