典型は、中国で最も激しく漢族による支配や同化政策を拒み、反乱を続けた苗族だ。では、なぜ辺境の民は納豆を食べるのか? 辺境の民は基本的に山の民であり、大豆は山の痩せた土地でもよく育ち、発酵させるために大豆を包む大きな葉が山にはいくらでもあるからだ。
さらに本書の終盤で、日本の納豆の起源を巡る旅によって、もう一つの驚きと興奮がもたらされる。昔ながらの方法で納豆を作っている唯一の場所奥羽山脈の雪深い山中に行くと、詳細は本書に譲るが、なんと〈アジア納豆〉と同じ作り方だったのだ。しかも、日本の納豆ももともとは内陸部で食される〈辺境食〉であり、江戸時代までは、〈アジア納豆〉のひとつの典型である、納豆を入れた納豆汁として食べることが中心だったと推測できるというのだ。
事実を積み重ねた末、終盤になってそうした大胆な仮説(発見と言いたい)を提示されたときには、思わず想像力を刺激された。〈アジア納豆〉を通して、千年単位のアジアの壮大な歴史、そのなかで少数民族が背負わされた苦難や哀しみ、そしてそれを乗り越えた逞しさや喜びが浮かび上がってくるのである。そして、日本もまた実は大きな〈アジア納豆〉文化圏に組み込まれていることもわかるのだ。
著者の探究心は旺盛そのもので、取材の過程の描写も楽しく、奥羽山脈山中の住民を含め、辺境の民たちはこぞって魅力的だ。辺境取材を重ねたこの著者ならではのユニークな傑作である。
※SAPIO2016年7月号