ラジオ局で番組収録中の恵俊彰
そんな中、渡辺プロダクションが無料で参加できるお笑い養成所を開設したことを知り、恵はこれに飛びつく。ほどなく11人からなるコント集団「ホンジャマカ」を結成した。
「当時は下北沢の『鈴木荘』という家賃月3万円のアパートに住んでいました。結局、家賃を10か月も滞納して追い出されるんですが、その頃、いまの妻が支えてくれたんです。
番組で必要なポロシャツを用意してもらったり、お弁当を買ってもらったり、2000円の小遣いをもらったり(笑い)。『ひょうきん予備校』(フジテレビ系)にレギュラーで出るようになって最初に手にしたギャラはたった2500円。とても暮らしていけなかったんです」
「ホンジャマカ」の名が世間に知られるようになるのは、石塚と2人のスタイルに落ち着き、勝ち抜きのお笑い番組に出始めてからだ。しかし、軽妙なコントは受けたものの、レギュラー番組『大石恵三』(フジテレビ系)が1993年に2クールで終了し、2人は曲がり角を迎えてしまう。
「僕らはレギュラーの椅子を早くも失ってしまった。石塚さんとは、30歳前後のこのタイミングで負けているというのは絶望的だよな、という話になった。コンビこそ解散はしないけど、個人にくる仕事はどんどん優先していこうと2人で決めたんです。それからは、テレビの中での居場所はどこなんだって、手漕ぎボートで探す日々でした」
ピンでも動き始めた恵と石塚は、やがてそれぞれの居場所を得て、活躍し始める。しかし恵は、自らの原点であるコントも忘れていない。石塚との「ホンジャマカ」は結成から丸25年が過ぎた。
「解散したのかとファンからも聞かれるんですけど、発注がないからやってないだけで、発注があったらいつでもやるつもりです。まあ、石塚さんに確認していないから、何というかわからないけど(笑い)。でも、3日間だけ時間をいただければ、何十本もコントを作れると思います。ピンでいろんな経験をしてきた2人がいまやれば、面白くなるんじゃないか、とも思うんです」
恵俊彰は、テレビの中になおも新たな可能性を見いだそうとしている。
「インターネットの時代ですが、僕はテレビはまだまだやれると思っています。50代になったからできることも自分にはあると思う。僕にとって、自分の評価は、やっぱりテレビという箱の中だけにしかないんです」
◆めぐみ・としあき/1964年、鹿児島県生まれ。1988年に11人で「ホンジャマカ」を結成し、その後、石塚英彦とお笑いコンビに。昼の情報番組『ひるおび!』(TBS系)や『MUSIC FAIR』(フジテレビ系)にレギュラー出演し、タレント、司会、俳優と幅広く活動中。
■取材・文/一志治夫 撮影/中庭愉生
※週刊ポスト2016年2月19日号