――夢は大きく、ですね。いい訳をつけて行動しない人は多いと思いますが…
松村:1店舗目を作り、2年目に株式会社ダイヤモンドダイニングに社名を変えて会議をした時に、3店舗になったら組織になる。これを5年以内にしようとその時点の最大目標を据えました。ところが、結果的に5年後は、50店舗まで広げていたんですよ。要するに、人間の可能性は無限大なわけです。勝手に「限界」と決めてしまうのは、弱い自分自身なんです。
――病気を公表したことによるマイナスの影響はありましたか?
松村:株主の方や投資家の方々に、創業社長が病気を抱えているのは大きなリスク、などの意見を持たれるのではといろいろなことを想定していたのですが、そういった声よりも驚くほど応援してくださる声の方を多くいただきました。
――この先見据えるもの、夢は?
松村:これまでの飲食とアミューズメント事業に加え、ウェディング事業が動き出した段階です。来秋、一号店を出す予定で、由緒ある建築物をリノベーションして、ブライダルと本格的な和食を提供します。そこは完全にミシュラン狙いです。
もうひとつの目標は、100人の社長を作ることです。グループ会社に今4、5人のトップが立っていますが、自社の社長も創出しつつ現在社長業をしている若手経営者にも投資をし、支援をしていく。当社のさまざまなリソースを使ってもらうことを考えています。100人の経営者を作っていく“外食のグーグル化構想”を今、経営陣と練っています。
【松村厚久(まつむら・あつひさ)】
1967年3月29日生まれ。高知県出身。日本大学理工学部を卒業後、サービス業を極める目的で日拓エンタープライズに入社。95年に退社し独立。日焼けサロンチェーンを展開し、成功を収める。2001年に飲食業界に参入。「外食アワード2007」受賞。2010年、100店舗100業態を達成。飲食業界のタブーに挑み、食とエンタメの融合を成功させ、「フード業界のファンタジスタ」と呼ばれる。2015年、東証第一部上場。
撮影■疋田千里