同時期に花登さんが立ち上げた劇団「笑いの王国」の『頓馬天狗』がスタート。私が主役で、「姓は尾呂内(オロナイン)、名は南公(軟膏)」の名セリフも生まれた。これら一連の台本を書いたのも花登さんです。
彼の才能は凄かった。「新幹線作家」と呼ばれ、実際に新幹線に乗っている間に翌週の『細うで繁盛記』の台本を書いていましたから。
あの頃は「筺ちゃん」「崑ちゃん」と呼び合い、皆で豊中の安アパートに住んでいました。花登さんが夜中にミカン箱を机にして台本を走り書きし、私が清書していたものです。ただ、超売れっ子の作家となってしまったことで「先生」と呼ばれるようになり、仲間も「筺ちゃん」と呼べなくなった。そうして座員たちとの人間関係がおかしくなって、皆が去っていきました。そして遂には私も「外で勉強させてください」と退団することになりました。
最後は逃げ出すような形になってしまったけど、花登さんにスターにしてもらったという感謝の気持ちは忘れていない。今でも命日には墓参りに行っています。
●おおむら・こん(コメディアン)/1931年兵庫県生まれ。喜劇役者として舞台で活躍、テレビ放送の黎明期に爆発的な人気を得る。CMキャラクター、俳優としても有名。
※週刊ポスト2015年12月11日号