◆だれもが共通体験できるキーワード
アトピーに効く石鹸の販売や、巨大な新興宗教の教団、〈人工肉〉の開発など、どこかいびつな今という時代を照射する装置が次々に登場するのも白石さんの小説の特徴である。
「小さいときからぼくは異様に記憶力がいいんです。人から何か話を聞いたら、忘れようにも忘れられない。ふつう、食べたら出すじゃないですか。それが自然に出ていかないから、つねに脳の便秘みたいな状態です(笑い)。この小説で書いた新興宗教にしても、アトピーやてんかんといった病気にしても、もともと記憶の中に蓄積されていた話が、人との会話で刺激されて、すっと出てきたものを書いていますね」
けがをした純一に、教団の教区長が手当てする場面がある。〈教区長の掌が足に触れて一分もたたないうちから、次第に痛みが薄れていくのが実感できた〉。医学によらず人を癒す力や、〈生まれ変わり〉〈呪い〉といった、現代科学では説明できない事象も出てくる。
「時代や国を超えて、だれもが共通体験できるようなキーワードっていくつかあるでしょう? たとえば、生まれ変わりという仮説を導入するとわかりやすく整理される事実があったりします。もちろん、そうじゃない、という反証も山のようにあるわけですが、じゃあどう説明すればいいんだろう、ってことはずっと考えていますし、そういうことこそ小説で書いてみたいと思うわけです。
ただ、そういうものを別次元で利用している人たちもいて、それはすごくいやなんですよね。人を癒す力だって実際にあると思いますけど、さほどたいしたことでもない。最低でも、不死ぐらい実現してくれないと木戸銭は払えません(笑い)。そんなことで担保されるような教団をあがめる必要は全然ないと思います」
南にある地方都市から東京、大阪、広島、ロンドンへと小説の舞台は移り、思いがけないラストが待ち受けているが、主人公はそこで〈懐かしさを呼び寄せるあたたかな記憶〉の海に戻ったという感慨を抱く。
取材の中で白石さんは、科学技術や経済の発達、政治制度も、すべてが私たちひとりひとりを、取るに足らない小さな存在だと感じさせる方向に導いている、と語った。小説は抵抗、人間性回復の試みだろうか。
「そこまで強い意識はないですけど、いろんなことを疑わないといけない。ぼくたちはすぐに何か大きなものに身を委ねて自分を捨てようとするけど、それはいたずらに死の恐怖を持たされているからなんですよね。そのことをこれまでずっと書いてきたし、読者には自分自身が大切なんだとわかってもらいたいと思います」
【プロフィール】しらいし・かずふみ/1958年福岡県生まれ。早稲田大学卒。文藝春秋に勤務していた2000年に『一瞬の光』を刊行。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、2010年に『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。WOWOWでドラマ化された『私という運命について』は30万部を超えるロングセラーになっている。『不自由な心』『すぐそばの彼方』など著書多数。父の故白石一郎さんも直木賞作家、弟・文郎さんも作家という作家一家である。170cm、65kg、O型。
■構成/佐久間文子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2016年7月22・29日号