京都駅から北に10km。東山の奥深くに鎌倉時代から続く由緒ある古刹が建つ。9月末のある日、この寺に浅野ゆう子(55才)の姿があった。
「長い髪の毛を下ろして、化粧もほとんどしていませんでした。泣きはらしたのか、だいぶ目が腫れていましたね…」(居合わせた参拝客)
この寺には昨年11月6日にくも膜下出血で亡くなった浅野の恋人、田宮五郎さん(享年47)の墓があった。
「この日、浅野さんは田宮さんの遺骨を納骨しに来たんです。供養を終えた後、彼女はしばらく墓前に立ち尽くしていました」(前出・参拝客)
もともと、同じ事務所に所属していた浅野と田宮さんの交際がスタートしたのは2007年のことだった。2012年4月に田宮さんがくも膜下出血で倒れて左半身の麻痺と脳のダメージが残ると、浅野は趣味のゴルフやテニスをきっぱりとやめ、仕事以外の時間はリハビリを献身的にサポートした。その甲斐もあり、当初は車いすだった田宮さんは杖をついてひとりで外出できるまでに回復した。
入籍はしていなかったものの、深い愛情で彼を支え続けた浅野に、無慈悲な運命が襲う。昨年11月2日早朝、浅野と同棲するマンションで田宮さんが再び倒れたのだ。異変に気づいた浅野が救急車を呼び、田宮さんは都内の病院に緊急搬送された。
「浅野さんは病室で田宮さんの手を握り続けて、“逝かないで…”と最後まで懸命に声をかけ続けたそうです…」(浅野の知人)
しかし、浅野の祈りもむなしく、田宮さんの意識が回復することはなかった。田宮さんの死後、浅野は絶望の淵から抜け出せずにいた。
「しばらく部屋から一歩も外に出ず、遺骨を抱き抱え、涙ながらに遺影と語り合う日々を送っていました。事務所のかたが食料や日用品を買ってきて彼女の生活を支えていたんです。当時は仕事に復帰できる状況ではありませんでした」(前出・浅野の知人)
そんな生活に変化が生じたのは今年の春先だった。友人やスタッフの支えがあり、ようやく外食ができるようになり、徐々に仕事に復帰できるようになった。
「田宮さんの親族からも、“過去ではなく、未来を見なければダメだよ”と諭されたそうです。浅野さんにとって今回の納骨は、彼との思い出に縛られた自分との“決別の儀式”だったのかもしれません」(前出・浅野の知人)
浅野は今、田宮さんの眠る寺からすぐ近くにある京都南座で、連日の主演舞台に立っている。
※女性セブン2015年10月22・29日号