「デビュー曲はオリコンチャートは2位だったものの、完全に落ちこぼれグループ。その後も鳴かず飛ばずで専属マネジャーもいない状態でした。
見かねて面倒を見はじめたのがデスクのIさんだった。当時小学生でランドセルを背負っていた香取慎吾(38才)の勉強を見てあげたり、衣装が破れていたら繕ってあげたり、“お母さん”のような役回りでした。
そうこうしているうちに、ジャニーさんから“I、面倒見てよ”とSMAPのマネジャー的な仕事も任されるようになったんです。当時、マネジャーをやるなんて、事務所の女性としては初めてのことだったと思いますよ」(テレビ局関係者)
以降、SMAPはアイドルの王道とは異なる道を歩みはじめる。1992年、SMAPにとって初めてのレギュラー番組は『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)だった。
「ただコントに挑戦するだけでなく、当時のアイドルにはあり得ない格好悪いカツラをつけて芸人以上のリアクションで番組を盛り上げた。Iさんの提案でしたが、最初は本人たちも渋っていたんです。だけど、そのハメの外し方が新しいと彼らの人気に一気に火がついた。そこからメンバーはIさんのことを徐々に信用するようになっていきました」(前出・テレビ局関係者)
1994年、デビューから2年半、通算12枚目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』でついに念願のオリコン1位を獲得した。ここからSMAPの快進撃が始まる。
※女性セブン2016年2月4日号