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元ヤンキー とび職経てUCバークレー進学するまでの道のり

2015.12.12 07:00

「本当にバークレー入れちゃったらどうしよう、おれ?」 「お前じゃ無理だから、考える心配ない。安心しろ

「本当にバークレー入れちゃったらどうしよう、おれ?」

「お前じゃ無理だから、考える心配ない。安心しろ」

 父に大きな夢を語っていた鈴木琢也さん(29才)は当時24才。小学校で仲間外れにされて中学で不良の道に走り、高校卒業後にとび職に就いた彼が、名門・カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)の門を叩くことが現実になると、この時、誰が思っただろう。

 UCバークレーとは、世界大学ランキングで常にトップ10に入るアメリカの名門校。卒業生にはソフトバンクの孫正義氏や元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏ら名士の名前が並ぶ。ヤンキーから名門大学へ。それは家族が長い道のりを経て到達した夢物語だった。

 神奈川県川崎市で生まれた琢也さんは父・敏博さん(64才)、母・博子さん(57才)、3才年上の姉の4人家族。途中、両親には離婚危機もあった。

 小学校の頃に周囲から浮いてしまった琢也さんが、ようやく自分の場所を見つけたのは中学時代。地元で知られるワル中学に入り、不良の仕草をマネすると、初めて仲間を作ることができた。

 そうした中学時代であったから、ほとんど勉強などはしていなかった。琢也さんは地元の県立高校に辛うじて進学する。そこは、英語の授業がアルファベットの練習から始まる学校だった。

 高校卒業後、琢也さんは「稼げそうだから」と先輩の紹介でとび職に就く。肉体労働への世の偏見に腹が立ったが、がむしゃらに働き、収入が40万円を超える月もあった。

 そんなある時、父が転機をもたらす。敏博さんが仕事(外資系生命保険会社営業マン)で大きな成果をあげ、ハワイで表彰式が開かれることになったのだった。

 しぶしぶ参加した表彰式で、琢也さんは大勢の人から「きみのお父さんは本当にすごい人なんだよ」と声をかけられた。一時は苦境に陥った父だが、コツコツと努力と勉強を重ね、仕事を通じて多くの人に称賛されるまでになっていたのだ。

「ぼくが“家族が冷たい”とグレている間に、父がどん底から這い上がり、母もそれをサポートしていたと知り、自分は何ひとつわかってないと思い知らされました。ぼくも父のように情熱を持って働きたいと思い、転職を決めました」(琢也さん)

 転職するといっても、知り合いに働き口を紹介してもらうつもりはなく、本気で勉強して全く違う職種を選択したかった。そこで、まずは資格を取るために専門学校に入学した。が、基礎となる学力的な土台が全くなかったため、なかなか前へ進めなかった。

 新聞を開いても、「促す」「為替」が読めない。漢字が読めないので辞書を引くこともできない。悩んだ末、部首索引のできる電子辞書を買い、漢字を覚えていった。

 それでも2年間腐ることなく、なんとか勉強を続けて、情報処理の国家資格を取り、IT企業の営業職に就いた。

◆Somethingの意味がわからないままアメリカへ

 その年9月、リーマンショックが発生し、先行きに不安を感じた琢也さんは、「学歴」よりも「学ぶ力」を身につけようと留学を決意。アメリカの大学は2年制の短期大学(コミュニティーカレッジ)で必要な成績を取得すれば、4年制大学に3年次から編入できる。この制度を利用して、どうせなら「てっぺん」のUCバークレーに挑戦することにした。

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