新進党が解党すると小沢さんとともに自由党に移り、自民党との連立政権に参加。ところが2000年4月、小沢さんが自民党との連立を解消すると、小沢さんと袂を分かち、自由党から分裂した保守党へ──小沢さんの側近だった平野貞夫元参議院議員が語る。
「小池さんを引き止めるために、小沢さんに直接“次の選挙では比例近畿ブロック1位を約束する”と説得してもらいました。でも、彼女は“自由党がそこで議席を取れると思いますか?”と。機を見るに敏な才能の持ち主であることは確かです」
2002年には自民党に移籍。今度は小泉純一郎さんに引き立てられ、2003年9月には早くも環境大臣に抜擢される。そして2005年8月のいわゆる郵政選挙では、郵政民営化に反対する候補への“刺客”に真っ先に志願。兵庫から東京に選挙区を移し、“落下傘候補”として戦った。『小池百合子の華麗なる挑戦』の著書のあるルポルタージュ作家の大下英治さんが言う。
「郵政選挙で刺客候補第一号になった時は、誰も勝てるとは思っていなかった。でも彼女は小泉さんに惚れ込んでいたし、“自分が出れば、小泉さんの刺客戦略は成功する”と思って賭けに出た。それは今回の都知事選も同じです。最初は誰も勝てるとは思っていなかったわけですから」
郵政選挙勝利の功績もあり、小池さんは小泉政権下で沖縄・北方対策担当大臣、第一次安倍政権では女性初の防衛大臣も歴任。2008年9月には事実上の総理大臣を決める自民党総裁選に女性として初めて立候補し、存在感を見せつけた。
針路変更の巧みさと大博打を打つ賭けに出る度胸、そして人を見抜き、風を読み、なんとしてでも勝負をモノにするしたたかさ。それが彼女の“闘い方”なのだ。
撮影■小倉雄一郎
※女性セブン2016年8月18・25日号