その実力の一端を見せつけたのが、2003年4月に栃木県の運転代行業務の利権を巡り、弘道会系組織と住吉会系組織の間で抗争が起きた時のことだという。
「先に相手の事務所に保冷車を突っ込ませて仕掛けたのは住吉会系組織の側でしたが、それからわずか数時間のうちに電光石火の報復を受けた。組の事務所、関連する会社や麻雀店、組関連の住居などが相次いで襲撃を受け、幹部一人が射殺された。
ここまで素早い報復は、事前の情報蓄積がなければ不可能なこと。高山若頭は、抗争は情報戦だということを誰よりも理解して十仁会のような組織を整備していた」(当時を知る捜査関係者)
情報収集の対象は、対立する暴力団にとどまらない。
「警察無線の傍受などによって当局の弘道会対策の内情を調べたり、捜査員を尾行するなどして自宅や車のナンバー、家族構成まで把握して、それらを知っていることを匂わせて警察サイドにもプレッシャーを掛けていく手法もある」(前出・伊藤氏)
かつて弘道会の組織図には十仁会の名も記されていたとされるが、「その活動内容が組織外にも知られるようになったため、今では存在自体が伏せられ、十仁会の名称は使われていない」(同前)という。
ただし、その情報収集力、戦闘力は健在とされ、今回の分裂抗争においても存在が見え隠れする。
「撃たれた池田組の高木若頭は自宅マンションの場所だけでなく、“自分では車を運転せず、毎朝10時になると若い衆が駐車場まで迎えに来る”といった行動パターンまで細かく把握されていたようだ。
だから狙いやすいと思われたのではないか。実行犯は一人だったが、組織的な動きとしてやっているなら、近くに見届け人もいたはずだ」(神戸山口組系三次団体幹部)
※週刊ポスト2016年6月24日号